自分がすべての「答え」を知っているわけじゃないと認めるには、とても勇気がいります。
ですから、正しい「問い」すら認めるのがどんなに難しいかは、推して知るべしです。
でも、見当違いの問いを立てたら、見当違いな答えしか得られないのはほぼ確実です。
何か一つ、ぜひ解決したい問題を考えてみましょう。肥満の蔓延でも、地球温暖化でも、アメリカの公立学校制度の崩壊でもいいです。
そしたらつぎに、自分がどういういきさつでその問題を今のようにとらえるようになったのか、思い出してみましょう。
十中八九、マスコミの影響が大きいはずです。
たいていの人は、こういう大きな問題について考える暇も意欲もありません。
誰かの言い分には耳を傾け、いいなと思ったら自分の意見にしてしまいがち。
おまけに問題の中の「心に引っかかる部分」だけに目が向いてしまうのです。
「まじめな人」なら見落としてしまうこと
たとえばあなたが州の学力基準を満たさない落ちこぼれ学校に腹が立つのは、教師だったあなたのおばあさんが、今どきの教師なんかよりずっと教育に尽くしていたと信じているからかもしれません。
学校で成果が上げられないのは、出来の悪い教師が多いからに決まっている、とあなたは考える。
もうちょっと踏み込んで考えてみましょう。
よい教師が悪い教師より望ましいのは明らかで、教師の質が全体としておばあさんの時代よりがた落ちしているのも確かです。
それは昔に比べると、優秀な女性の職業選択の幅がずっと広がっているからでもあります。
それにフィンランドやシンガポールや韓国などでは、教師は優秀な学生から選抜されるのに対し、アメリカで教師になるのは平均以下の学生が多い。
だから教師の力量に焦点を絞るのは、確かに筋が通っているかもしれない。
でも、教師の力量より、生徒の成績にずっと大きな影響を及ぼす別の要因が、最近の多くの研究で明らかになっています。
それは、子供が親からどれだけのことを学んでいるか、家でどれくらい勉強しているか、学びたいという意欲を親が植え付けているかといった要因です。
家庭でのこういうインプットが足りないと、いくら学校が頑張ったところで限界があります。
子どもが学校で過ごすのは1日7時間×年間180日。
つまり起きている時間の2割ほどでしかないのです。
それにその間ずっと学習しているわけではないです。
友達付き合いや食事、教室間の往復を差し引けば、ずっと短くなります。
それに、多くの子供は生まれてから3、4年の間は学校に行かずに親とだけ過ごしているのです。
それなのに、いざまじめな人たちが教育改革について話し合うと、成功できる子供を育てるうえで家庭がどんな役割を果たすべきか、という議論がすっぽり抜け落ちます。
それは、「教育改革」という言葉がまさに「学校のどこがいけないのか?」という問いをほのめかしているからです。
でも現状を考えると、「なぜアメリカの子供たちは、エストニアやポーランドの子供たちに学力で劣るのか」と問い直した方がいい。
見当違いな角度から問題に取り組もうとすると、見当違いな場所で答えを探す羽目になるのです。
そんなわけで、アメリカの子供たちの学力低下の原因を話し合うには、学校よりもむしろ親について考えた方がいいのかもしれない。
美容師や狩猟ガイドやそれに教師になりたかったら、免許を取得しなければならない。
でも、親になるにはそんな決まりはない。
誰だってひとそろいの生殖器さえもっていれば、誰にもとがめられずに子供が作れるし、目に見えるあざさえつくらなければ、好きなように育てられる。
そして、学齢期になったら学校制度に丸投げして、教師が魔法をかけてくれるのを待つというわけだ。
でも、もしかすると学校に多くを求めすぎて、親や子供自身がやるべきことを忘れているんじゃないだろうか?
ゼロベースで問題を「正しくとらえ直す」
たまたま目についた気になる部分だけとりくんでいないか、気を付けることが大切なのです。
時間と資源を使い果たす前に、問題を正しくとらえていること、いっそ「正しくとらえ直すこと」が何より肝心なのです。
異常なようで、「最もする同」アプローチ
このアプローチをやってのけた人物がいます。
アメリカのホットドック大食い選手権で優勝し、その後も記録を伸ばし続けた日本人の若者、「コビー」こと小林。
三重県で経済学を学んでいた大学生だった彼は、173センチで華奢。
そもそも大食いな方ではありませんでしたが、それでも胃は丈夫で小さいころから食欲は旺盛でした。
恋人のクミと二人で暮らしていましたが、電気代が払えなくてろうそくで明かりを問ていました。
二人とも裕福な家庭の出身ではなかったのです。
そんな折、優勝者に50万円の賞金を出す大会があると聞きつけたクミがテレビの大食い選手権に応募はがきを送りました。
しかし、華奢な彼が勝つには、頭を使ってライバルを出し抜くしか方法はありません。
大学で学んだゲーム理論が役立ちました。
過去の大会を研究したコビーは、ほとんどの選手が序盤にいに詰め込みすぎて、勝ち進んでも、せっかくの決勝ラウンドで成績を残せないことを見つけます。
そこで、序盤のうちは各ラウンドを勝ち抜くのに必要最小限だけ食べて、体力とエネルギーと胃の容量を確保。
50万円の賞金を勝ち取って、コビーとクミのアパートに明かりが戻りました。
なぜ「突然変異」的記録が出たのか?
コビーはプロになることを思い立ちます。
早食い界のスーパーボウル「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」に標準を合わせます。
これは、40年ほど前から開催される、民放テレビ局ESPNでいつも百万人以上の視聴者を集める一大イベントです。
12分間にできるだけたくさんのホットドッグを食べるのがこの大会のルール。
ケチャップやピクルスをかけても、どんな飲み物を一緒にオーダーしてもOK。
コービーが出ると決めた2001年当時の世界記録は、12分で25本と8分の1のホットドッグでした。
彼は自宅で練習を重ねます。
日本では大会に使われるような材料がなくて、魚肉ソーセージ、食パンをスライスして代わりにしました。
前年度は上位3位を日本人が独占。
新井「ラビット」和響が世界記録を塗り替えていました。
新人のコビーはノーマークで、参加資格のない高校生と間違われた挙句、ほかの出場者に「なんだその足、俺の腕より細いじゃねえか!」と小馬鹿にされたりします。
では、結果はどうだったのか?
初出場のコニーアイランド大会で、圧勝してコビーは世界記録を更新。
それまでの25本と8分の1本の記録を、なんと50本!
華奢な23歳のコビーこと小林猛は世界の記録を倍に伸ばしたのです。
異常なようで「最も鋭い」アプローチ
コニーアイランド大会に向けた彼の訓練は、実験とフィードバックの大きなサイクルでした。
コニーアイランドの出場者がみんな似たような戦略を問ていることに、コバヤシは気が付いていました。
というか、そもそも普通の人が裏庭のバーベキューで食べているような、早回しにしているような戦略とも呼べないものでした。
ソーセージとパンを一緒くたに口に突っ込み、端からかみ砕いていって、水と一緒に流し込む。
もうちょっと上手いやり方があるのではないか、とコバヤシは考えました。
食べる前にソーセージとパンを半分に割ってみる。
すると、かんだり飲んだりする方法に幅が出たし、口でやっていた作業が手に任せられてラクになりました。
この作戦はのちに「ソロモンメソッド」と呼ばれるようになります。
ソロモン王が赤ちゃんを2つに切り裂くと脅すことで本当の母親を見分けた、聖書の話にあやかった名前です。
さらにコバヤシは研究を進めます。
ソーセージとパンは一緒に食べなくて見いいのではないか。
もちろんおいしく食べるには、一緒に絡み合わせた方がおいしいに決まっています。
しかし、食道を通る際に、ソーセージだけだとすんなり滑りますが、一緒だとパンが場所をふさぎ、たくさんかむ必要が出ます。
ソーセージとパンをバラして、さらにソーセージを半分に割って数本まとめて呑み込み、それからパンを食べることにしました。
しかし、パンを飲み込むのに手こずっていました。
そこで、2つに追ったソーセージを片手で口に詰め込みながら、もう片方の手でパンをコップの水に浸し、余分な水をぎゅっと絞ってから口に放り込んだのです。
余計な水をとることになり、デメリットが大きそうに見えました。
しかし、ふやけたパンにより、これは水を飲む時間を節約できたのです。
研究の結果、咀嚼筋をゆるめるには、ぬるま湯が一番いいとわかりました。
見ずに植物油をたらすと、パンを飲み込みやすくなるようでした。
試しながら「却下」する戦術を決める
彼の実験はとどまるところを知りませんでした。
特訓の様子を逐一ビデオに撮り、データを全部スプレッドシートに入力して、非効率やミリ秒単位の無駄にも目を光らせました。
食べるペースについてもぬかりなく実験しました。
出だしの4分で飛ばして、なか4分はややペースを落とし、最後に「猛ダッシュ」がいいのか。(「出足」が感じんでした)
また、睡眠を十分にとるのがとくに大事だとわかりました。
ウエイトトレーニングもです。
強い筋肉は租借力を高め、吐き気を我慢するのに役立ちました。
飛び上がったり体をくねらせながら食べると、胃にスペースができることもわかりました。
この野獣のような踊りには「コバヤシ・シェイク」の異名がつけられました。
どの戦術を採用するかと同じくらい重要だったのは、どの戦術を「却下」するかという判断でした。
こういう積み重ねを通して、肉体的な準備を整えると精神的にハイな状態に持っていけることに気づきました。
次回は、ここから得られる教訓についてくわしく勉強していきます。
今日もお疲れさまでした。
少しは休めましたか。
暖かくして、素敵な夢を。
では、また。