仕事が忙しくて、やりたいことが出来なかったり。
やせたいと思っているのに、つい食べちゃったり。
嫌になって、憂鬱になります。
憂鬱になってしまうと、気持ちを持ち上げるにも一苦労しませんか?
実はこの憂鬱、相反するもの両方が欲しくなってしまっているときに生まれるそうです。
マインドが両方を欲しがっているけれど、どちらも同時に選べないから苦しくなるんだそうです。
相反欲のどちらも選べずに動けずに、気が重くなる
マインドを不調にさせるものに「相反欲」があります。
相反欲とは、同時には達成できない2つの相反する欲求のことだそうです。
相反欲の場合でも、マインドはその両方を満たそうとしますが、どちらも同時に選べないので苦しくなります。
「生きるべきか、死ぬべきか」と言ったシェイクスピアの主人公・ハムレットですが、「生きること」と「死ぬこと」は、同時に選ぶことができず、悶々とするのです。
例えば、
「あの人に好きと告白したい。
でも、振られたら悲しい。
だから、告白したくない」
という状況は、「好きで付き合いたいから、告白したい」という欲求と、「振られて傷つくのは嫌だから、告白したくない」という両立しない欲求がぶつかっています。
根底にそれがあって、マインドは振り子のように左右している状態です。
さらに詳しく見ると、マインドは右の扉を開けようといろいろ考えますが、どうしても左の扉に戻ってしまいます。
左の問らを開けようと頑張りますが、やっぱり右の扉に戻ってしまいます。
そこでいろいろ検討した事項を捨てずに持っているため、検討した資料が鞄にぎっしりつまっていて、重たくて前進できない状態になります。
人生はどんな行動でも多少危険が伴い、完全に安全な決定は何一つありません。
それにもかかわらず、マインドは最善の決定をしたいがために見当が長引くわけですが、身体を動かさずに同じことをなども考えているため、次第にうつうつとした感情になってきます。
相反欲をハートに決断してもらう
憂鬱になっている自分に気づいたら、まず自分が何と何を欲求しているのかを見極め、同時に両方できないことを望んでいることに気づきましょう。
たとえば、「あの人と結婚したい。でも、不安があるので結婚しない」という相反する検討事項があったとします。
絶対に失敗したくないマインドは、なかなか結論を出してくれません。
マインドは考えたり計算したりする機能であり、決断する機能ではありません。
人生における重要な決断は、マインドの動きを止めて計算できないようにして、自分の本心(ハートの声)を聴いてみましょう。
次のようにします。
まず、相反する欲について、はっきり言葉にして分けておきます。
そして、「さいころの目が奇数なら結婚する。偶数なら結婚しない」と、相反する部分を明確にしてさいころを遠くに投げます。
目が出る間にマインドが、「彼の家柄が・・・給料が・・・」と計算する暇はありません。
これは決定を運や点に任せているのではなく、ハートを行動の現場に呼び出しています。
さいころの目を確かめる直前に、「奇数が出てほしい」あるいは「偶数が出てほしい」と、一瞬にしてハートが内側で叫びます。
これは計算をしていない自分のハートの声で、それが本音です。
その声が聞こえたら、もうさいころの目を確認する必要はありません。
さいころの目とは関係なく、あなたのハートの声が聞こえたら、それに従うのです。
あなたが望んだ決断だと嬉しくなり、後悔もしません。
マインドが一所懸命に「最善策」を練っているから、どんどん心のカバンが重くなって判断が余計にできなくなって、憂鬱になっていたんですね。
マインドは、自分を幸せにしようと、必死で日々働いているんですもんね。
でも、さっぱりとどちらかを選べるようになりたいものです。
鉛筆にさいころの目でも書いて、ハートを呼び出すトレーニングでもしてみるのも、面白いかもしれません。
今日も1日、お疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。