薄暗い魔窟を思わせる店内に、黒髪をボブに切りそろえたの女店主が一人。
店内に流れるジャズは、目をつぶると身体に響いて、涙が出そうになる。
昔、大好きだった喫茶店がありました。
店の名前は「ポエム」。
こんばんは、ラブです。
20年ほど前に通った喫茶店について、ちょっとした思い出とともに。
古着屋と古本屋と骨董品店が並ぶ街。
その街はずれに喫茶店「ポエム」はありました。
古ぼけた赤い看板。
時代を感じるレンガの外装。
小さくて分厚い木目の扉。
「イチゲンさん、お断り」と張り紙でもしてありそうなその風貌。
まだ20歳そこそこの友達が、なぜかそこの常連で、一緒に入ったのが始まりでした。
ドアを開けると「カラン♪」と音がします。
店の奥から、肩までのボブカットの50代くらいの店主らしき女性が、すこしだけ笑顔を見せました。
「ここはね、抹茶ミルクがおいしいの」
当然のようにカウンター席に座り、目を丸くしている私に友達が得意げに笑いました。
わたしも焦りつつ、抹茶ミルクを注文。
女店主と友達は、楽しそうに仕事の話やプライベートのあれこれをしゃべりだしました。
家族と決してうまくいっていない友達。
どうやらこの女店主を「ママ」と呼んで、あれこれ相談していたようです。
これでも、かなり仲が良いつもりだったんだけどな、と少しやきもちを焼きつつ、二人の会話を聞きながら待つこと数分。
カウンターテーブルには、星や宇宙の雑誌が置かれています。
女店主は、器用に抹茶を立てると、シャンパングラスへ。
ミルクと溶いた砂糖を静かに注ぐと、
彼女に先に抹茶ミルクを出しました。
まぁ、どうせイチゲンさんですからね。
暇なので店内を見回すと、天井も壁もファーのような素材だけで敷き詰められています。
天井まで張るのは、なぜだろう???
二人が楽しげにおしゃべりしている間、耳を澄ませていてわかりました。
この壁がジャズの音を最高に引き立てているようです。
正直今まで、まじめにジャズなんか聞いたことがなかった。
でも、その店で聴くジャズは心臓まで響くゆらぎをもっていて、息をつく度に心の底をもっていかれる力がありました。
「すごい。この音、すごい!」そう思って女店主の顔を見ましたが、鼻でふんと笑われて終わり。
「これ、何て曲ですか!?」
あんたなんかに分かりっこないわよ、という表情をしながら、女店主が見せてくれたのは大きなレコードジャケット。
トランペットを吹く黒人の写真。
「ジャズって、こんなに良かったんだ・・。」
というお子様発言をするわたしに、ニヤリと笑う二人。
やっと出された抹茶ミルクは、苦みと濃厚さで倒れるほどおいしく、何もかも一発でファンになってしまいました。
ジャズのかっこよさに惚れ込んで、家でも聴いてみたのですが、どうにもあの感動にはいきつかない。
「やっぱり、あの店でなくちゃダメなのかな!?」
思い切って一人で尋ねてみたのですが、たいがい閉まっています。
何曜日が休み、なんてどこにも書いてはありません。
どうやら店主の気分で開けているようです。
向かいの古本屋に立ち寄ったある日、偶然にもプレートが「OPEN」!
一人ですが、思い切ってドアを開けてみました。
あの女店主がわたしを見て、軽く鼻で笑った後、「いらっしゃい」とだけ一言。
またしても、お客が一人もいない店内。
どこに座ろうか迷っていると、カウンターを指さされました。
どうやらここに座れ、という意味らしいです。
緊張しつつカウンターに座ると、メニューを出す前に奥の棚からレコードを引っ張り出しています。
横目でわたしを見て、2枚のレコードを見比べ、もう一度わたしを見てから、かかっていたレコードと取り替える。
低音がお腹の底に響いて、脳が揺さぶられる感覚が再び襲ってきます。
やっぱりこの店で聴かなきゃだめだ・・・。
「何を頼むの?」とやっとオーダーを訊かれました。
「抹茶ミルクをお願いします!」
どうやらこのオーダーで、この間連れてこられた女の子だと理解された様子。
「ふ!」と笑って抹茶ミルクを作る。
抹茶ミルクを作る女店主をよく見ると
・・・眉毛がない。
まずいものを見た気がして、急いで横の雑誌を開きました。
宇宙の表紙で英語で書いてある雑誌。
あけるとオーロラの写真。
「この間、このオーロラを見たくてアラスカまで行ってきたのよ。」
驚く私に、
「みんなでね、手をつないで輪になって、地球の平和を祈ってきたの・・・。」
ほー!?
オノ・ヨーコみたい感じのヒトなんだな、と自分をむりやり納得させる。
ちょっと怖いけど、とにかくジャズがどうしようもないくらい、イイ。
そして抹茶ミルクは今日も最高!!
ジャズを家で聴いたけれど、まるで違っていたことを話すと、
「そりゃ、ね。」
と言って、また鼻で笑われました。
それから数回通いました。
女店主のちょっと長いスピチュアルな話には、少し困ったりしたけれど、たまにどうしようもなくその店でジャズが聴きたくなるから。
やがて就職して家庭を持ったころ。
その大の仲良しだった友達と大喧嘩をしてしまいました。
そんなある日、機会があって「ポエム」に立ち寄ることができました。
奇跡的に「OPEN」の札!!
入ると、4年の時間が全く止まっていたかのように、まったく変わらない女主人が、ちょっとだけ笑って「いらっしゃい」。
店内には、珍しく熟年の男性客が一人。
いつもの音に目をつぶって。
低音がお腹の底に響いて、ため息がでます。
抹茶ミルクを頼んですぐに、思い切って友達の様子を聞いてみました。
「あの子ね、私も何年か見ていないわ。」
まっすぐで喧嘩っ早くて、放っておけない友達でした。
でも、一度言い出したら聞かない人。
他で気持ちを吐き出す場所が、あるのか・・・。
きっともう会えない。
その街を遠く離れたわたしが、「ポエム」の前を通ったのは、さらに5年後。
再開発で街が様変わりすると聞いて。
久しぶりに通るその道は、ちっとも変っていなかったし、向かいの古本屋は変わらず営業しているようでした。
でも、「ポエム」はすっかり古ぼけて雑草が入口に生えていました。
友達ともそれきり。
昔は、レコードでジャズを聴かせる店がよくあったそうですね。
CDでカットされる微妙な音域がレコードには出せるから、レコードの音は人間にゆらぎを与える、なんて聞いたことがあります。
もう会えない音と人。
その時は、当たり前のように横にいたものが、時がたって手に入らなくなることもあるんですね。
ここまでお付き合いくださって、本当にありがとうございます。
温かくして、ゆっくりお休みください。
では、また。