モヤッとする気持ちは、そこに納得できない何かがある証拠。
心の中を断捨離してすっきりしたいと思いませんか?
こんばんは、ラブです。
とらわれることで重くなっている心
私たちは無意識のうちに、自分軸を失いほかの人の考え方や空気にとらわれるもの。
日々「とらわれている」ものに気づき、観察して分析し、どんどん手放して今日は心を軽くしていこうと思います。
「いい人と思われたい」キモチ
「悪く思われたくない」が本音でしょうか。
「私は嫌われないように努力しているのに、あなたのその態度はなんだ!」などという勘違いな怒りを持つことが・・・正直あります。
嫌われたくない、という気持ち。疲れているときは特にこのキモチに押されます。
断捨離では「私はいい人でありたい」という自分軸の表明を自分にすることをすすめています。
自分の判断する「いい人」にできる範囲で「ありたい」。
しっかりと自分の考えに軸足を置くことを意識したいものです。
相手への期待
無意識にしてしまう、相手への期待。
電車で席を譲ったら、無意識に相手に感謝を期待してしまったり。
それが無いときに、こころを重くしてしまうことも。
家族に対しても同じです。
断捨離では、「選択・決断」の「結果」に対して執着することを手放すことを求めています。
自分の「選択・決断」に対する潔さ。結果を受け入れる強さを持つということかもしれません。
口ぐせが気づかせてくれるブレ
私たちの無自覚・無意識の領域を教えてくれる「口ぐせ」。
「どうせ」「しょせん」は、諦観とか悲観、蔑み。
その底には「他者との比較」が隠れています。
スタンスが他人軸なのです。
「ちぇっ」は厭世観や忍耐のなさ、
「ふうっ」はけだるさや怠惰を感じます。
それを意識的で構わないので、「よしっ」「やるか」に切り替えることで、気持ちを軽くすることができます。
今の生き方は、自分が本当に望んだもの?
今の気質や性格、人とのかかわり方は自分がなりたかったものでしょうか?
ワタシは30年以上、親との関わりの中で獲得した「(人懐っこいふりをしておいて)根本では人を信用しない」という性質を持ち続けていました。
手放すのは度胸が要りますが、自分の本を読んだり人と話す中で、ほんの少しずつ断捨離出来たようです。
次に手放したいのは「自分を信用しない」という性質です。
子どものころの経験で作り上げたのが「今の生き方」であり「今の性質」だとか。
今の性質を作った原因の経験は、未熟で論理的ではない理不尽な理由であることも多いもの。
要らないなら、手放す勇気をもつこと。時間はかかりますが、自分を軽くすることができます。
過去や将来の悩みは断捨離可能領域
くよくよしても始まらないのに、暇になるとエンドレスにループしがちな過去の出来事。
テレビはじめマスメディアであおられる将来や老後の不安。
過去は断捨離ができるようになってきました。一番有効なのは「書き換え」でした。
ごく最近ですが、「嫌だった思い出」を「あれがワタシを成長させてくれた」と思い直すことで、「嫌な過去のエンドレスループ」という輪廻から解脱できました。将来の心配も、しすぎても仕方ないことです。
最低限の貯蓄をしたら、それ以上を溜め込もうとしないことも大事ですね。
怖くてたまらなくなったりする日もありますが、状況の変化もあるでしょう。
際限ない貯蓄欲に人生が押しつぶされそうになりますので、ここで断捨離したい。
子どもに迷惑をあまりかけないで自由に生きたいと思う以上、どんなエンディングも覚悟することにしました。
自己肯定感を強く持つこと
捨てるという作業には、強い心の力が必要ですよね。
その根底には「自己肯定感」をしっかり持つことが重要です。
親に肯定されずに育ったタイプの人間は、ワタシを含めてこれが欠如します。
アドラー心理学では、「他者貢献」によって自分の性格を書き換える勇気をつけることができる、といいます。
断捨離は、「モノでなく自分」を大事にすること。
そのプロセスを具体的に日常で繰り返すことでも、自己肯定感を高めることができます。
断捨離は心のトレーニング
断捨離は自分の身の回りのモノを使った、心のトレーニング。
それによって得られるのは、広くなった我が家だけではなく、「決断できる自分」や「やり遂げられる自分」というセルフイメージでもあります。
片付けてもまた散らかるのが人間というものですよね。
でも、繰り返し断捨離をトレーニングすることができるから、それも素敵なチャンスなのでしょうね。
参考図書
今日も一日、お疲れさまでした。
温かくして、楽しい夢を見て、明日もすてきな一日を!
では、また。