猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

本気で立ち向かっている人が見つけたこと~『リンゴが教えてくれたこと 木村秋則』

農協も近所も常識も敵に回して、10年も収穫0の中で自然農法に取り組んだその根性とまなざしの軌跡。

 

 

こんばんは、ラブです。

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何度読んでも、「本気で血の涙を流して努力した人はすごい!」と思ってしまう。

「奇跡のリンゴ」の木村秋則さん。

家族と貧乏のどん底にいながらも、必死の試行錯誤を繰り返した人。

リンゴの木と昆虫のかかわりを、学者よりも詳しく観察して検証。

リンゴの木本来が持つたくましさを最大限に引き出しました。

そして、誰にもマネできない最高の品質を持ったリンゴを完全無農薬・無肥料で育てた人です。

 

その人が、どうリンゴと向き合ったのか。

他の人とはどう違ったのか。

その視点を知りたくて読みました。

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皮膚が向け、痕がまっ赤に

はじめは一般のリンゴ栽培農家と一緒で、木村農園も農薬散布で徹底した病害虫の駆除を行い、化学肥料も十分にしようして生産性を確保していました。

ところがその農薬ですごく家族の身体が痛めつけられ、本人も農薬に負けたことが、無農薬の畑にきりかえるきっかけに。

当時は劇薬のパラチオンも使われていて、散布後はリンゴ畑の周辺にどくろマークの三角旗が立てられていたそうです。

有機農業へ

当時、鶏糞、もみ殻堆肥など有機農業をお兄さんが経営していたこともあり、やってみたいと一念発起した木村さん。

化学肥料を有機肥料でやろうと、重労働もかまわず走り回りました。

図書館で資料を読み漁り、「自然農法」にも強く惹かれていきます。

農薬を減らしていくうちに、「安全なリンゴ」を消費者に届けたいという気持ちが湧いてきます。

最初はいいことづくめ

養子だった木村さん。でも養父が米栽培でも「肥料は使うな」、「今の農業は間違っている」と除草剤を嫌がるなどの「考え」を持った人だったので、賛同を得ます。

結婚するときに実家の親から分けてもらった畑。

7年目にして無農薬栽培を決意。

しかしここからが苦節10年の始まりでした。

 

農薬をやめると、リンゴは病気に。

さらに輪をかけて害虫の被害が出てきました。

そこで木村さんは、酢、焼酎、塩、すりおろしたニンニクを薄めて散布。

牛乳が良いと聞けば散布。

片栗粉、小麦粉、ニラ、玉ねぎ・・・。

でも、農薬に勝るものはありません。

「かまどけし」と言われて

病害虫が増えたことで、世間からの風当たりが強くなり、非難されました。

青森県では黒星病ほかリンゴの病害虫に関する条例も定めていました。

近隣の農家も、はじめは同情的でしたが、病害虫の発生を恐れて、見る目が厳しくなります。

「かまどけし」と呼ばれました。青森では「破産者」を意味するそうです。

村八分の状態に追い込まれていきました。

職業に貴賤なし

試行錯誤の数年間は、リンゴが全く実りませんでした。

子どもの教材費もままならない生活の中、キャバレーで働くこともありました。

人様に迷惑をかけない限り、仕事に良い悪いはない、と木村さんは学んだそうです。

その仕事中に知り合いに会い、心無い言葉をぶつけられることもありました。

実母の「職業に貴賤なし」の言葉に励まされ、それでも勤勉に働き続けました。

そんなとき、客引きした相手がやくざと後から気づいたことがありました。

店に入れるわけにはいかないと思ってやくざに謝るも、散々殴られた木村さん。

命からがら逃げかえった木村さんを「よく助かったね。」とねぎらってくれるホステスさん。

このやくざとのことを機にやめることになったとき、店長も「きっといいリンゴができるよ。がんばりなさい」と退職金をはずんでくれました。

夜の世界の人たちは人情厚く、温かく接してくれたと言います。

虫は隣の畑から飛んできた

隣の畑の生産者に「あんたのところの畑に虫がいっぱいいて困る」と言われた木村さん。

夕方その人と畑を観察することになりました。

夕闇が迫る頃、夜行性である蛾が隣の生産者の畑から次々数え切れないほど飛んできました。

木村さんの畑からは1匹も飛んできませんでした。

この土を作ればいい

やることなすことすべてダメになり、万策尽きて、ノイローゼ気味になった木村さん。

死んでお詫びをしようと山にロープをもって入りました。

リンゴのことばかり考えていたので、どんぐりの木をリンゴと見間違えました。

たくさんの実をつけたどんぐりの木。

だれも肥料も農薬も与えていないのに、元気に満ちています。

その木に下には、うっそうと茂る下草。ふわふわの土。たくさんのバクテリア

「この土をつくればいい」

そう気づいた木村さんは、山の土をあちこち集め、土の研究を始めました。

リンゴ畑に応用しようと下草を刈ることをやめます。

その草が伸びたその年、初めてリンゴの木の葉っぱが落ちませんでした。

下草がリンゴの葉を病気から守ってくれたのです。

夏場、35度の外気温がある日も、草ぼうぼうの畑の土は10度くらい低くなりました。

足掛かりができる

草ぼうぼうになることで、野うさぎが走り回り、テン、イタチ、野ネズミの宝庫になってきた木村さんの畑。

山の土のにおいに畑を近づければ、きっと完全な自然栽培ができると確信します。

以前は木村さんの畑の土は手で握っても崩れなかったのが、ミミズのふんが増えてさらっと崩れるようになります。

 

リンゴにつく虫を捕り、変化していく畑の様子を見ながらわかったことがありました。

自然界のバランスは自然そのものの営みによって出来上がっていくもの。

人間はせいぜいその営みがスムーズにいくように環境を整えてやるくらいしかできないのです。

草ぼうぼうに教えられる

今の農業は観察する力を失っている、と木村さんは言います。

土の上だけ、見えるところだけしか見ていない、と。

専門家が見えないところに目を向けても、根1本だけ見て物事の結論を出そうとしている、と。

木村さんも失敗を繰り返しています。

常識や人と反対のことをやってきたから答え煮たとりついたと言えなくはない、と。

畑をぼうぼうにする前は、県の指導である「下草を丁寧に刈りなさい」という言葉に木村さんも従っていました。

雑草と養分の取り合いになるから、という理由です。

草ぼうぼうにした方が、植物が生き生きと実をつけるという事実に木村さんが気づいたのは、山に自殺しにいった時。

でも、木村さんのリンゴがなっていない頃の畑の隅にあるブドウ、モモ、プルーン。

虫の観察に忙しい木村さんのせいで、実は草ぼうぼうの中で元気に育っていたそうです。

木村さんでさえ「木を見て森を見ず」ということはあるもの。

十分に観察することは大切で、そして難しいことでもあるようです。

回り道はすばらしい肥料にすることができる

10年近く収穫0でありながら、試行錯誤をくりかえし、究極の栽培方法を見つけていった木村さん。

つい結果を急ぎたがってしまう自分を反省しました。

本質を見極めるためには、試行錯誤を繰り返す覚悟が必要であることを教えてもらいました。

実際の農業では、農薬を使わないことがどんなに勇気がいるか、農業に関わっている人に聞いたことがあります。

自分も職場で本当にやるべきことをまっとうしようとするときに、大きな勇気が必要な時があります。

慣習、周りの目、常識の壁を打ち破るには、一筋縄ではいかないけれど、勝負しなくちゃならない場所では立ち向かってみたいなぁと思えました。

それには、なにより実力、実力・・・。 

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今週もお疲れさまでした。

この週末、すこしは休めるといいですね。

ゆっくり休んでよい夢を。

では、また。