「ありがとう」を朝唱えると、潜在意識が楽しいことを探します。
自分の脳が楽しいことばかりを次々発見していく過程は、圧巻ですよ!
こんばんは、ラブです。
「ありがとう」という簡単な感謝の言葉を、ちょっとした時間があったら口の中ででももぐもぐと唱える。
そんな超かんたんな手段ではありますが、これがなかなか面白いです。
いつも通りの朝の準備しながら「ありがとうありがとうありがとうありがとう・・・」。
お坊さんが修行でお経を唱えながら歩き回るかのごとく、意味なんか考えないでぶつぶつと唱えておきます。
実践2日目あたりから、自分が作った朝食であったり、息が吸えたり、家族の些細な一言などに自然と感謝が湧いてきたりします。
1日がちょっとキラキラしてくる感覚があります。
実践から1週間くらいたつと、待ちゆく人がちょっ笑顔だったり、おじさんがハゲていたりすることにまで感謝しだすんですよ。
これは本当!
そうなると、機嫌が悪くなりようがないんです(笑)!
春の変化に向けて緊張しやすい時期じゃないですか・・・。
笑顔で気持ちの良い季節を迎えるためのスキルとして、いかがでしょうか?
昨日は小林正観さんの考え方をざっと学びました。
本日は、穏やかな状態にキモチをキープするためのポイントについて教えてもらいます。
否定しない、怒らない、イライラしない
自分の正義に「?」をつけてみよう!
人はつい、「自分は間違っていない」とか「自分は正義である」とか「相手が間違っている」と思ってしまうものですね。
そんな時に人は、威張ったり、怒鳴ったり、怒ったりしてしまうそうです。
自分が自分を律するために正義感や使命感を持つのは、構わないことです。
でも、自分への律し方を人に押し付けるのは、違いますよね。
あなたも、押し付けられて嫌な思いをしたことがあるのではないでしょうか?
だから世の中は争い事が絶えなかったりするのではないでしょうか。
自分の正義を押し付けることから、相手に対して憎しみや怒りが湧いてしまうようなのです。
一人一人の時間も考え方も、すべて違っていて、それぞれが正解なのです。
考え方が違うことって、本当は当たり前のことなのに。
それでも日常の中では、ついそれを忘れて「相手が間違っている!」なんて思ってしまう。
うっかりそんな気持ちになってしまったときはあるかもしれません。
でも、怒らないこと。
相手を憎まないこと。
「もしかしたら、私が間違っているのかも?」という謙虚な気持ちを持つこと。
そんな意識を持つことで、怒りが静まってきます。
「い・ど・お」の心を捨てることを著者は説いています。
「い・ど・お」とは、
・「威張る」の「い」
・「怒鳴る」の「ど」
・「怒る」の「お」
です。
小林正観さんは、謙虚であることを大事にすることが肝心だと述べています。
謙虚であるとは、自分がどう生きるかを、自分に課して生きること。
人にどう生きるかを押し付けるのではありません。
自分の価値観を他人に押し付けてしまうと、まわりのものも見えなくなります。
すべてがちょうどいい
お釈迦様の言葉に、
「すべてがあなたに ちょうどいい」
というものがあるそうです。
すべてがあなたにちょうどいい
今のあなたに、今の夫がちょうどいい
今のあなたに、今の妻がちょうどいい
今のあなたに、今の親がちょうどいい
今のあなたに、今の子どもがちょうどいい
今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい
今のあなたに、今の友人がちょうどいい
今のあなたに、今の仕事がちょうどいい
死ぬ日も、あなたにちょうどいい
すべてが、あなたにちょうどいい
自分のまわりの人たちについて、いつも「悪口」を言う人がいます。
「夫がこうで、どうしようもない。どうしたら思い通りになるのか。」
「子供がこうで、心配だ。どうやったらもっと良くなるのか。」
あなたがそんな相談を受けたら、どう思いますか?
相手が批判されても仕方ない状態だとしても、はたから見ていて、それを批判してばかりいる本人も「同じレベル」に見えるのでははいでしょうか?
本当に困る夫なら離婚すればいいし、または自分を変えて現状打破するしかないんですよね~~。
それなのに、相手のグチを周囲にこぼして悲劇のヒロインになっている妻だとしたら、かっこわるすぎます・・・。(反省!)
「人の悪口を言わないあなた」でいれば、「悪口を言わない仲間」が集まります。
「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」と言い続けると、そういう仲間が集まってきます。
悪口を言う人には、悪口を言う仲間が集まるように。
すべてがちょうどよくできているのですね。
言葉を変えて、環境を変えましょう。
「痛み」がなくなる方法
それは、「神経がピーンと張っている状態」であり「神経をピーンと響かせる外的な状況」があるということ。
風や天気などの外的な状況は変えられませんね。
でも、神経を緩ませることはできます。
それには意識して自分の神経を緩めることです。
じつは、「許す」の語源は「緩ます」であり、神経を緩ませていない人は人を「許せない」人であるから、痛いらしいのです。
また、自分に厳しい人は、他人にも同じレベルで厳しい。
「自分に厳しく他人に優しい」人って、稀ですよね。
自分に対して「よい加減」を知り、「自分の能力に見合った自分の生き方」を知ること。
自分を許せてこそ他人を許せるものですね。
他人を許せたら、緩ますことができます。
そうすることで、痛みを和らげることができるのだそうです。
「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言い続けると、そういう人生に
「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を著者は五戒と呼んでいます。
口にしないよう戒める必要があるそうです。
何を言っても「五戒」を言わずに、口から出る言葉がすべて優しく周囲を元気づけるものであるならば、神様や宇宙を味方につけることができるそうです。
確かに周りの人を思い浮かべてみると、「思い通りにならない」と言い続けているような人は、確かにそのような「思い通りにならない」人生を歩んでいるもの。
「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」などの言葉を著者は「祝福神」と呼んで大事にしています。
こんな言葉をよく言う人は、まずラッキーばかりが起きる笑顔の似合うシアワセな人生を送っていますよね。
「人間はたいしたものではない」と思い知れば、イライラは1秒で消える
太陽が昇ることにも、月が沈むことにも、私たちは文句を言いません。
でも、「人がしたこと」には寛容になれないことがあります。
「上司がひどいことを言った」
「子どもが言うことを聞かない」
と怒ってしまう。
人間は「感情的になる」「腹を立てる」「怒る」「妬む」「憎む」という感情的になる部分があります。
そして「人間が何かことをなしている。
そして、私に悪意的に働きかけてきた」と思うときに感情的になり、怒鳴りたくなるのです。
感情的になることを克服するひとつの方法が、
「人間はたいしたものではない」
と思い知ることだと著者は言います。
もともと人間は、たいしたものではありません。
自分が肩に力を入れて、勘違いして虚像を作っているだけ。
その虚像はまぼろしなのだと著者は言います。
「不幸という名の試験」で、人間の心のレベルが昇進する
人間の心のレベルが上がるときには、試験があります。
「一見理不尽で不幸な現象」という姿をして試験がやってくるそうです。
それを「五戒」を言わないで過ごすと魂がレベルアップ。
「嫌いな人やげんしょうなどというものはない。
決めているのは自分自身だ」
と言うことに気が付いて一喜一憂しない。
それを笑顔で乗り越えると、人格上の「中学卒業レベル」。
数年後にはそれよりもっと大きな「高校卒業レベル」の”不幸”と呼ばれる現象が起きます。
給料が払われない、配偶者や子どもが言うことを聞かない、体調が悪い、睡眠も足りていない、という誰でもイライラする状況がやってきます。
そこでも笑顔で居られるかを試されます。
そんな試験がやってきたら、
「きた!自分もこの試験を受けるところまで、人格の修練を積んできたのだな」
と思いましょう。
その試験に合格すると、自分にとって楽しい出来事が起き始めるようになっているようです。
「五戒」を減らすことは、やってみると自分が楽しいですね。
祝福神とか、大事にしながら話をすることで、少しずつ自分や環境を大切にしていけたらいいな~。
今日はどんな1日でしたか?
明日からの1週間がもっとすてきな毎日になりますように。
では、また。