つい期待されるとがんばってしまい、さらに期待されてまた努力を重ねる。
そうして働いているうちに、自分が何をしたかったのか、見えなくなっていました。
他の人の期待は、麻薬のような中毒性を持っていて、自分自身を気づかないうちに明け渡してしまうんです。
こんばんは、ラブです。
この本の中で、大好きなフレーズの一つが、こちらです。
「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない
他人からの承認は、ものすごくうれしいものですよね?
「自分には価値があるのだ」と思えるから、劣等感を払しょくできたり、自分に自信を持つことができたり。
しかし、そればかりを追いかけていると、どうにも「人が褒めてくれない場所ではがんばれない自分」にぶつかります。
子どもが生まれた時、育児休業をとって仕事を休み、子育てをしていました。
しかし、嬉しいはずの子育てがどうにも達成感に(?)がつくのです。
それは、「どんなに頑張ってもだれも褒めてくれないから」。
しばらくして、子どもに愛情が湧いてくると、「やっぱり子育て最高!」となりましたが、「褒めてもらえるから頑張れる」という魔性の力は絶大だと感じました。
「褒めてもらえるから、頑張る」
「褒めてもらえないから、やる気が出ない」
そこには、他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしているキモチが潜んでいます。
そのあと子育てと仕事の両立をしながらも、どうしても仕事を優先してきてしまいました。
それは、ワタシが「他者の人生を生きていたから」です。
自分の価値基準が「他の人はどう自分を評価するか」とイコールになっているとき、本当に納得のできる答えを出せていませんでした。
「同僚のために、もう少し残って頑張るべき?」か「自分の家庭のために、早く帰るべき?」かどうか、毎日が葛藤でした。
その答えになったのが、こちらのアドラー心理学でもかなり重要なキーワードです。
誘惑を断ち切るためのスキル 「課題の分離」
例えば、なかなか勉強しない子がいます。
授業も聞かず、宿題もやらず、教科書すら出さない。
その子の親だったら、どうでしょう?
強権的な手法で勉強させる、という方法も世の中ではよくとられています。
しかし、そうすることでその子はまず勉強が大嫌いになりますね。
ここで、子どもと話し合うべきことは「これは、誰の課題なのか?」ということです。
つまりは、「これをやらないで困るのは、実際誰なのか?」。
その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのが誰なのか、はっきりさせること。
「勉強することで見える未来」と「しないとどのように困るか」を提示して、そのうえで自分で決めさせるって大事です。
もちろん、勉強に得意不得意はありますから、あなたが求めればそのサポートはしっかりやる準備がある、と伝えればいいのです。
実はわが子の学校の学年一勉強ができる子も、この言葉を親から言われていると聞きました。
一方、世間体や見栄、支配欲によって子どもに勉強をさせたがる親は多くいます。
親の「見栄」のために「勉強させられた」ら、どんなに勉強が嫌いになるでしょうね。
あなたも、よく世間で使われる「あたたのために言っているんだ」という言葉の欺瞞を感じたことがあるのではないでしょうか?
過度に注目して相手の課題に踏み込むことは、相手にもとても失礼なことです。
なぜなら、相手が「自分で考える力がない」から「代わりにわたしが考えている」ということです。
他者の課題に介入することはやめる。
それだけで、ワタシも仕事上であれこれと必要以上に背負ってきた荷物を80%以上おろすことができました。
後輩の失敗を背負い込んだり、同僚のキモチを察してあれこれ動き回ったり。
「優しさ」という仮面をかぶっていても、それは余計なお世話であり、かえって本人のためになっていないこともわかっていました。
そんなことよりも、早く帰って家族と自分も大事にしなければならなかったのに。
まぁ、「過去を悩んでも意味はない」とアドラー心理学でも言っていますので、これからこれから・・・。
課題の分離は、とても厳しい考え方だと思います。
実践するにも敵を作りやすくなることが予想されます。
この著書の名前の通りに「嫌われる勇気」さえ必要な気がします。
しかし、それができなくては、文字通り「自分の人生を生きられない」。
40年ちょっとの人生でしみじみわかりました。
この不況で心がささくれ立ちやすい世の中。
自分の人生をしっかり生きていくには、強いアイデンティティーを自分の中に日々育てていく必要がありますね。
どんな生き方をこれからしていくのか、この春に勉強しなおしていきたいと思っています。
もし気になったタイトルがある日には、おつきあいくださいませ。
考え方が変わると、人生が楽しくなりました
あれこれ忙しくて(ウソ、寒くてやる気になれず)、練習不足のまま出場したマラソン大会で、いつになく悲惨な成績をとってしまいました。
でも、楽しめたから良かった♪とも思えました。
それは自分の結果だし、それはそれとして受け止めるべきもの。
そう思えたら、失敗もまた愛おしく感じられたんです。
この発想に行き着けるようになったのも、アドラー先生他、さまざまな本のおかげです♡
数年前の自分だったら、ぶっ倒れてでも上位入賞にしがみついていたんですよ、本当に。
客観的に見て、かなり「イタイ人」でした・・・。
まぁ、負けるのが嫌でマラソンに挑戦することなど、考えたことさえありませんでしたが・・・。
今日は、何かひとつでも自分を大事にすることができましたか?
何かひとつでも、あなたが本当にやりたいことを実践していくことって、大事です。
心に体力が貯まって、何かをする勇気も自然と湧いてきたりするからです。
明日は、日曜日。
あなたにとって、またすてきな1日になりますように!
では、また。