今という瞬間が充実していないとき、なんとなく昔の自分の良かった時期ばかりが頭に浮かんでしまいます。
そして、昨日は恥ずかしいことにわが子に昔の自慢話をしてしまいました!
「いま、ここ」に集中して、「自己受容」を意識しなくちゃ、です。
こんばんは、ラブです
自慢する人は劣等感でいっぱい
学歴に劣等コンプレックスを持つ人は、「私は学歴が低いから、成功できない」と言い訳します。
逆に言うとこれは、「学歴が高ければ、私は成功できるのだ」という理屈です。
劣等コンプレックスを言葉や態度で表す人、「AだからBできない」と言っている人は、Aがなければ、私は有能で価値があるのだ、と言外に暗示しています。
できない自分を受けいれられない。
そうなるともっと安直に「優越コンプレックス」に人は走ってしまうのです。
あたかも自分が優れているかのようにふるまい、偽りの優越感に浸るのです。
たとえば、自分が権力者と懇意であることを、ことさらにアピールする。
経歴詐称や過度な服飾品のブランド信仰もひとつの権威づけと考えられます。
いずれも「私」が優れているわけでも、特別であるわけでもありません。
あたかも「私」が優れているような権威と結びつけることで、「私」が優れているように見せかける、偽りの優越感です。
その根底には、強烈な劣等感があります。
権威の力を借りて自らを大きく見せている人は
結局他者の価値観に生き、他者の人生を生きているのです。
自分の手柄を自慢したがる人。
過去の栄光にすがり、自分がいちばん輝いていた時代の思い出話ばかりしている人。
あたなの身近にもいるかもしれません。昨日ワタシもやっちゃいましたが。
これらもすべて優越コンプレックスと言えます。恥ずかしい!
わざわざ自慢している人は、むしろ自信がないのです。
アドラー心理学では、「もしも自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからに過ぎない」と指摘しています。
不幸自慢の処方箋
自慢について、複雑ですがよく見る事例として、「不幸自慢」もあります。
生い立ちなど、自分にふりかかった不幸を自慢するかのように語る人。
そして、他の人が慰めようとすると、
「あなたには、わたしの気持ちはわからない」
と救いの手を払いのける人。
こうした人たちは、不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという1点において他の人の上に立とうとしているのです。
例えば哲人の身長が人よりも低いということ。
これについて、心優しい人が「気にすることはない」と言ってくれても、「お前に背の低い人間の気持ちがわかるものか!」と拒絶したとします。
もはや、誰も何も言えなくなります。
まるで腫れ物に触れるかのようにして、大事に慎重に取り扱うようになる。
そうすることで、他者よりも「特別」になれる。
つまり、自らの不幸を武器にして、相手を支配しようとしているのです。
アドラーは「わたしたちの文化においては、弱さは非常に強くて権力がある」と指摘しています。
「あなたには、わたしの気持ちがわからない」という言葉には、一定の事実が含まれはします。
苦しんでいる当事者の気持ちを完全に理解することなど、誰にもできません。
しかし、自らの不幸を「特別」になるための武器として使っている限り、その人は永遠に不幸を必要とするのです。
「課題の分離」って大事ですね
ワタシの身近にも「病気自慢」の人がいて、誰かを捕まえては自分の病気を自慢しています。
これが実に苦痛です。話が長いわりに、何の解決も見出さないからです。
しかも、毎日の病院の送迎まで頼んできたので、最近距離を置くことにしました。
その人に優しくしたり、もしくは苦言を呈したりすることも考えましたが、そこまで言える関係ではないので「他者の課題」として切り捨てることにしました。
そうすることで、もしかしたら「趣味の病院通い」に歯止めがかかるかもしれません。
立場的には、この人を切ることは実にワタシにとっても評判を落とす話です。
でも他人の評判を気にして無理をすることは、「他人の人生を生きること」になるので、背筋を伸ばして断行しました。
「弱いです自慢」は、ワタシ自身が持っていた(うーん、まだあるかも?)性癖なだけに、他の人にそれを見せられるとアレルギー。
しかし、そうした人を見ることは「自戒することができる最高のチャンス」でもありますよね。
神様が、「お前も反省しろよ~?」と見せてくれている大事な教材なのかも。
社会でさまざまな関係性が広がる中で、「親切」を強要されることもあります。
つい「褒められると」嬉しくなってしまいますが、「他者の課題」であると考えることで、線引きがやっとできるようになりました。
アドラー心理学に出会えなかったら、そうした「他者の課題」に押しつぶされていました。
「他者の課題」であるならば、踏み込まないことが正解。
そのために嫌われることも構わないんだ、と断言してくれるアドラー心理学。
「思いやり」とか「その場の空気」とか、そんな抽象的すぎる言葉によって、傷ついたり、考えがぶれたりすることがあります。
人とのかかわり方が難しい今、生きる指針はこのシンプルなこの考え方に行き着くのではないでしょうか。
人間関係の悩みはつきないもの、とアドラーも言っています。
尽きないのは仕方ないからこそ、「他人から嫌われること」に縛られるのではなく、そこから自由になること。
そのための考え方をもう少し勉強していきたいと思います。
まだ気温がそんなに上がらないので、お気に入りのビオラやノースポールたちが元気いっぱい咲いています。
今年の春はじっくりと桜が開くのを楽しめるのでラッキーですね。
今日は、休めましたか?
明日からの1週間が、あなたにとってますます楽しい毎日になりますように!
では、また。