あなたは、「あなた」という容れ物を捨てることも、交換することもできない。
大事なのは、「与えられたものをどう使うか」です。
「あなた」に対する見方を変え、いわば使い方をかえていくこと。
こんばんは、ラブです。
対人関係は、「横の関係」で考える
昨日の勉強です。
つい「縦の関係」でとらえがちな対人関係ですが、「同じではないけれど対等」。
特に「ほめる」「叱る」などの評価を伴う行為は、人をアメとムチで操作するニュアンスが入ります。
人を本当に突き動かす力は、「自分は共同体にとって有益なのだ」と思えること。
「ほめる」「叱る」ではなく、感謝と尊敬。
自分の主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えることです。
共同体感覚に必要な、自己受容・他者信頼・他者貢献
共同体感覚を持つことは、具体的には自己への執着を他者への関心に切り替えること。
他者への関心に切り替えること、とは言い換えれば「相手が関心を持っていることについて、自分も関心を持つ」ことができるようになることです。
そう言っても、好きな相手とデートしているときだったらわかるけれど、「相手に興味を持つ」感覚をずっと持ち続けるなんて、難しい。
でも、これができる人を知っていますが、確かに対人関係は最強のスペックを持つ人でした。
うーん。
欲しいスキルだけど、大変・・・。
そこに対してアドラー先生は、
「そこで必要なのは、『自己受容』と『他者信頼』、そして『他者貢献』である」
と言います。
自己肯定ではなく、自己受容から「肯定的なあきらめ」
わたしたちは、自分自身という器を捨てることもできないし、交換することもできません。
「明日、新しい自分に生まれ変わるんだ!」
と言っても、誰がどう見ても同じ自分が考え方を少し変えただけです。
それよりも、まずは今の自分を「そのまま受け入れること」。
それは、「自己肯定」ではありません。
ワタシもうっかりやってしまうのですが、
「私はできる!」「私は強い!」
と自己暗示をかけること。
これは優越コンプレックスにも結び付く発想であり、自らに嘘をつく生き方であるとアドラーは指摘します。
確かに、これでうまくいったことは、あまり無いです。
一方で「自己受容」とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をそのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。
自らに嘘をつく必要がありません。
60点の自分に
「今回はたまたま運が悪かっただけ。きっと次はうまくいく」
と言い聞かせること。
よくワタシはやっていましたが、次回もたいてい60点です。
それに対して、60点の自分はそのまま受け入れたうえで、
「100点に近づくには、どうしたらいいか?」
と考えるのが自己受容です。
60点だった自分を悲観する必要はありません。
欠点のない人間などいないのです。
しかし、確かにあるのは
「向上したいと思う状況」にいるということ!
そして、「100点満点の人間」など一人もいない、ということ!
そこに本著は「肯定的なあきらめ」という言葉を使っています。
「変えられるもの」「変えられないもの」を見極める
わたしたちは、「なにを与えられているか」について、変えることができません。
しかし、「与えられたものをどう使うか」は、自分の力で変えることができるのです。
だから、「変えられないもの」ばかりにフォーカスして、
「あれができない」
「これも持っていない」
と愚痴を言っても、まったくの無駄なのです。
「こうすれば、あれができる」
「これがないから、あれで代用できる」
など、「変えられるもの」に注目していくこと。
しかし、そこには幻想の中の「スーパーマンのような自分」を夢見ることから卒業することを示しています。
自分そのものを認める『勇気』。
それを持つことを決意しなければならないのです。
勇気が要りますよね・・・・
人が見ていないと怠けてしまう自分。
ちょっとずるいことをしてしまう自分。
そして、「どんなに頑張っても、ここまでしかできない自分」。
そのすべてをひとまず諦めて認めてしまうこと。
ひとつだけ諦めるのは、「生まれついて100点満点の自分」です。
子どものころから大好きだったヒーローやヒロイン。
最強の必殺ワザで敵を倒していたけれど、そんなスペシャルな何かじゃなくて。
等身大で、一所懸命なあなたが大事。
上手くいかない毎日でも、ちゃんと過ごして積み重ねてきたあなたです。
60点。可愛いじゃないですか。愛おしいじゃないですか。
まだ、がんばりたいんですか?すごいな。
100点じゃなくて、もう少しだけ上を目指しましょう。
じゃあ、どうしたら「あなたがあなたらしく」頑張れるのか。
答えは、あなた自身が持っています。
肩の力を抜いて、そこから始めてみる。
アドラー先生の「自己受容」でした。
新しい年度の始まり。
何かと気ぜわしい季節を、おつかれさまでした。
ゆっくり休んで、最高の夢を見てくださいね。
では、また。