猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

深い人間関係のつくり方?~『嫌われる勇気』

春は、出会いの季節ですね♪

ちょっと仲良くなりたい人がもう少しすると出てきますね。

表面上だけじゃなくて、もう一歩信頼関係を築けるには、「信用」ではなく「信頼関係」を作ってみるのも、良い手段です。

 

こんばんは、ラブです。

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強くない自分を認める勇気

昨日は自己受容のことを勉強しました。

出来ない自分も、丸のまま認める勇気を持つこと。

そして、そこからどうなりたいのか、考えていく勇気を持つこと。

「自分ができること」と「自分ができないこと」をありのままに認めること。

それは自分の今のままの姿について、「肯定的なあきらめ」を持つことです。

自分の失敗に対して、「たまたま運が悪かっただけ」などの言い訳をして、自分を見る鏡にフィルターをかけることは簡単です。

でも、自分という器は取り替えられません。

 

自分という器では何ができのるか、どう使い方を変えていけばいいのか、を考える勇気を持つことが大事なのです。

 

understandlove.hatenablog.com

 

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傷つくのは怖いです

今日は、「他者信頼」について勉強したいと思います。

ワタシ自身が人からの裏切りに傷ついて、キモチにふらつきがでたことがありました。

人を信じて裏切られるのは、本当にきついですよね~~!?!

はっきり言って

「他者信頼」=ちょっと無理!!

 

 

しかし、裏切りを心の奥底で想定した人間関係では・・・・、本当の信頼は勝ちえないんですよね。

相手の目を見れば本当は「計算ずく」だったり「信頼してませんよ」とか、ちゃんとわかりますからね・・・。

当たり前ですけど・・・。

でも、新しいこの季節、「この人、いい人だな~!」と思った人とは、良い信頼を築きたいと思ったんです。

 

 

でも、裏切られるのは、とても怖い!!

ここで、『勇気』、なんでしょうか・・・。

 

では、アドラー先生の理論です・・・。

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信用と信頼とは?

肯定的なあきらめとしての自己受容ができたからといって、共同体感覚が得られるわけではありません。

「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えていくとき、大事なのが「他者信頼」になります。

他者信頼、他者を信じるということ。

「信じる」は、「信用」と「信頼」に分かれます。

 

「信用」は条件つきの話です。英語でいうなら「クレジット」。

たとえば銀行でお金を借りようとしたとき、担保が必要ですね。

担保の値に対して貸し借り金額が算出されるってことです。

 

しかし、対人関係の基礎は「信用」ではなく「信頼」によって成立します。

「信頼」には、担保をつけません。一切の条件を付けない関係です。

信用に足るだけの客観的根拠があろうとなかろうと、信じる。

それが信頼だそうです。

 

裏切られることもあっても、こちらが損害を被ることがあっても、なお信じ続ける態度を信頼と呼ぶそうです。

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誰でも信じる、という話ではないデス

だまされて利用されることも考えられます。

しかし、無条件に信じ続けてくれる人がいたら、何度も背信行為を繰り返すことは難しいでしょう。

 

もちろん、誰に対しても信じ続けることを説いているのではありません。

もし、あなたがその相手との関係をよくしたいと思わないのなら、ハサミで断ち切っても構いません。

それは、あなたの課題だからです。

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でも、「懐疑」を基礎とする対人関係では?

でも、あなたが「関係をよくしたい」と思う相手・・・たとえば、パートナーや大事にしたい友達など・・・その人たちと「信頼」がないとしたら?

 

信頼の対義語は「懐疑」です。

「目を離していたら、この人は本当は浮気をするんじゃないか?」

とあなたが心のどこかで思っていたら、まず相手には見透かされますね。

「何だか、信頼されていないな・・・」

と寂しくなって、心の底から信じあう関係にはなれませんね。

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裏切るのは、他者の課題

「無条件に信頼したところで、裏切られるだけだ」

なんて、ワタシも考えがちです。

でも、裏切るか裏切らないかは、他者の課題ですよね。

それをくよくよくよくよくよくよくよくよ、と考える必要はないのです。

「相手が裏切らないのなら、わたしも与えましょう」

というのは、担保や条件に基づく信用の関係でしかありません。

浅い関係ならば、破たんした時の痛みは小さくて済みます。

でも、そこから生まれる喜びも、また小さいですよね。

そこから、「他者信頼」によってもっと深い関係に踏み込む勇気があってこそ、対人関係のヨロコビは大きくなる、と本著にもあります。

 

そして、裏切られる恐怖を踏み込む勇気は、「自己受容」から出てくると言います。

ありのままを受けいれ、見極めることで、裏切りが「他者の課題」であることも理解でき、他者信頼に踏み込むことが難しくなくなる、という理論です。

 

おお、厳しいですね・・・。

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悲しい時は、思い切り悲しむ

裏切られたことによる痛みや苦しみがあれば、思い切り悲しみ、苦しめばよいというのが本著の主張です。

 

ええー?マジですか。

 

でも、本著では、こう続けています。

痛みや悲しみを避けようとするからこそ、身動きが取れず、誰とも深い関係が築けなくなるのだ、と。

 

わたしたちは、信じることも、疑うこともできる。

そして、他者を仲間とみなすことを目指しています。

信じるか、疑うか、そしてどちらを選択するかは、わたしたち次第なのです。

 

課題の分離ができるようになると、人生が驚くほどシンプルになる、というのもここですね。

でも、課題の分離という原理原則を理解することは容易であっても、実践するのは難しい、と本著にもあります。

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痛みは伴う、ということを覚悟してこそ、深い人間関係は出来る、ということですね。

今迄の人生であなたやワタシが裏切られてきたことも、それは「うっかり人を信じた自分が悪かった」のではありません。

裏切りという行為をしたその人『他者の課題』なだけだったのです。

 

そう思えれば、すこしはラクな気がしませんか。

 

もう一度、人を信頼してみようかな?とアドラー先生の話で思えました。

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新しい季節は、ちょっと疲れやすいので、ゆっくり休んでくださいね。

あなたが、今夜すてきな夢がみられますように!

では、また。