春は、出会いの季節ですね♪
ちょっと仲良くなりたい人がもう少しすると出てきますね。
表面上だけじゃなくて、もう一歩信頼関係を築けるには、「信用」ではなく「信頼関係」を作ってみるのも、良い手段です。
こんばんは、ラブです。
強くない自分を認める勇気
昨日は自己受容のことを勉強しました。
出来ない自分も、丸のまま認める勇気を持つこと。
そして、そこからどうなりたいのか、考えていく勇気を持つこと。
「自分ができること」と「自分ができないこと」をありのままに認めること。
それは自分の今のままの姿について、「肯定的なあきらめ」を持つことです。
自分の失敗に対して、「たまたま運が悪かっただけ」などの言い訳をして、自分を見る鏡にフィルターをかけることは簡単です。
でも、自分という器は取り替えられません。
自分という器では何ができのるか、どう使い方を変えていけばいいのか、を考える勇気を持つことが大事なのです。
傷つくのは怖いです
今日は、「他者信頼」について勉強したいと思います。
ワタシ自身が人からの裏切りに傷ついて、キモチにふらつきがでたことがありました。
人を信じて裏切られるのは、本当にきついですよね~~!?!
はっきり言って
「他者信頼」=ちょっと無理!!
しかし、裏切りを心の奥底で想定した人間関係では・・・・、本当の信頼は勝ちえないんですよね。
相手の目を見れば本当は「計算ずく」だったり「信頼してませんよ」とか、ちゃんとわかりますからね・・・。
当たり前ですけど・・・。
でも、新しいこの季節、「この人、いい人だな~!」と思った人とは、良い信頼を築きたいと思ったんです。
でも、裏切られるのは、とても怖い!!
ここで、『勇気』、なんでしょうか・・・。
では、アドラー先生の理論です・・・。
信用と信頼とは?
肯定的なあきらめとしての自己受容ができたからといって、共同体感覚が得られるわけではありません。
「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えていくとき、大事なのが「他者信頼」になります。
他者信頼、他者を信じるということ。
「信じる」は、「信用」と「信頼」に分かれます。
「信用」は条件つきの話です。英語でいうなら「クレジット」。
たとえば銀行でお金を借りようとしたとき、担保が必要ですね。
担保の値に対して貸し借り金額が算出されるってことです。
しかし、対人関係の基礎は「信用」ではなく「信頼」によって成立します。
「信頼」には、担保をつけません。一切の条件を付けない関係です。
信用に足るだけの客観的根拠があろうとなかろうと、信じる。
それが信頼だそうです。
裏切られることもあっても、こちらが損害を被ることがあっても、なお信じ続ける態度を信頼と呼ぶそうです。
誰でも信じる、という話ではないデス
だまされて利用されることも考えられます。
しかし、無条件に信じ続けてくれる人がいたら、何度も背信行為を繰り返すことは難しいでしょう。
もちろん、誰に対しても信じ続けることを説いているのではありません。
もし、あなたがその相手との関係をよくしたいと思わないのなら、ハサミで断ち切っても構いません。
それは、あなたの課題だからです。
でも、「懐疑」を基礎とする対人関係では?
でも、あなたが「関係をよくしたい」と思う相手・・・たとえば、パートナーや大事にしたい友達など・・・その人たちと「信頼」がないとしたら?
信頼の対義語は「懐疑」です。
「目を離していたら、この人は本当は浮気をするんじゃないか?」
とあなたが心のどこかで思っていたら、まず相手には見透かされますね。
「何だか、信頼されていないな・・・」
と寂しくなって、心の底から信じあう関係にはなれませんね。
裏切るのは、他者の課題
「無条件に信頼したところで、裏切られるだけだ」
なんて、ワタシも考えがちです。
でも、裏切るか裏切らないかは、他者の課題ですよね。
それをくよくよくよくよくよくよくよくよ、と考える必要はないのです。
「相手が裏切らないのなら、わたしも与えましょう」
というのは、担保や条件に基づく信用の関係でしかありません。
浅い関係ならば、破たんした時の痛みは小さくて済みます。
でも、そこから生まれる喜びも、また小さいですよね。
そこから、「他者信頼」によってもっと深い関係に踏み込む勇気があってこそ、対人関係のヨロコビは大きくなる、と本著にもあります。
そして、裏切られる恐怖を踏み込む勇気は、「自己受容」から出てくると言います。
ありのままを受けいれ、見極めることで、裏切りが「他者の課題」であることも理解でき、他者信頼に踏み込むことが難しくなくなる、という理論です。
おお、厳しいですね・・・。
悲しい時は、思い切り悲しむ
裏切られたことによる痛みや苦しみがあれば、思い切り悲しみ、苦しめばよいというのが本著の主張です。
ええー?マジですか。
でも、本著では、こう続けています。
痛みや悲しみを避けようとするからこそ、身動きが取れず、誰とも深い関係が築けなくなるのだ、と。
わたしたちは、信じることも、疑うこともできる。
そして、他者を仲間とみなすことを目指しています。
信じるか、疑うか、そしてどちらを選択するかは、わたしたち次第なのです。
課題の分離ができるようになると、人生が驚くほどシンプルになる、というのもここですね。
でも、課題の分離という原理原則を理解することは容易であっても、実践するのは難しい、と本著にもあります。
痛みは伴う、ということを覚悟してこそ、深い人間関係は出来る、ということですね。
今迄の人生であなたやワタシが裏切られてきたことも、それは「うっかり人を信じた自分が悪かった」のではありません。
裏切りという行為をしたその人『他者の課題』なだけだったのです。
そう思えれば、すこしはラクな気がしませんか。
もう一度、人を信頼してみようかな?とアドラー先生の話で思えました。
新しい季節は、ちょっと疲れやすいので、ゆっくり休んでくださいね。
あなたが、今夜すてきな夢がみられますように!
では、また。