この瞬間から幸せになるには、「幸せになる勇気」を持つことです。
それは、ただそこに存在するだけの自分を認め、自分の基準で他者貢献をすること。
そして「普通であることの勇気」を持つこと。
こんばんは、ラブです。
あなたはただ存在するだけで価値がある
昨日は、「行為のレベル」でしか人の価値を認められない考えは不自由であることを勉強しました。
それを具体的に生きるなら、「ワーカホリック」です。
自分の大事な時間を削ってまで、仕事という人生の一部でしかない場所につぎ込む。
それは、「行為のレベル」でしか自分を認めていないから。
あなたは、存在するだけで十分価値があります。
幸せになる勇気には、「存在レベル」での自分を認める勇気が必要なのです。
貢献感を持てればいい
私たちの幸福とは、たかだか「良好な対人関係」にあるのでしょうか?
物質やお金など、そんなちっぽけな喜びのために存在しているのでしょうか?
人間にとっての最大の不幸は、「自分を好きになれないこと」です。
私たちには、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立てている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれます。
ということは、「他者貢献」が私たちをすぐに幸せにしてくれるのです。
この「他者貢献」は、必ずしも他の人から評価されるものである必要はありません。
あなたの貢献が他者にとって役立っているかを判断するのは、あなたではなく、他者。
だから、介入できる問題ではありません。
ほんとうに貢献できたかなど、わからないことなのです。
つまり、他者貢献していくとき、たとえ目に見えない貢献であっても構いません。
「わたしは誰かの役に立っている」というごく主観的な感覚、「貢献感」が持てればそれで十分なのです。
幸福とは、貢献感なのです。
承認を求めない貢献であること
この貢献感で大事なことは、他者の承認を求めないこと。
あなたも、経験したことがあるかもしれません。
初めは「誰かの役に立てば、それでいいや♪」と始めたブログ。
それに対して思わぬ評価が出たりします。
評価がうれしくて、ついつい「より評価される」内容を求めてしまう・・・。
そうしているうちに、面白くなくなりますよね。
「何のために書いていたんだっけ?」
となる。
ブログは、見てもらうために書いているわけですから、当然読んでくれる人の視点は必要ですが、PV数に焦点を奪われると幸せではなくなってしまいますよね~。
自由を手放さないこと
貢献感を得るための手段が「他者から承認されること」になってしまうと、結局は、他者の望み通りの人生を生きることになってしまいます。
他者の評価を気にすることは、他者の人生を生きていること。
他者からの承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由がありません。
幸福は、自由があってこそです。
他者からの承認が必要なくなる生き方
それでも「他者からの承認」は、欲しくなるワタシです。
アドラー心理学ではその理由を、「共同体感覚がまだ持てていないから」と説明します。
自己受容や他者信頼、他者貢献が不足しているのです。
それらをしっかりと意識して毎日を過ごし、共同体感覚が自分のモノになっていけば、他者からの承認は必要なくなる、と言います。
確かに、自分を自分で受けいれきれていないから、他者によってその穴を埋めてほしいと思っているんですよね。
自分も他者も受けいれていく勇気を持つこと。
他者に貢献すること。
そうやっていけば、他者の評価や愛情ばかりに振り回されなくて済むのです。
普通であることの勇気
アドラー心理学で大切にしていることのもう一つに、「普通であることの勇気」があります。
人は誰しも「特別」でありたいと望んでしまうものです。
それは、「普通の自分」が受け入れられないからでしょう。
「普通」を拒絶してしまう心理の中には、「普通」を「無能」と同義にとってしまうことが考えられます。
しかし、普通は無能ではありません。
「自分が普通である」ということを認めることは、自己受容の大事な一歩です。
それができるようになると、世界の見え方が一変すると言います。
わざわざ自らの優位性を誇示する必要もなくなります。
高邁なる目標に生きる
しかし、すばらしい偉人たちは、きっと人生に高い目標をもっていたに違いないと思ってしまいます。
高い目標をもったからこそ、すごい業績が残せたはずだ、と。
普通を認めてしまったら、自堕落な生活になってしまうのではないか、と。
しかし、人生は「連続する刹那」です。
「今」「ここ」に強烈なスポットライトを当てて、全力で生きる「この瞬間」がつながって人生になり、行き着く先が目的地となるだけなのです。
「連続する刹那」は、大好きな話なので、あしたじっくり勉強したいと思います。
桜の花びらが舞う一日でした。
暖かい春の陽射しは、キモチを上に向かせてくれますね。
ゆっくり休んで、すてきな夢を見てください。
では、また。