猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

人生は連続する刹那~『嫌われる勇気』

人生は旅と同じ。目的地に到達することよりも、そこに至る道を楽しむこと。

そして、この一瞬である「刹那」をダンスを、踊るかのように真剣に楽しむことこそ醍醐味。

そのダンスの連続が人生そのものなのです。

 

こんばんは、ラブです。

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「普通」である勇気

昨日は、「他者からの承認」を求めることで「普通」であることを否定することについて勉強しました。

そうすることで「特別な存在」になろうとする、安直な優位性の追求をしていては、結局「他者の目」に焦点がありますから、自由には生きられません。

 

「普通」であることは「無能」なことではありません。

「普通であることの勇気」を持つことで、わざわざ自らの優位性を誇示する必要がなくなり、世界の見え方は一変します。

 

「普通」であることを否定したいわたしたちの気持ち。

そこには、漠然とした「『人生における目標』を持たなければならない!」という思いがあるからなのです。

 

understandlove.hatenablog.com

 人生は登山の途上ではない

「普通である」ことを否定するのは、「人は人生において高邁(こうまい)な目標を持たなければならない」という思いがあるからです。

しかし、アドラー心理学では、それを否定します。

 

人生が山頂にたどりつくための登山だとしたら、人生の大半は「途上」になってしまいます。

つまり、山を踏破したところから「本当の人生」が始まるのであって、その道のりは「仮のわたし」と「仮の人生」となってしまいます。

もしも、山頂にたどり着けなかったら?

人生のハプニングや事故や病気もあるかもしれません。

登山そのものが失敗になることもあり得ますよね。

そうしたら、わたしの人生はなんなのでしょうか?

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人生は線ではなく、点の連続

フロイト的に考えるならば、人生は線です。

様々なカーブを描きながら、頂点に達し、やがて死を迎えて終わる。

しかし、こうした発想は、人生の大半を「途上」としてしまいます。

 

それならば、人生を点の連続と考えてみましょう。

線のように見えるものは、実はよく見ると点の連続です。

人生は連続する刹那(1秒よりもさらに短い一瞬の時間)の連続です。

「いま、ここ」という場所にしか私たちは生きることができません。

過去も未来も、すべては存在しないものだからです。

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登りの一歩一歩も、楽しむ

努力を否定している、というわけではありません。

 

バイオリニストになることを夢見ている人は、いつも目の前の楽曲だけを見て、この1曲、この1小節、この音に集中して演奏してきます。

そして、「いま、この音」に集中し続けているうちに、ふと周りを見渡してみると「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。

 

日本に来た外国の登山客が、日本人の登山の楽しみ方について、不思議がっていました。

「日本人は、わき目もふらずに山頂を目指して登り、山頂で写真を撮ると『時間だから』とすぐに降りていく。

登山の途中の風景や花、鳥の声を楽しんでいるのだろうか?」と。

 

アドラー先生に言わせると、

「人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続の刹那」

なのです。

バイオリンというダンスを踊ってきた人の中には、そのままプロになった人もいるでしょう。

司法試験というダンスを踊ってきた人の中には、そのまま弁護士になっている人もいるでしょう。

執筆というだんすを踊り、作家になった人もいるでしょう。

そしてそれ以外の別の場所に行き着くこともあります。

でも、行き着く先が別の場所であったとしても、いずれも生の「途上」に終わったのではありませんよね。

 

最も大事なことは、

ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していること。

 

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目的地に到達することではなく、「いま」を生きることにフォーカス

わたしたちの人生のスポットライトは、「いま、ここ」に強烈な光を当てて生きるべきものなのです。

うすらぼんやりと、「過去」や「未来」にも当てようとする必要はありません。

「過去」に「こうすればよかった」なんて考えたり、「未来」にどうなるか、くよくよあれこれ心配する。

そんなことは、あなたが「いま、ここ」で考えるべきことではないのです。

真剣に「いま」を強烈に生きる!

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人生の物語を夢見ている暇はない

人生を物語に見立てて、夢見ているのはラクチンで楽しいことです。

自分の過去を思い出して「悲劇の人」になってみたり。

今現在に努力もしないで、これからをぼんやりと夢見てみたり。

そして、わたしの環境はこうだったから、そのとおりになる。悪いのはわたしではない、と言い訳ができます。

しかし、これは明らかに「人生の嘘」ですよね?

結果ではないのです

たとえば、大学に進学したいと思いながら、勉強していなかったとします。

それは、「いま、ここ」を真剣に生きていないからです。

受験はずっと先であり、見通しもうまくいくかもわからない。

でも、毎日少しでも単語を覚え、数式をちょっとでも解く。

そこには必ず「今日できたこと」がありますよね?

 

仕事で今日できる小さな仕事をコツコツと取り組むこと。

毎日子どもと向き合って、必死に子育てする毎日。

 

しかし、

がんばってきた受験勉強が、試験で結果を出せるのか。

コツコツとやってきた仕事が、評価されるのか。

必死にやってきた子育てで、立派な子どもに成長するのか。

そんなの、まったくわかりませんね?

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「いま」を真剣に生きる

「いま」を真剣に生きること。

ここで大事なのは「深刻」ではないということです。

 

たとえ、今この瞬間に人生を終えたとしても、不幸と呼ぶべきものではありません。

いつもこの瞬間、人生は完結しているのです。

「いま、ここ」に集中して生きることで、どの瞬間も幸福な生なのです。

 

スポットライトをうすらぼんやりと当てて、人生の嘘に頼って過去や未来を見たつもりにならない。

今を生きる『勇気』を持つことです。

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未来の不安は、幻でしかないのです

新年度のこの季節、正直不安に押しつぶされそうになる時があります。

しかし、その「押しつぶしてくる不安」はワタシ自身が作った幻だとアドラー先生は教えてくれました。

どんな目的地に着くか、とか

この先に何があるのか、とか

今まで失敗したこと、とか

そんなことにまでスポットライトを当てれば、「いま」がぼんやりします。

 

そうすれば、「今の自分」にがんばらなくていいものだから、ついありもしない未来やもう存在しない過去に気持ちが傾きます。

 

でも、ありもしないことに妄想しているのは、もったいない!

「いま」を踊るように楽しんでいきましょう!

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桜の花もそろそろ見納めになりますね。

冬鳥も飛び立っていきました。

鳥たちは

「去年は飛来の途中で仲間がたくさん死んだ」とか

「シベリアまで飛べなかったら、どうしよう」とか

考えないで、今を生きてますよね・・・・。すごいな。

余計な脳みそを持たずシンプルに生きる鳥たちだから、空が飛べるのでしょうか。

見習わなければ、と思うのです。

 

今夜もゆっくり過ごして

良い夢を見てくださいね。

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では、また。

 

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