猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

ありのままの相手を大切に思うことから~『幸せになる勇気』

尊敬しあえる対人関係を持てることは、幸せですね。

それが教え・教わる関係だとしても、根底に「尊敬」があると、出会えた意味さえ変わってきます。

 

こんばんは、ラブです。

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人生の意味は、あなた自身がつける!

私たちの人生には、戦禍や天災のように、理不尽なことが隣り合わせで存在します。

そんなことに巻き込まれたとき、

「どうしてこんなことになったのか?」

と思いたくなりますが、そこに答えは見つかりません。

戦禍や天災を受けた、ということに人生の意味を探すことは難しいでしょう。

 

 

「これから何ができるのか?」

そう考えて、自分の人生に自分で意味を与えていくことが私たちにできることです。

自分の人生から、自分で意味を作り出し、与えていくこと。

 

他者に嫌われることを恐れず、自分だけのその道を選ぶとき一人であるがゆえに道に迷うことがあります。

その時に導きの星となるのが「他者貢献」です。

「誰かの役に立っている」と思えることが、幸せにつながり、仲間と共にあることを感じさせてくれるのです。

 

あなたの世界は、あなたにしか変えられないのです。

 

understandlove.hatenablog.com

 アドラー心理学を実践する難しさ

この『幸せになる勇気』でも、登場人物の「青年」は若手の教員です。

『嫌われる勇気』の中でアドラー先生の教えを同じく登場人物である「哲人」に聴いて、感動。

それを教室で実践するも、学級崩壊を招いてしまいます。

 

アドラー心理学は、即日理解されてすぐに実践に移せるものではない、とアドラー先生自身も言っています。

アドラー心理学は実践することが大事とされながらも、その実践には相当の勇気が必要なものだからです。

本著は、その難しさにも触れながらストーリーが進んでいきます。

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教え・教わる関係においてのベース

春のこの季節に、教える側や教わる側になることも多いと思います。

その関係の中にもしも「互いに」「尊敬」しあうキモチがあったら、効果絶大ですよね。

教える側も教わる側に対して「敬う」気持ちがあること。

それは、子どもたちに対する教育現場でも、職場の新人教育でも同じです。

 

今の子たちは、わたしたちの頃よりもさらに大人に近い位置で成長してきましたからね。

だから、「親だから敬え」とか「先生だから言うことを聞け」と言っても、その意味さえわからないと思います。

戦後の食糧難の時代でもありません。

ましてや親が

「お前を養うために嫌な仕事でも続けてやっているのだ」

というのは、親が自分自身に対してついている「人生の嘘」であることを、今どきの子どもはやすやすと見抜いてきます。

ワタシも娘にもたまに指摘されてますよ。

「それは、ママのためにやっていることなんじゃないの?」と。

 

しかし、そんな時代だからこそ「尊敬」というベースが互いにあるのならば、教育の目的である「自立」により近づけるのかもしれません。

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「自立」という目標をめざしているか?

教育の目標を自立と掲げるアドラー心理学

日本の教育でも、戦後の教育に関する法律の中で「自立」という目標があるとか。

アドラー先生はすごいですね。

コモンセンスとして浸透してます。

 

掲げてきたけれど、それが家庭教育や学校教育の現場で生かされていたか、は別問題です。

教える側がどこまで成熟しているかが試される課題だからです。

 

「介入しない」「その子なりの成長を援助する」、ということは教える側の人間が、他者からの評価をすっぱりと切り捨てなければならないからです。

実際その立場になれば、これは相当に辛いことです。

自分の見栄との闘いです。

 

親となると、子どもの成功=親の実力と思いがちです。

教える側としたって、塾講師なら経営にも関わる問題であり、担任教師なら他クラスとの比較があります。

仕事場での教育係ならば、教わる人の出来が教えた人の評価に響くこともあります。

気づくとがんじがらめになる「他者の評価」。

そして、そこまでその人のために他者の評価を無視してまでその本人の気持ちを尊重すべく頑張れるのか?という重大な教える側のエネルギー問題があるでしょう。

 

手っ取り早くネガティブな罰を伴う手法で成果を強要したくなります。

しかし、そこに教える側としての「勇気」が必要なのです。

 

「自立を目指す環境」を作り出すには、教える側の強い根性とか意思とか理想とか思いとか、ひとかたならぬ強い力を持たなければ実現できない、稀有なものです。

しかし、教育に必要なのは「介入」ではなく「教わる側に立った援助」であることは、あなたの学生時代を思い返せば容易に想像がつくでしょう。

その人はその人にしかなりえないんですよね~

隣の子と比較されたって、できないもんは、できない!

 

そのままその存在を尊重したままに、その人らしい自立を援助していくことが大事です。

そこに尊敬があるならば、教わる側に力さえ与えていきます

それは「勇気づけ」の原点でさえあるのです。

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「愛」というベースがあるか

そこに必要なのは「愛」という基盤だとアドラー先生は言います。

教えられる側のことを考えて、自分の立場を後回しにできること。

それもささやかな愛の一部とも言えるでしょう。

「愛」については大きなテーマなので、今後『幸せになる勇気』全般でゆっくり勉強していくこととします。

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目線を合わせること

尊敬の話に戻ります。

 

どう教わる側の相手を尊敬していくのか!?

 

「あいつを尊敬しよう!」

と今日から決めたってそうそうできるものではありませんよね~?

そこに対してアドラー先生は、

「相手が関心を持っていることに、自分も関心を持ってみる」

ということを言っています。

あなたが仕事先で新人の教育係をしていくのならば、ただ仕事のマニュアルを教えるだけではなく、相手の話を聞く機会を持ったりすると思います。

それは、とても有効な手段なのです。

相手を知り、「こんな人なのか」とちょっとでも理解したうえで、ほんの少しの愛情をもって接することで、かなり違いがあると思います。

あなたが新人で、教育係の人からあなた自身のことを多少の理解してもらったうえで教えてもらったとしたら、何もないよりも気持ちがかなり違いますよね。

 

スタートは、そんなところから・・・なのかもしれませんね。

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ジャスミンが甘い香りを漂わせています。

ちょっと寒い1日でしたから、よく暖かくしてお休みくださいね。

おつかれさまでした。

良い夢を。

では、また。

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