他者貢献は大切です。
ただ、自己受容できていない自分を救済するための行為は、ときに自己満足になってしまいます。
自分の価値を実感することだけを願うものでは、せっかくのがんばりが残念な結果になることがあります。
あなた自身がまず一番に「幸せになる勇気」をしっかり持つことって大事です。
こんばんは、ラブです。
自分が空っぽのまま「他者貢献」していると、嘘が出る
ワタシ自身、そんなウソの「他者貢献」をしてしまったことがあります。
自己受容がしっかりできていなかったりするなかで、とりあえず「誰かのためになること」をやって、自分の存在意義を実感しようとしてしまったのです。
やり始めれば、取り敢えず「ありがとう」の言葉はもらえます。
その言葉は、自己受容できていないワタシの空っぽの部分を埋めてくれるように思えました。
嬉しくて嬉しくて、何もかも投げ捨てて必死にがんばりました。
しかし、この「何もかも投げ捨てて」いるあたりが、実はチェックポイントです。
自分を犠牲にしまくってまでやっている、というあたりに嘘が存在します。
続けているうちに、人に見えない場所で「相手のため」という目的に対して矛盾が生じてきます。
自分自身が自己受容できていないので、ずっと続けていくうちに他の人からの称賛をものすごく欲しくなっていくのです。
やがて時間がたつにつれて、その活動を続ける中で、目的がすり替わっていました。
「相手のためにやっていること」が「自分が褒められるため」に変化していたのです。
嘘は見破られる
自分では、自覚できませんでした。
しかし、やがて「がんばってやってあげているのに」感謝されなくなってきました。
そして目的が「自分のため」になっていることに気づきました。
しかし、どうにも止められません。
なぜなら、その自己受容ができていないので、その立場にも周囲の評価にもしがみつく自分が出来上がってしまっていたからです。
その仕事は、だれのためにやっているのか?
当然相手のためであり、社会のためです。
しかし、自己受容のできていない人間には、他者の感謝や評価をもらって自分を救う手段となってしまうという恐ろしさがあります。
「メサイア・コンプレックス」
『幸せになる勇気』では、これを「メサイア・コンプレックス」として紹介しています。
劣等感を払しょくできない人が、しばし陥るものです。
優越コンプレックスの一形態であり、「他者の救世主足らんとする、心的な倒錯」としています。
世間でもよく見られるのが、「相手のため」とたくさんの手出しをして、相手の自立をこっそりと妨げることです。
教育者ならば、自立を目的とするところが、これが根底にあっては自立とは逆のことがなされてしまいます。
まずはきちんと、自己救済
不幸を抱えた人間による救済は、なにかとまた不幸を呼んでしまう危険性がある、ということです。
「他者貢献」の名のもとに、「自分が大活躍する」ことが本当の願いとしてあったならば、ある一瞬から相手の自立さえ妨げてしまう危険性がある。
これは、福祉の現場でも学校や家庭、社会の現場でもあり得ることです。
まずは自らの手で幸せを獲得することです。
あなたという器は、取り替えることができません。
そのままのあなたを見つめ、受容していくこと。
それが、あなたのまわりの人たちを幸せにしていくための基礎となるのですね。
たくさんの方たちの活動
今回の地震でも、前回の震災でもたくさんの方たちが救助・支援活動が報道されていますね。
名乗ることもなく活動する多くの方たちは、誰に認められることも求めず、被災地の方たちのために頑張っていらっしゃる。
ワタシも少しでも力になれればと思います。
来週も、あなたにとって素敵な毎日になりますように。
ゆっくり休んで、楽しい夢を。
では、また。