わたしたちは、子どもの頃に命を守るために選んだライフスタイルを持っています。
自立し、幸せになるためには、勇気をもって再選択すること。
そうすることで、どうしても気づくと頭に浮かんでしまう「いかにすれば愛されるか」という愛情の乞食を捨て去ることができるのです。
こんばんは、ラブです。
「恋」と物欲
ただ、「恋に落ちる」だけなら動物的なものであるとアドラー先生は言いました。
全く、ロマンの欠片もないお方ではあります・・・。
しかしそれよりも、そのあとの二人が向き合う時、つまり映画のエンドロールのあと。
そこに二人でほんとうに愛情を育てる場面が出てくるのです。
そこには、人間として意思をもって築き上げる「人間の愛」が必要です。
恋にありがちな「自分のものにしたい」という感情ではなく、「与える愛」です。
「相手が~してくれない」なんて言ってるんじゃなく。
そして、そのなかでは幸せになる主人公の「主語」が変わります。
幸福を「わたしの幸福」や「あなたの幸福」とカウントするのではなく、「わたしたちの幸福」とみなしていくこと。
そこに幸福な生があるのです。
「弱さ」で他人を支配する?
愛は、「わたし」からの解放です。
わたしたちは、小さい子どもたちのころ「世界の中心」に君臨しています。
周囲の人誰もが「わたし」を気にかけ、あやし、食事や排せつの世話をしてくれます。
「弱さ」は独裁者にも似た圧倒的な力がある、とアドラー先生も言っています。
弱い存在だからこそ、周囲は助けざるを得ないのです。
子どもの頃は人生と社会を全体として見ず、自らの個人的な利益にしか焦点を合わせません。
そして、多くの大人たちもまた、自分の弱さや不幸、傷、不遇な環境、そしてトラウマを「武器」として、他者をコントロールしようともくろみます。
心配させ、言動を束縛し、支配しようとするのです。
そんな大人たちをアドラー先生は「甘やかされた子ども」と断じ、そのライフスタイル(世界観)を厳しく批判しました。
自己中心性
もちろん新生児の時期には、自活できないのですから、おのれの弱さをアピールして周囲の大人を支配し、自分の望み通りに動いてもらわないと、明日の命さえ危ういものです。
よってわれわれすべての人間は、「自己中心性」から出発します。
しかし、いつまでも「世界の中心」に君臨することはできません。
世界と和解し、自分は世界の一部なのだと了解しなければならないのです。
つまり、自立とは「自己中心性からの脱却」なのです。
やっとわかってきた「自立」!
アドラー先生の言う「自立」が、やっとはっきりしてきました。
自分を憐れんで、他の人をそれを使って操作しようとする「甘やかされた子ども」な自分を自覚して、別れを告げること。
大人として、絶対達成したいことですね!
傍から見ると、「また自分を憐れんでるな」というのはわかるのですが(ごくたまに夫に指摘されます)、自分で自分のその癖に気づくのって、けっこう難しかったりします。
「過去を言い訳にしている」とか「自分の弱さをアピールしている」と感じたら、それがサインかもしれませんね。
世界を受けいれるには?
共同体感覚は、社会への関心であり、他者への関心です。
強い自己中心性から抜け出し、「世界の中心」であることをやめること。
それは、「わたし」からの脱却です。
甘やかされた子ども時代のライフスタイルから脱却するということなのです。
そこに、自立が果たされるのです。
ライフスタイルは変えられる?
わたしたちは、人生観や世界観を変えることができます。
そして愛は、「わたし」だった人生の主語を「わたしたち」に変えることができます。
わたしたちは、愛によって「わたし」から解放され、自立を果たし、本当の世界を受けいれることができるのです。
ふたりから始まる「わたしたち」は、やがて共同体全体に、そして人類全体にまでその範囲を広げていくのです。
それが、共同体感覚です。
ライフスタイルの選択の時期にある悲劇
子どもの時期にわたしたちはライフスタイル(世界観・人生観)を選択します。
子どもは優れた観察者です。
自らの置かれた環境を考え、親の性格・性向を見極め、きょうだいがいればその位置関係を測り、それぞれの性格を考慮します。
そのうえでどんな「わたし」ならば愛されるかを考えたうえで、自らのライフスタイルを選択します。
アドラー先生の言う通りです!
あなたは、どんな「自分」を選択しましたか?
仕事が忙しい両親を持ち、すぐ下に兄弟が生まれたワタシは、「よく我慢できる育てやすい子」を選択ました。
泣いたり、怒ったり、叫んで反抗する子どもは、感情のコントロールができていないのではない、と本著では説明しています。
むしろ、十分すぎるほど感情をコントロールした結果それらの行動をとっているのです。
そこまでしなければ、親の愛と注目を得られない。
生命の危険を直感してのことなのです。
「愛されるためのライフスタイル」からの脱却には?
このような「愛されるためのライフスタイル」は、いかにすれば他者からの注目を集め、いかにすれば「世界の中心」に立てるかという、どこまでも自己中心的なライフスタイルです。
そしてそれから脱却できるには、「誰かを愛すること」です。
子どもの頃の戦略は、もういらない
ライフスタイルは、子どもの頃に獲得するもの。
だから、子ども時代の生存戦略に根ざした「いかにすれば愛されるか」を基準としたライフスタイルを持っているのは、ごく当然のことかもしれません。
しかし、子どもの頃の戦略で幸せになることはできません。
大人としてのライフスタイルを選びなおすことです。
そして、他者を愛することで、人は大人になれるのです。
愛は自立。
恋じゃないですよ。
だからこそ、愛は困難であると言います。
大事にしている人がいても、大切にしているつもりが、意識しないうちに結局自分に依存させることになっていることがありました。
その人のためになっていないなんて、自分にがっかりでした。
日々の中で接する愛すべき人たちに対しても、仕事で大切にしていきたい人たちに対しても、子どもに対しても、自分のためではなく相手のためになる愛情を渡していきたいですね。
そのためには、まずは自分自身が勇気をもってライフスタイルを変えること。
根本の意識を変えていく機会にしたいと思っています。
今日もおつかれさまでした。
明日を乗り切ると、楽しい週末です。
気温の差が激しい時期なので、よく休んでくださいね。
では、また。