小さいころ親の愛情が他のきょうだいにいってしまったことが、自分の暗い人間不信の性格の理由だと思っていました。
しかし今回、アドラー先生に全否定されました。
こんばんは、ラブです。
「愛されたがる」ライフスタイルはいらない?
昨日は、子どもの頃獲得したライフスタイルを大人になったら変えなければならないということを勉強しました。
わたしたちは、子どもの頃は大人の注意と感心を引かなければ生命の危機に立たされます。
そのため、自分の「弱さ」をもって他者から「愛されるライフスタイル」を獲得します。
多くの人はそれを意識しないままに、そのままのライフスタイルで過ごしてしまうことがあります。
そのため大人であるにもかかわらず自分の弱さを武器にして、「愛されること」ばかりを希求してしまいがちです。
子どもながらの「自己中心性」を脱却し、世界の一部だと了解すること。
そして、愛する人を持つことで、甘やかされた子供時代の「わたし」だけの幸せから
、「わたしたち」への幸せを考えられるようになること。
その「わたしたち」が、やがて広がっていくことで、やがて共同体全体に広がり、共同体感覚へとつながっていくのです。
愛、自立、共同体感覚。ここから、本著はアドラー心理学の大きな結論に向かっていきます。
第1子が選びがちな保守的なライフスタイル
わたしたちは、自分が隠し持っている子ども時代のライフスタイルを直視し、刷新しなければなりません。
それは、「愛してくれる誰かを待つ」ことを卒業するための大事なプロセスです。
アドラー先生は、きょうだい順位に関しては、その「傾向」に対してだけ話をしています。
第1子、ひとりっ子の場合、最大の特権は、「親の愛を独り占めしていた時代」を持っていたことです。
ただし、かつて親の愛を独り占めしていた第1子も、弟や妹の誕生によって、その地位から転落せざるを得ません。
この挫折とうまく折り合いをつけられない第1子は、いつか自分が再び権力の座に返り咲くべきだと考えます。
アドラー先生の言葉によると「過去の崇拝者」となり、保守的な、未来について悲観的なライフスタイルを形成していきます。
力と権威の重要性をよく理解し、権力の行使を好み、法の支配に過大なる価値を置きます。
まさに、保守的なライフスタイルです。
ただし、弟や妹が生まれた時、すでに協力や援助についての教育を受けていれば、第1子は優れたリーダーになっていくでしょう。
両親の育児を模倣して、弟や妹の世話をすることに喜びを見出し、貢献の意味を知るのです。
確かに第1子は、わりと保守的ですね。
ワタシ自身もそうです。
そして、リーダーシップをとるのも第1子に多くいますね。
第2子が選びがちな革命的なライフスタイル
典型的な第2子は、すぐにそれとわかる、とアドラー先生は言っています。
第2子には常に自分の前を走るペースメーカーがいます。
そして第2子の根底には、「追いつきたい」という思いがあります。
兄姉に追いつきたい。
追いつくためには、急がなければならない。
絶え間なく自らを駆り立て、兄姉に追いつき、追い越し、征服したいとさえもくろんでいる。
法の支配を重んじる保守的な第1子と違って、誕生順位という自然法則さえ覆したいと願っています。
ゆえに、第2子は、革命を志向します。
第1子のように既存の権力におさまろうとするのではなく、既存の権力を転覆することに価値を置く傾向が大きいのです。
運動選手とか芸能人とか、第2子が多いと言いますよね。
新しいことにどんどん挑戦する力がみなぎっているのが、第2子なんでしょうか。
第1子としては、羨ましい限りです。
ひとりっ子の選びがちなライフスタイル
ライバルとなるきょうだいがいないひとりっ子。
しかし、ここでは母親の愛を独占したいと願うあまり、父親をライバルとしてしまいます。
いわゆるマザーコンプレックスを発達させやすい環境であると言えます。
まず、周囲を見渡しながら、いつか自分にも弟や妹が生まれ、この地位を脅かされるのではないかという不安にさらされます。
さらに、両親の臆病さにも気を付けるべき点があるとアドラー先生は言います。
ひとりっ子の両親は、「経済的にも、労力の面でも、時運たちにはこれ以上の子供を育てる余裕がない」と考え、単独子のまま子どもを作らない夫婦がいます。
実際の経済状況に関わらず。
アドラー先生によると、彼らの多くは人生に悲観的になりがちです。
たった一人の子供に過大な重圧をかけがちです。
ただ、この考えは、アドラー先生の時代に複数の子どもをもうけることが一般的だったために、この点が強調されたと考えられます。
今どきのひとりっ子は、そんなに悲壮感が漂っているとは感じませんけどね。
どちらかというと、親の確固たる愛情を一身に受けて、へこたれない強くて安定したアイデンティティーを持った人が、ワタシの友達のひとりっ子には多いと思いますが。
他者の望むわたし
際限のない愛は、しばしば子供を支配する道具へと変貌します。
すべての親たちは「自立」という明確な目標を掲げ、子どもたちと対等な関係を築いていかなければならないのです。
しかし、子どもたちはどんな両親のもとに生まれようと「愛されるためのライフスタイル」を選択せざるを得ません。
そうして生きるうちに、承認欲求にからめとられがちになります。
「他者から認められること」を目的とした「他者の望むわたし」の人生に容易に陥ることになるのです。
与えられる愛の支配から抜け出すには?
わたしたちは、多かれ少なかれ、親の愛に支配されてしまうものなのです。
親から愛されなければ生命の危機に立たされてしまう時代に、自らのライフスタイルを選択するしかなかったからです。
しかも、社会からの愛情が昔よりも薄まったこの時代。
親から愛されることを希求せざるを得ない時代です。
このときに自らのライフスタイルを選択している。
「愛されるライフスタイル」を強化しながら年齢を重ねて大人になっているのです。
与えられる愛の支配から抜け出すには、自らの愛を持つ以外にはない、と本著は述べています。
愛されることや運命を待つのではなく、自らの意思で誰かを愛することしかないのです。
自分を好いてくれるひとにいつもフラフラと追随しがちな自分にウンザリしていました。
幼少期に親から貰う愛情が弟妹にいってしまったせいだ、と恨んでいました。
そんなことはなく、誰でもがそれぞれの生まれ順なりに渇望とジレンマを持っているんですね。
そんなことをいつまでも言い訳にいていないで、「自分がひとを愛せるか」に注目していくこと。
自分自身で、小さいころのライフスタイルから大人用のライフスタイルに選びなおしていくこと。
それが幸せになる道なのだとアドラー先生に教わりました。
明日は、愛情を作り上げていくことについて勉強したいと思います。
やっと週末ですね。
明日あさっては、あまり外出向きな天気ではないような。
のんびり家でお茶でも飲んで、のんびり過ごすのがよさそう。
本がいっぱい読めそうです。
ゆっくり休んで、すてきな夢をみてくださいね。
では、また。