無条件に愛することに対する勇気。
そして、目の前にいる人から「運命の人じゃないから」と逃げることを否定るするアドラー先生。
ロマンチックなストーリーを木っ端みじんにしてくれるアドラー心理学。
今日もなかなかのリアリストぶりですよ。
こんばんは、ラブです。
子どもの頃のライフスタイル
わたしたちは、子ども頃に生まれた順などによって、親の愛情を獲得するためにさまざまなライフスタイルを獲得しています。
第1子だからこそ、保守的だったり。
第2子だからこそ、革命的だったり。
ひとりっ子らしい気質を持っていたり。
それらは、幼少期に生きるために獲得した手段ではありますが、「わたし」が世界の中心と考える、「愛情は与えてもらう」というスタイルのもの。
大人になった今、新しい大人としての「愛情は、まず相手に与える」という大人のライフスタイルを選びなおす必要があるのです。
何となく、「あの人自分のことを少し好きかも?」から始まる恋
愛と勇気は密接なつながりをもっています。
愛を恐れ、愛をためらっているから、子ども時代のライフスタイルにとどまっているのだと言います。
それは、愛に飛び込む勇気が足りていないのだと説明されています。
愛するということは、何の保証もないのに行動を起こすこと、とアドラー先生は言います。
たとえば、相手の好意を何となく察するうちに、その人のことが気になり、やがて好意や恋愛に発展したりしますよね。
これは、「あの人は、きっと自分のことが好きなのだ」「自分の好意を拒絶しないはずだ」という担保のようなものを感じているのだと言います。
そして、この担保を頼りに、より深く愛していくことができているのです。
愛に担保が必要な理由は?
人は愛に担保を求めてしまいがちです。
それは、人を愛することによって「傷つくに違いない」「惨めな思いをするに違いない」となかば確信しているからである、と本著ではあります。
そこには、劣等コンプレックスがあるのです。
もしも、自分のことを愛することができず、尊敬できず、信頼できていなかったらとしたら?
愛の関係について、「傷つくに違いない」「惨めな想いをするに違いない」と決めつけてしまうでしょう。
こんな自分を愛してくれる人など、いるはずがないのだ、と。
劣等コンプレックスから抜け出す
若いころのワタシの恋愛は、まさにそれでした。
自分に優れたところがないから、誰とも愛の関係を築くことができないし、担保のない愛に踏み出せない。
典型的な劣等コンプレックスです。
自分の劣等感を、課題を解決しない言い訳に使っているのです。
課題は分離しなければなりません。
相手があなたの愛にどうこたえるか、は他者の課題です。
わたしたちができることは、課題を分離し、わたしたちから先に愛することです。
そこからしか、本当の愛情はありません。
劣等コンプレックスが根底にある恋愛は、嘘があるんですよね。
「ダメな私をそのまま愛してくれる人」を待っている
「こんなダメな自分を丸ごと愛してくれる人が現れたら、私は自分を愛することができる!」
漫画にはよくありがちなパターンではあります。
ワタシも大好きです。
ここのところ、みんな疲れているのでしょう。
ロマンチックで、すてきなストーリーですが、ここまでのアドラー先生の話からすると・・・、これにも大きな嘘がありますね。
結局は「この人はわたしを愛してくれるのか?」しか見ていませんからね~。
相手とか、ちゃんと愛しちゃいませんよ、この発想は。
自分のことしか見ていませんよね。
現実問題としてそんな態度で待ち構えている異性の友達がいたら、どうでしょうか?
「おいおい、目を覚ませ」と言いたくなりますね。
そんな自己中心的な欲求に応えてくれるのは、親だけです。
つまりこれは子供時代のライフスタイルなのです。
愛してくれる誰かが現れるのを待っても、始まらないのですね。
疲れると、ついこういう夢を見ちゃいますけど、まずは「自分から愛する」ですね・・・。
運命の出会いなんかない
今のしょっぱい時代にの最大のロマンチックの源である「愛」。
そこにアドラー先生は、厳しさと理性と努力を持ち込んでくれます・・・。
そして、アドラー先生は「運命の人」も一切認めません。
「出会いがない」と嘆く人も、実は毎日のように誰かと出会っています。
よほど特別な事情がない限り、この1年のあいだ誰とも出会わない、ということはありえません。
しかし、「出会い」を「関係」に発展させるには、とても勇気が必要です。
そこで「関係」に踏み出す勇気がない人が、「運命の人」という幻想にすがりつくと言います・・・。
目の前に愛すべき他者がいるのに、あれこれ理由を並べて、「この人ではない」と退け、もっと理想的な、もっと完璧な、運命の相手がいるはず」と目を伏せる。
自らの手で排除している、と本著ではあるのです。
可能性に生きることで逃げてはいけない
課題で、ありもしない理想を持ち出すことによって、生きた人間と関わり合いになることを回避していること。
それが「出会いがない」という言葉の裏側だと本著は述べています。
厳しい。ロマンの欠片もありゃしない・・・。
しかし、パートナーと暮らしていく中である現実は、「運命もへったくれもない、ただの現実生活」。
アドラー先生もさぞかし厳しい現実感たっぷりの家族の生活があったことでしょうね。
たくさんの勇気が必要なアドラー先生の実践。
実践していく中で、勇気というか・・・・・、体力と精神力が必要だな~と思います。
自分をしっかり持っていくにも、背筋を伸ばして生きるにも、まずは体力。
疲れちゃうと、大切な人への心遣いができなかったり。
まずは、あなた自身をしっかりあなたが大事にしてあげてください。
こころの体力を大切に。
明日は、日曜日。
少しでもゆっくりしてくださいね。
では、また。