私は、持っているもので贅沢に暮らすことができます。
その生活ぶりを見る限り、ムヒカ自身に欲がない(=貧乏ではない)のは、誰が見ても明らかです。
ムヒカの愛車はつつましやかな古いビートルです。
そのムヒカの古いビートルを1億2000万円で買い取りたいというアラブの富豪の申し出を断ったというニュースが世界を駆け巡りました。
こんばんは、ラブです。
ムヒカは「愛犬マヌエラのために売ることはできませんねぇ」とジョークでかわしたのだといいます。
これが事の真相で、もしそういうことがあれば「車にこだわりはないので喜んで売り、得たお金は慈善事業に寄付する」と記者に語ったと伝えられています。
スペインのテレビ局の質問にも
「まだ新しいので交換するつもりはありません」
ときっぱり。
「まだ万全な状態です。この車は時速100㎞までスピードを出すことができますが、時速80㎞あればどこへでも無理なく行けます。
79歳の老人が80㎞以上のスピードを出すことは、誰にとってもよくないと思いますよ」
1987年製のフォルクスワーゲン・ビートルは、今ではムヒカの質素な生活の象徴となっています。
私は、持っているもので贅沢に暮らすことができます
スペインのニュースが報じているムヒカ大統領の携帯電話の話も大好きです。
着信音が鳴り響き、ゴムバンドで固定されている古いタイプの携帯電話を、ムヒカはポケットから取り出した。
固定しているゴムバンドが切れたが、大統領は切れたそれを結びながら対応している。
そして、固結びにしたゴムバンドを再び携帯電話に戻した。
ゴムバンドがストラップの代わりなのか、あるいは二つ折りの携帯電話が開かないようにゴムバンドを取り付けているのか、その記事から推察するのは難しいですが、何らかの形でゴムバンドをりようしているようです。
新しい物に執着しない、ムヒカ大統領の姿がそこにあります。
そしてもう一つ、彼の質素を象徴するものとして紹介されるのが、自転車です。
「私は、60年間、この自転車を持ち続けています」と彼は誇りをもって言ったと言います。
それは、青色のプジョー社製自転車。
ムヒカは13歳から17歳まで自転車競技のアマチュアレーサーでした。
メンテナンスの行き届いた、60年前に購入したものとはとても思えないものだそうです。
質素は”自由のための闘い”です
「もし、少ししかものを持っていなければ、その物を守るための時間も少しで済みます」
「もし、私がお金を貯めることを目的にしたら、お金が盗まれる心配をしなければならないし、お金を隠した穴を埋めて回らなければならなくなります」
いずれもムヒカ大統領の発言です。
自分と対照的な暮らし(=贅沢な生活)は、無駄に時間を取られ、わずらわしさも伴ってくる。
それは、つまり”束縛”。
「質素は”自由のための闘い”」
とムヒカは考えているのです。
「人がものを買う時は、お金で買ってはいない。
そのお金を貯めるために割いた人生の時間で買っているのです」
自身の選択としての”質素な”生活
「私は変わった老人のように見えるかもしれません・・・。
でも、これは、自由な選択なのです」
というように、ムヒカが質素な生活を送っているのは、自身の選択です。
もちろん、その生活を誰かに強いろうとしているわけではありません。
「もし私が”私のように行きなさい”と人に強要したら、彼らは私を殺すでしょう」
と語っています。
ものにあふれた生活を疑問視し、警鐘を鳴らしているのです。
「私は消費主義を敵視しています。現在の超消費主義のおかげで、私たちはもっとも肝心なことを忘れてしまい、人類の幸福とはほとんど関係のないことに、人としての能力を無駄遣いしているのです」
次々とものを購入する超消費主義の中で生きるには、より多くの時間を労働に費やす必要があります。
つまり、超消費主義は、ムヒカの言うところの”自由な時間”を労働に費やす必要があるのです。
「人間のもっとも大事なものが”生きる時間”だとしたら、この消費主義社会派、そのもっとも大事なものを奪っているのですよ」
ホセ・ムヒカ大統領ほどの質素な生活は出来なくても、ものを買う時にそのために使うお金と、その裏にある自分がそのために使った時間について考えていこうと思います。
ゴールデンウィークですね。
うっかりアウトレットパークに足を踏み入れないようにしなくちゃ(笑)
できることから、ちょっとずつ”自分の時間”を取り戻すことをこの機会に心がけてみようと思います。
今、持っているものを大事にしてみようかな、と思います。
今日はゆっくり休めましたか?
明日も、すてきな1日になりますように。
では、また。