「格差のない社会と自由を夢見て」、革命運動にのめりこんだホセ・ムヒカ。
13年の獄中生活では、拷問と独房が待っていました。
発狂寸前の恐怖の中で、人生の限度と、どんな小さなことにもありがたみをもつことを見つけます。
こんばんは、ラブです。
”南米のスイス”ウルグアイの低迷とキューバ革命
スペインから1825年に独立したウルグアイは、黎明期こそ不安定でしたが、20世紀に入るとスイスをモデルにした社会経済改革が功を奏しました。
南米唯一の福祉国家に成長し、生産も奨励され、通貨が米ドルよりも強くなったこともあるほどです。
”南米のスイス”と呼ばれ民主主義国家として安定した時期、ムヒカは生まれました。
この国の主要産業は牧畜で、牛肉と羊毛の輸出で経済は成り立っていました。
第2次大戦時には戦争当事国の双方に食料や衣料の原料を大量供給し、特需景気
で潤います。
その景気は朝鮮戦争が終わるまで続きますが、1955年に状況は悪化。
戦争がなくなり、化学繊維の台頭により羊毛の需要が低下します。
国際価格の変動や国際競争力の弱さによって経済が停滞。
IMF(国連通貨基金)から外貨借り入れを積み重ね、インフレが高進していったのです。
過激派武装グループへの参加
国中に失業者があふれ、所得格差が広がりました。
繰り返されるストライキ、労働者や学生たちの動揺など、深刻な不況が招いた社会不安の中、ムヒカは青春時代を送ります。
「とても美しく、高いところから世界を見ていた現実が崩れ落ちました。
高いところから落ちるのが一番痛いのです。
ですので、上から落ちてあごを打ってしまった人たちで世界を変えるムーブメントに参加していました」
1960年代にウルグアイでは、南米最強と言われた都市ゲリラ「トゥパマロス」の活動が活発になります。
トゥパマロスは、武力による社会主義革命を目指す極左ゲリラで、キューバの革命家チェ・ゲバラの影響を受けた社会主義者によって結成されていました。
「世界を変えたい」という思いをもって、ムヒカもその活動に参加していきました。
抗争の日々
ベッドの下に機関銃を置いて眠っていた、治安組織との抗争で緊迫した日々。
現在は妻となっている同士ルシア・トポランスキーが唯一の安らぎの存在でした。
トゥパマロスは過激でしたが、配達トラックを襲って食べ物やお金を貧しい者に分配したりしていたことから、”ロビンフット・ゲリラ”と呼ぶメディアもありました。
ムヒカも4度逮捕され、最初の逮捕では40フィートのトンネルを掘って100人の同市と集団脱獄。
最後の逮捕は1972年でした。
ここで13年の長い獄中生活を強いられることになります。
人質として軍に移される
度々ムヒカが口にする「自由」という言葉の意味を知るには、13年の獄中生活を知る必要があります。
トゥパマロスとの内戦を軍部に頼って終結させたことにより、発言力を強化した軍部は政治介入をし、1973年にクーデターを起こして政治の実権を掌握しました。
ウルグアイ初の軍事政権です。
ムヒカはじめトゥパマロスの主要メンバーは人質として刑務所から軍のキャンプに移されます。
つまり、トゥパマロスが組織として息を吹き返したら、彼らは処刑されるのです。
「身柄を確保した際に殺せなかったので、これからお前らの頭をおかしくしてやる」
と軍事政権側から宣告され、拷問を受けるなど、非人道的な扱いを受けました。
極限状態まで追いつめられる
長い間、人質たちは独房の壁をタップしてモールス信号を送り合うことが唯一のコミュニケーション手段でした。
トイレは1日に1回。水筒に排尿し、尿の不純物を沈殿させて上澄みを呑んだと言います。
なぜなら、十分な水が与えられていなかったからです。
銃弾の傷で内臓に深刻なダメージを与えられていたムヒカにはよいはずもありません。
拷問でけがをしても治療を受けさせてもらえず、何度も生死の境をさまよいます。
精神もまた、ぎりぎりのところまで追いつめられます。
本も与えられません。
独房にいて誰とも言葉を交わすことのない毎日です。
井戸の底の2m×1.4mの独房監禁されていたこともあります。
そんなとき、
「心の奥底と対話をし、頭がおかしくならないように闘っていました」
といいます。
幻覚があり、叫びだすのを防ぐために口に石を詰めたともいいます。
それでも死にたいとは思わなかったムヒカ。
「敗北者とは、闘いを辞めた人のこと。
人間は強い生き物であり、多くのことを乗り越えられます。
悪いことは良いことを運んでくれるのです」
自己と向き合い、取り戻していく
やがて7年間禁止されていた読書が許され、物理学や化学の本が与えられるようになりました。
そのころからムヒカは、発狂の恐怖や言いようのない孤独から破壊寸前だった精神状態から、コントロールを取り戻し始めます。
貪るよう本を読み、いつか必ず自由になれると信じながら、自己と向き合いました。
「おそらく、私はこの孤独な時期からもっともたくさんのことを学んだと思います」
これまでを振り返り、富の無益さや暴力の無意味を反省し、考えを改めることもありました。
また、新たな自分を発見しました。
「長年、私は刑務所の床で眠りました。
ですから、マット1枚与えられただけで、その夜は幸せな気持ちになれました」
そんな気付きの中で、自己の変化が起きます。
「私は、何もない中で生き残りました。
それで、人生において限度を知り、どんな小さなことにもありがたみを持つようになったのです」
ウルグアイに民主主義が戻る
軍事政権下であったウルグアイですが、軍が軍部の政治介入を合法化する国民投票を行うも、否決されます。
1985年、トゥパマロスのメンバーは民主主義の復活に伴う恩赦で釈放されました。
囚われの身だった13年間の壮絶な体験を強いた者たちを「憎んではいない」とムヒカはいろんなところで語っています。
「憎悪には少しの意味もありません。憎悪は毒です。
誰も払わない負債を負うために人生を送ることはできません。
それは人生とは言わない。明日に向かうのが人生です」
かつてムヒカが収監されていた刑務所は、今ではショッピングモールとして生まれ変わっているそうです。
深い孤独だけが教えてくれること
一人きりになることで、ふてくされて自分を放棄する人もいますが、逆に自己を見つめなおす機会にできる人もいます。
たくさんの偉人が孤独を知っていたように、孤独な時間を自分のモノにすることで、一歩が踏み出せるのかもしれません。
「孤独はたぶん、死の次にもっとも悪いことです。
しかし、ワタシはその経験と時代を生きたからこそ、今があります」
とムヒカも言っています。
「私の人生は恵まれています。
社会主義者として闘い、考えたこともなかった、大統領というアルバイトをさせていただいている。
我々の世代は世界を変えようとした。
格差をなくすために闘い、潰され、砕かれた。
でも、私は、まだ夢をみています」
絶望的な孤独の中で、なお自分の理想を捨てなかった大統領。
この社会はわたしたちにさまざまな孤独を与えますが、それに押しつぶされることなく、自分を見つめていきたいものですね。
今日は、久しぶりにカフェタイムがとれました。
陽射しが最高の1日でした。
図書館は、いつもよりも盛況。
公園は木漏れ日でいっぱいでした。
明日はちょっと忙しくなるので、貴重なお休みです。
明日もあなたにとってすてきな1日になりますように!
では、また。