理想に燃え、孤独を知っている人は、こんなにも優しく強くなれるんですね。
リアルタイムでのホセ・ムヒカ大統領は、ほんの一部知らなかったのが悔やまれます。
こんばんは、ラブです。
ムヒカ大統領の前のバスケス政権
ムヒカ政権の前のバスケス政権も、貧困の根絶に力を注いでいました。
ムヒカもまた、前政権の政策を継承すると強調し、税金や累進性の強化や奨学金の充実など、国民生活支援を続けると公約していました。
ムヒカ政権が発足した際には、野党にも政権運営への参加をよびかけてスタート。
「ウルグアイでは、2%が極貧層にあり、20%が貧困層にある。これは、国の恥である。」
そしてムヒカは、国家支出の厳正化をはかることを表明したのでした。
大統領就任前から、ムヒカはその考え方で動いていました。
ムヒカ大統領が就任する際の祝賀パーティと式典。
ヒラリー・クリントン米国国務長官とラテンアメリカのリーダーが出席する祝賀パーティが計画されていました。
ムヒカは、何とそのための資金を2010年に大企業10社に190万円寄付するように要請したそうです。
これに関しては、さまざまな反対の声や「品がない」といった非難が出ました。
辞任するバスケス大統領は、ムヒカの要請を却下。
しかし、バスケスは大統領としての最後の仕事として、パレードの一部を企業が出すことを決め、パレードや祝賀コンサートを縮小させました。
「私たちが「世界にお金が足りない」などというのは、
お金を出して解決できる人に要求ができず、
その人のポケットに手を突っ込むことができない、
また、そうさせることもできない政治的意気地なしだからです。
だから私は政治にいるのです!
だから政治の世界で闘うのです!」
南米諸国連合会議でのスピーチで、彼の政治理念が語られていました。
就任してすぐに彼は、その理念を実行に移したのです。
就任後のムヒカ
ムヒカは就任後、遠い地域に行くためのヘリコプターは例外として、通常は小型で安い車をつかって浪費を避けるよう、当局に通達しました。
そして彼自身も、大統領専用車で移動するようなことはなく、愛車でどこにでも出かけていきました。
海外への出張はエコノミークラス。
国際会議では他国の大統領専用機に便乗することもあったとか。
キューバでの首脳サミットのあと、メキシコ大統領の専用機で自国まで送ってもらった際には、メキシコ大統領の隣に座って話をするムヒカが撮った写真が公開され、話題になりました。
シートベルトが可愛すぎる、とネットでも人気のショットです。
ムヒカのシンボル的な政策
「政治というのは、ある人には有利でも別の人には不利になる、という選択肢を選ばなくてはなりません。
マジョリティにいるのか、マイノリティにいるのか」
マジョリティ側を助けるということは、「簡単に言うと、貧困者のためにベーコンをもう少し厚く切らなければならないということ」と説明しています。
ムヒカが立ち上げた政策に、社会福祉住宅計画があります。
1万5000世帯の貧困家庭に住宅を与えることを目的として、発表されました。
民間企業の支援を受け、建設工事は業者が行いますが、ボランティアも協力するのが特色です。
住宅には武器(銃1万2290丁)を鉄のリサイクル工場で鉄筋に変えたものを使用したそうです。
自身が語ったところでは、大統領としての給与29万ウルグアイペソの打ち18万ウルグアイペソを毎月この計画に寄付したと報じられています。
理念は実行してこそ
若い日に貧しい人たちを思って闘い、13年間の独房生活の中で自己を見つめなおしてきたムヒカ。
高い理念を持ちながら、それを実際に毎日の生活に活かしていくことって、誰でもできそうで、実はできないことですよね。
でも、この人の生きざまを知ることで、理想を持つことや、そのために闘うことって素晴らしいな、と思うことができました。
「理想はあっても、現実は厳しい」
「どんなに高い志を持っていても、実践するのは大変」
と、かんたんに言ってしまいました。
そんなふうに諦めてしまうのは、そこまで厳しく自分を顧みたことがないからでしょうか。
仕事で多少のドロップアウトをした身の上としては、この孤独だった時間を無駄にしないためにも、もう少し理想に対して強情になってみたいな、と思いました。
今日はどんな1日でしたか?
私はいっぱい本を読めてラッキーでした。
明日もすてきなことが、あなたにいっぱいありますように!
では、また。