猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

競争から自由になるスキル~『反応しない練習』

目をつぶって、競争したくなる自分の心をじっと眺める、という実践をしたら、ドロドロの承認欲が姿を現しちゃいました。

ダカラ、見タクナカッタンデスヨー。

でもこれは「妄想」。「競争」という名の「妄想」。

そう「理解する」実践をすることで、ちょっとラクになりました。

 

今回のキーワードは、「目を醒ます」です。

 

こんばんは、ラブです。

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「競争」という現実は、この世の中では避けて通れません。

しかし、勝ちを目指すことにより、緊張や焦り、プレッシャーがつきまといます。

負ければ、敗北感や劣等感と言った、負の感情が残ります。

私たちは、私たちを悩ませる「競争」と、どう向き合っていけばいいのでしょうか。

 

アドラー心理学でも、競争のむなしさについて述べています。

「もっと高くありたい」と思う優越性の追求は、「人と較べて」ではなく、今の自分よりも「理想の自分に向かって」一歩先に歩き出すことにこそ、求めるべきだと指摘していました。

 

understandlove.hatenablog.com

今回は、ブッダの思考方法を勉強することで「競争」の原理を分析し、そこから目を醒ます方法を実践したいと思います。

競争の原理とは?

そもそも競争とは、ブッダの思考法に照らせば、”求める心”から始まっています。

人間が地位やブランドや学歴や容貌、キャリアなど、「承認欲」を満たす記号を欲しがってしまうとき、「競争」が始まります。

競争は、ただの奪い合いにとどまらず、「もっと有利な、もっと優越した、人より上の自分」を目指したがるという人間の持つ”貪欲”がそこにあると言います。

それらに突き動かされる心理の奥には、「何かを手に入れれば、欲を満たせる」という原始的な欲求と、「手に入れたものだけでは満足できない」という貪欲(心の渇き)が存在しています。

欲は生きているかぎり続きます。

その欲を抱えたまま現実の世界に飛び込めば、終わりのない競争を半ば自動的に進めてしまうのです

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「勝利は蜜の味」?

「競争」を作っているのは、自分自身の「勝ちたい」という気持のほかに、競争を強いる「世の中の仕組み」があると著者は言います。

バーチャルな競争の例として「勉強」があります。

本来、「知的能力を身につける」という勉強の本質に照らせば、「点数で一喜一憂する」よりも、他に考えなければいけないことがあります。

しかし、親や学校、塾の先生たちは、子どもたちを駆り立てる刺激として、点数・順位・偏差値を子供を測るものさしとして突き付けます。

子どもたちは自分の価値を「点数」や「成績」で「値踏み」するという判断の方法を学習します。

認められるには、成績を上げなければならない、だから成績を上げることを目標にする、という思考を組み立てます。

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しかし、かつてのあなたもそうだったでしょうか、この思考には疑問が残ります。

「成績を上げる」というのは、実体のないバーチャルなものです。

別に楽しいわけでもない勉強、知的欲求を満たせるわけでもないものに「快」はありません。

子どもたちは、「大人に認めてもらいたい」という気持ちでイノシシのように張り切ってしまいます。

学校や塾にとっては、「子どもの成績を上げる」ことは、利益になりますし、親も自尊心を満たせます。

子どもたちもまた、勉強に「勝利」という価値を見るようになります。

みんなそれぞれに、勉強というバーチャルな競争に、欲求の満足という「蜜」があるから、執着を捨てきれずにいるのです。 

しかし、受験戦争の住人になると、常に承認欲の作り出した妄想に支配されます。

進学塾や予備校、進路先ばかりにこだわる進学校が、いつまでも人の目を気にして、どこか臆病な集団になるのは、そのせいです。

 

アドラー心理学でも、将来の見えにくさを「順位・競争・賞罰」で駆り立てることによって、見えたつもりになっていることを指摘しています。

「私が私であることを認めること」「普通である自分も認めること」こそが大事であること。

子どもを見守る大人が与えるべきなのは、「無償の愛」であることを述べています。

understandlove.hatenablog.com

 「完全勝者」はいない

競争という現実があることを、誰も否定できません。

しかし、「勝つ」というバーチャルにだけ価値を置いてしまうと、終わりのない「競争」に突入します。

ずっと勝ち続けることはありえず、ほとんどの人は「負け」を味わいます。

どこかでその発想を切り替えないと、その負けの苦しみが生涯つきまといます。

 

仏教では「現実を否定しよう」(競争から降りよう)とも、「迎合しよう」とも考えません。

競争という現実に「自分はどう向き合うか」を考えます。

自分の態度を確立することを求めているのです。

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競争の前に「準備」する

競争との向き合い方で、多くの人が思いつくのは、

①競争に参加して、勝利を目指す(世の中、そんなもんだと割り切る)

②競争から降りて、違う生き方を目指す

の、2つでしょう。

多くのビジネス書に「勝利・成功の哲学」とか、「競争を降りて自由に生きよう」というメッセージのものが人気です。

ただ、「大切なのは心の持ち方である」というブッダの思考を突き詰めていくと、もう一つの問いがあります。

「どんな心で現実の中を生きていくか」という問いです。

競争という現実を否定せず、その中で自分はどんな心を保つのか、それを確立しようという思考です。つまり、

③競争の中を、違うモチベーションで生きる

ということ。

「勝つ」という動機以外で、競争社会を生きていくこと。

勝ち負けという二者択一の価値観ではなく、別の価値観を持って、競争社会を生きることです。

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禅の考え「いっそ目をつむってみよ」

実際にやってみましょう。

目をつむると、目の前に暗闇が見えます。

そこには、勝ち負けを判断する人間も、世の中も存在しませんね。

そこに見えるのは、自分の思いです。

どんな思いが浮かんでくるのか、よく見てみます。

「負けるものか」

「自分の価値を認めさせたい」

「馬鹿にされたくない。見下されたくない」

そんな思いがこみ上げてくるかもしれません。

勝利への欲求、プライド、自尊心、虚栄心、見栄・・・。

これらの心は全て、心の暗闇から生まれています。

後れを取っている、劣っている、負けてしまう、自分に価値などないのではないか、といった思いも、暗がりの中にわいてきます。

 

こうした思いを正しく理解してみましょう。

①求める心がある⇒②勝ちたいという欲求がある⇒③勝ちか負けかという判断や自他を比べたり張り合ったりす意識、競争に駆り立てられている心がある。

 

はい、今見えているその思いは、すべて「妄想」です。

 

勝ちたい、勝った、負けたくない、負けた、どれも妄想です。

では、ぱっちりと目を開きます。

目の前の光景をよく見つめます。部屋の中でも外の景色でもいいです。

そのとき観えているのは、光(視覚)です。

先ほどまで脳裏に浮かんでいた妄想は、どこを見ても存在しません。

「いま考えていたことは妄想(まぼろし)だったのだ」とはっきり実感してください。

 

「しかし、現実の中に生きていれば、また妄想に巻き込まれてしまうのではないか」

と思うかもしれません。

しかし、ここが仏教的な思考のポイントです。

私たちが目醒めるべきは、競争という社会の現実に、日ごろ「どんな心で向き合っているか」という根源的な部分です。

まずは自分の反応、今の心の状況に気づくこと。

どんな心で世界に対峙しているかを理解することなのです。

「勝ちたい」という欲が作った妄想に気づき、まずは抜け出すこと。

それが競争から自由になる一歩なのです。

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本当に満足して生きるために

競争に身を置いていれば、満たされないままの人生で終わってしまいます。

大切なのは、バーチャルな競争から抜け出ること。

そのとき、競争に乗るか降りるか、あるいは別の動機で新しく生きていくかという選択が可能になります。

本当の自分が納得する勝利への可能性は、そのあとに開けるのです。

 

外の社会や人間が気になってしょうがないなら、目を閉じてください。

勝ち負けや優越、劣等という判断が苦しいなら、目を開いてください。

 

目を閉じるのは、反応しないため。

目を開くのは、妄想からめを醒ますため。

シンプルですが、これが競争という妄想から抜け出すための第一歩です。

 

では、勝ち負け以外にどんな動機を用意すればいいのか。

それについては、明日勉強したいと思います。

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実践あるのみ

ワタシも目をつぶってみました。

「そんなにたくさん妄想は浮かばないだろうな」

という予想に反して、ゴウゴウと音を立てる競争心と闘争心、自己顕示欲が黒い渦を巻いていました。

目を開けて、「あれは、妄想だったのか」と思ったとき、次にやるべきことが一つ見えてきました。

妄想に支配されて、動けずにいたことに気づけました。

自分の心の奥底にあるものをのぞき込むことは、地獄の釜の蓋を開けるような気がして、何だか少し不安がありました。

しかし、「それもこれも妄想」だとバッサリ切ってもらうことで、とりあえず一歩進める気がしました。

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今日もおつかれさまでした。

ゆっくり休んでくださいね。

では、また。

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