本を読むのはそれなりに好きだったのに、それが受験勉強にすりかわり、望む分野の仕事に就きたくて資格の取得やら就職試験・・・。
やっと仕事を始めれば、ノルマや人間関係に悩まされたり。
何が楽しくてがんばってきたのかしらん。
競争のためじゃなかったはずなんだけどな~。
そんな悩みにブッダの答えです。
競争社会で生きることに覚悟を決め、勝ち負けを超えた「新しいモチベーション」に立つことができれば、もっと自由に幸福に生きることができるのかも?
今回大切なことは、「心の土台をバージョンアップ」。
こんばんは、ラブです。
競争に乗るか、降りるか。それとも別の動機で競争の中を生きるか。
私たちにはこの3つの選択肢があります。
問題は、「別の動機の立て方」にあります。
新しいモチベーションを持つことで、「競争の中にあって、競争に苦しまない生き方」ができるのです。
それがブッダの提唱する「4つの心がけ」です。
4つの心がけ
ブッダが教える人生の心がまえ、世界に対する向き合い方のキホンは、「慈・悲・喜・捨」です。
①慈【慈しみの心】
相手の幸せを願う心。
自分の都合や欲求ではなく、純粋に「相手が幸せであるように」と願う心。
②悲【悲の心】
相手の苦しみ・悲しみをそのまま理解すること。
相手の「悲」に共感すること。
③喜【喜の心】
相手の喜び・楽しさをそのまま理解すること。
相手の「喜」に共感すること。
④捨【捨の心】
手放す心、捨ておく心、反応しない心です。
「中立心」ともいいます。
たとえば、欲や怒りという反応に気づいて、ストップをかける心がけです。
世間では、これらをまとめて「愛」と表現します。
ただ世の中でいう「愛」は解釈が曖昧です。ときに互いを苦しめ合う理由にもなります。
しかし仏教では、「愛」を厳密に4つの心の働きに分けて理解しています。
「執着」を「愛」と正当化してはいけない
これらの「慈・悲・喜・捨」の4つの心は、人間ならば誰しも持っています。
特に難しいのは「捨の心」かもしれません。
というのは「執着」があるからです。
欲をかなえたい、許したくない、相手に認めさせたい、勝ちたいというのは、全部「執着」です。
人間は執着している想いを、「相手のため」「世の中のため」「正義」「愛」と理屈をつくって正当化してしまいます。
これは、親子でも国際関係でも同じなのです。
自分で納得できる人生の土台の作り方
この4つの心がけは、誰でも生まれついて自然に持っていますが、人は気づかないまま生きているのです。
その結果、欲望や怒り、妄想をもってテキトーに反応して悩んでいるのです。
身近な人にわがままをぶつけたり、仕事で自分の評価ばかりを追いかけたり。
怠惰と快楽にふけっても、心はいつも満たされず、過去の失敗が蘇ったり、将来に不安を感じたり・・・。
心はどこか渇いている。焦っている。でも、どうしたらいいか、わからない。
こうした迷える人生をリセットするには、ブッダの教えが参考になるかもしれません。
心を見る(理解する)こと、反応に気づくこと。
そして、「正しい動機に立つ」ことです。
慈・悲・喜・捨を心の土台に、人生のモチベーションに据えてみるのです。
「みんな、よく頑張っているな」で世界が変わる
超エリートの高収入ですが、職場は壮絶なる足の引っ張り合いでした。
ストレスで胃薬を常用し、いっそ仕事を辞めてしまおうかという時に、著者に相談に来ました。
著者が伝えたのは、「悲の心を向けてあげてください」ということ。
熾烈な競争を強いる環境で我欲で反応していれば、心は怒りで焼かれてしまいます。
仕事を辞める前にやるべきなのは、「正しい動機に立つ」こと。
職場のほとんどの人は安らぎを知らず、上昇欲とプライドと虚栄心に煽られています。
ストレス、疲労、猜疑心でいっぱいです。
そうした人々の苦しみを、まずは思いやること。理解すること。
「みんな、よく頑張っているな」と思うことです。
そう思えると、世界は少し違って見えるかもしれません。
欲に囚われれば世界は狭く、悲の心に立てば、なぜか”つながり”を感じます。
世界が広く感じられるのです。
苦しみのない人生をつくる
生きることには苦しみが伴う、”四聖諦”と呼ばれる教えの一説です。
「生きることはラクではない」、これは誰もが感じる「実感」です。
ただ、これが人生の「結論」ではありません。
「ここから苦しみのない人生を作っていこう」という出発点なのです。
「自分だけではない、人はみな、苦しみを抱えている」
これがブッダの教えから導かれる真実です。
この真実に目を開くことができれば、孤独感が少し溶けて癒されるかもしれません。
人はみな、それぞれの「現実」を精一杯生きているーそういう理解に立った時に、人は新しい人生を歩み始めます。
悲の心は、それくらい大きな力を持っているのです。
さきほどの男性も4つの心がけを知ったことで、気分が落ち着き、職場への苦痛がラクになったとか。
「心の持ち方」で、反応の中身は変わるもの。
その意味で、仏教だけでなく、さまざまな思想や人から生き方・考え方を学んでいくことは、今後の人生の希望になってくれると著者は言います。
「お役に立てれば良し」
慈・悲・喜・捨を”心の土台”としていくならば、仕事や人生の意味もまた違って見えてきます。
慈しみとは、他者の幸福や利益を願う心です。
そこから「貢献こそ大切」「役に立てれば良い」という思いが生まれます。
喜びの心に立てば、人の喜ぶ顔を見た時に、自分も幸せを感じられるようになります。
人が、煩悩ー我欲と怒りと妄想ーに執着すれば、必ず苦しみや満たされなさが生まれます。
「勝ちたい」「手に入れたい」という欲求は、「勝った自分」「手に入れた状態」を思い浮かべますが、それは妄想です。
「欲望」とは「欲求」プラス「妄想」のこと。
妄想で欲求を追いかけだすと、自分を見失い、本来の生き方・よき心の状態を忘れてしまうのです。
多くの人が、正しい生き方を忘れています。
そこにブッダは”目を醒ましなさい”と説いています。
慈・悲・喜・捨の心がけは、つい忘れますが、人が幸せに生きる上で欠かせない永久の真理です。
もしこの4つを、働く動機、生きる目的に据えるなら「競争」という現実の中で、欲と怒りと妄想に駆られて生きてきた自分から、ちょっと自由になれることでしょう。
「他者貢献」と言えば・・・。
自分が生きる動機を「煩悩」から「慈・悲・喜・捨」へバージョンアップさせていこうとすれば、見える世界が違ってきますね。
許せなかった人だとか、忘れられない過去だとか、そんなものへのこだわりが、「妄想」だったんだな~と緩められる感覚があります。
他の人への貢献を人生の指針にしていくことは、アドラー心理学でも「他者貢献」として勉強させてもらいました。
ちなみにアドラー心理学では、他者貢献の前に自己受容をしっかり行うことも提唱していました。
人が本当に幸せになりたいならば、永久不滅の理念としては、”人生の土台”をそうした理念で作っていくことが良いみたいですね。
思えば、子どものころから超ネガティブ思考で、不安や後悔でいつも頭がいっぱいでした。
最近になって、アドラー心理学をはじめ、いろいろな本に考え方のヒントや勇気をもらって、ようやく人並みレベル(?)に肩の力が抜けて随分ラクになりました。
人間関係の悩みに苦しくなったとしても、電車に飛び込んだり、電柱に激突しなくても、解決する方法はある。
それって、ワタシにとっては大発見でした。
人間関係の泥沼は、いくら考えても深みにはまるばかりで、どう逃げていいかわからなかったんです。
そして、放っておいても人生は、そんなに長くないですね。
あれこれ自縄自縛で悩んでばっかりだった今までの人生の分だけ、残りの人生を、絶対に幸福に生きてやるって決めたんです。
これからもまた、あちこちとシアワセを追求すべく思想をつまみ食いしていきます。
気になる内容がありましたら、お付き合いください。
そろそろ『反応しない練習』は終わりです。いやはや、こんなに長くなるとは。
「世界一幸せな国」ブータンの思想に移ろうと思っています。
超・幸せそうな思想を持った国で、羨ましいったらありゃしないです。
気づかないうちに、疲れをためやすいときです。
リラックスや睡眠、大事にしてくださいね。
明日もあなたに、たくさんの良いことがありますように!
では、また。