2005年のブータンでの国勢調査では、「あなたは今幸せですか?」という問いに対し、45.1%がとても幸福と答え、51.6%が幸福と回答しています。
合わせると97%もの人が幸福を感じていることが分かります。
そんな「世界一幸せな国」の生き方ガイドです。
今回のテーマは「幸せとは」。あなたは、どんなことが幸せだと思いますか?
こんばんは、ラブです。
慈しみと思いやりの国、ブータン。
互いに大事にしあう環境を持ち、心を穏やかに保つ生き方を自然と国民全体がしているのだといいます。
高価な物をたくさん所有することや、便利でラクな暮らしが幸せの指標としがちな私たちの国ですが、どちらが本当に幸せなのかは、一目瞭然ですね。
本著では、ブータン国王顧問としての立場を通して、著者が実際に見て感じた「ブータンの人々の幸福の秘訣」です。
本著では煩悩の数に合わせて108個のブータンの人々の考え方記しています。
その中から、ワタシの独断と偏見でいくつかご紹介させてもらいます。
1つでもあなたに、気に入った言葉があったら嬉しいです。
朝目覚めた幸せに感謝し、その日の笑顔を増やす
ブータンでは、毎朝目覚めたら、「今日もこの瞬間を迎えられてよかった」と、生きている幸せに感謝します。
新しい朝を迎え、また昨日とは違う1日を過ごせる喜びをかみしめています。
そうしているうちに自然と微笑みや明るい笑顔が増え、自分だけでなく、周りの人も幸せな気持ちにすることができるようになるのです。
朝は、その日に何をしようかと楽しい想像を膨らませる時間にすることができるのです。
ブータンには夢という言葉はない
日本語の夢という言葉は、ブータンでは人生の目標を訳します。
もちろん、眠むときに見る夢という概念はありますが、夢という言葉は存在していないのです。
目標を夢と言っているうちは、まだ絵空事であり幻です。目指す目木目標を掲げるのなら、どのように終着点に向かうか、具体的な方法をしっかり考えるのです。
生まれてきたことが幸せ
輪廻転生の考え方でいえば、数多い生命体の中から人間に生まれることは、奇跡的な確率です。
これまでにさまざまな事情で生まれてくることができなかった命もあります。
あなたがこの世に生を授かり、今生きていることがどんなにすばらしいか、幸せを再確認することができます。
その日のうちに負のエネルギーを浄化する
毎日気持ちの良い朝を迎えるためにも、負のエネルギーは、その日のうちに浄化することが大切です。
チベット仏教には、罪を浄化してくれる懺悔の言葉を唱える教えがあります。
もし、過ちを犯してしまった場合、この懺悔の言葉を繰り返し唱え、また同じ後悔をしないよう心にとどめることで罪を浄化し、負のエネルギーをもちこさないようにしているのです。
自分の背中を意識せよ
調子に乗りすぎてしまい悪目立ちしてしまった人のことを、ブータンでは「あの人は自分の背中を見ていない」と表現することがあります。
ときに、目先の感情ばかりにとらわれて、周りが見えなくなってしまうこともあります。
調子のよいときこそ、自分の背中に気を付けたいものですね。
1回目の失敗はあり得ること
一度道に転がっている石に躓いたら、もう同じ場所では転ばなくなるでしょう。
1回目のハプニングは不意に起こるため、避けられない可能性がありますが、二回目は自分の努力や注意で回避することができます。
1回目の失敗は自分を成長させる教えだと考え、そこでくよくよ考えたり落ち込むのではなく、ありがたく受け止めましょう。
感謝の気持ちで不満を減らす
ブータンの人々は、生かされていることに対して、朝起きた時、ご飯を食べる時、夜寝る時と、常に感謝の気持ちを忘れないでいるため、彼らからは不平、不満の声をほとんど聞きません。
日常の中で、愚痴をこぼすことはあっても、今こうしていられることへの感謝については、ほとんどの人がかんがえていないのではないでしょうか。
それこそが不平、不満をためてしまう原因なのです。
挫折という概念はない
もし、失敗したとしても、「地がひっくり返ったわけでも、天がおちてきたわけでもないのだから」と、楽天的に考えるのがブータン流です。
次に頑張ればいい、悲しみに浸って時間を無駄にしても仕方がないという考えのもと、気持ちを上手に切り替える人がたくさんいます。
あまりくよくよすることもないので、挫折というはっきりした概念はありません。
幸福を味わう形はなんだっていい
座っての瞑想、寝たままの瞑想があるのですから、踊る瞑想があってもいいのです。
瞑想は座禅のように、きちんと正座をしてするという固定概念にとらわれなくてもいいのです。
自分が心の底からやすらげるシチュエーションで、幸福を味わうことができるのならば、形はなんだってかまいません。
これは仕事、恋愛、家庭など、どんなシーンにも言えるのではないでしょうか。
自分が自分の主になる
自分の主に自分がなる。
つまり、自分に対して、自分が責任を持つということです。
「自分の心はいたずらなサルと同じ」という教えがあります。
怒りなどの強い衝動が起きた時、制御しようとしても、なかなか冷静な判断はできないものなのです。
勢いで行動せず、一呼吸おいて自分で自分を慣らすことができるよう、心をととのえることが大切なのです。
知り合いでブータンに行った人がいて、その様子を聞いたことがあります。
家族で互いに支え合うことが、当たり前で、子どもたちの笑顔が最高であったと聞きました。
大人にもかかわらず体調不良でもないのに、1年も休みをとっている人もいたそうです。
「昨年いっぱい働いたから」がその理由だとか。
そんな人がいることもフツウだし、家族が支えてくれるから、大丈夫だそうです。
仕事のし過ぎで精神を病んで、電車に飛び込んでいる私たちの社会と較べると、物質や効率ばかりを求めるこの国の在り方が間違っている気がしてきました。
自分が変われば、世の中もちょっとずつ変化するそうですから、とりあえずブータンの人たちにならって、明日を今日よりもハッピーに過ごしたいと思います。
今日もおつかれさまでした。
ゆっくり休んすてきな夢を。
では、また。