人間関係は、何かと疲れるもの。
しかし、嫌いな人との付き合い方も、「パターン」として考えることで、少しラクになるかもしれません。
本日のキーワードは、「関わる深さ」。
こんばんは、ラブです。
あまり多くの人と会いすぎないのも手です
人間関係で疲れないためには、あまり多くの人に会いすぎないことも大切です。
もちろん、中にはそれがストレスにならないタフな人もいます。
人とつながることがストレス解消になるならばよいのですが、それで疲労を感じるならば、分量を再考するもの1つの手です。
著者は仕事柄日々とてもたくさんの人と会うのですが、自分が実際に付き合うメンバーというのは、ある程度決めているそうです。
大切に付き合っていくのは、相性のいい付き合いの長い人、信用のある人。
そうした人たちと「暗黙知」が積み重ねられた、こなれた関係の人と付き合うことは、ストレスが少なくて済むものです。
上手に仕事をしている人を観察していると、必ずと言っていいほど、身近にものすごくできる人がいて相棒としてサポートしています。
「暗黙知の関係を大切にする」という観点を取り入れると、たしかに人間関係はすっきりします。
もちろん、職場の異動など、自分の意志とは関係なく新たな人間関係を築かなければならないときはあります。
しかし、暗黙知を共有できる人という観点で人間関係を構築するようにすると、あまり悩まなくていいかもしれません。
すべての人とつながる必要はない
SNSは宣伝や情報などのメリットがありますが、どうしても常時大量のやりとりとエネルギーを使いますよね。
今は時代の空気として「常に大勢の人とつながっていないと不安」のようなものがどうしても蔓延していますが、自分なりの距離を持つことも大事ですね。
つながっている良さは確かにあります。
しかし、良いことばかりではありません。
このエネルギーを、ちゃんとした読書に使うとかなり本も読めますしね。
つながっていない良さもあることを認めて、バランスをとっていくことが必要な時期にきているのかもしれませんね。
SNSの良さはもちろんありますが、それがストレス源にならないコントロール術を身につけることは大事です。
淡交のススメ
『荘子』の山木篇に「小人の交わりは甘きこと醴(れい)のごとし」とあります。
醴(れい)とは、甘酒のことです。
つまり、君子はさらっとした水のような付き合い方をし、小人はどろっとした甘酒のような付き合い方をする、ということです。
この言葉が教えているのは、人間関係は濃いのがいいとは限らない、ということ。
人は相手に思い入れが強すぎると、その人が少し思い通りにならないかっただけで、イラッとしてしまうものですよね。
淡交という言葉には、適度な距離を保って人づきあいすることの大切さが込められているのです。
組織の仕事というのは、1つの仕事をだいたい3人くらいですることが多いと思います。
そのときに、「このプロジェクトを成功させるために」とか「このプロジェクトの間だけ」と考えると、助け合うことにそれほど負担がなくなるのではないでしょうか。
目的と関係性をはっきりしない中で助け合うと、どこまで甘えていいのか、手助けしていいのか、線引きの難しさがずるずるとして疲れてしまうこともあります。
あくまでもプロジェクトのためとして、さらっとした「淡交」が、職場での人間関係をこじらせないコツかもしれません。
嫌いな人のクセを見切る
対人関係で最も疲れるのは、嫌いな人とのコミュニケーションですね。
でも、時としてそういう人とのコミュニケーションもとらなければなりません。
そういう時には、オートマティックにやっていくことが有効です。
相手の反応は、その人のクセ。
「この人は、こういう人なんだ」
「これがこの人の付き合い方なんだ」
「この人は、こういう皮肉を言う人なんだ」
というように「パターン」として認識し、いちいち感情を動かさずに受け流す、というのがポイントです。
その人が、たとえば上司のようにコミュニケーションをとらなければならない場合は、「はいはい、今日の皮肉は?」というような待ち構えるくらいの勢いで、その場から受け流していくといいでしょう。
こういうものは、恐怖心を持ってしまうと本当に嫌なものです。
しかし、「相手のパターン」あるいは「クセ」だと思って割り切ってしまえば、それほど苦にならなくなります。
なぜなら、自分が相手の癖を見抜いているという段階で、自分のほうが優位に立つことができるからです。
人間は「クセの集大成」。
イヤミや皮肉もその人の人格として捉えるから腹が立って嫌になるのであって、単なるクセだと思うと、腹も立ちにくくなるそうです。
人というのは、いろいろな癖が集まって「人」という形になっているもの。
笑い方ひとつとっても、「朗らかに笑う人」もいれば、「皮肉な笑いをする人」もいます。
それは、その人の気質によるもので、変えられません。
だから、「そういうクセ」として、文学的な見地から楽しむのです。
ドストエフスキーの小説では、普通の人間なんか一人も出てこないそうです。
クセのある人物だけ。
日本人は基本的に神経が細やかで押しに弱いので、世界基準で見たら「ほんの少し皮肉っぽい人」や「ほんの少し荒々しい人」だったりする程度かもしれません。
受けいれて楽しむことができれば、あなたの勝ちなのではないでしょうか。
暑い日が続いていますね。
冷たいアイスティーが美味しい1日でした。
今夜もすてきな夢が見られますように!
では、また。