弱みを見せないように生き、すべてを失いました。
しかし、そこから清々しく立ち上がっていった著者。
失敗をものともしない姿。その強さの秘訣は何なのでしょうか。
東大の学生時代に起業したIT企業が、27歳のときに東証マザーズ上場。
近鉄バッファローズ買収に名乗りを上げ、日本放送の筆頭株主になり、フジテレビとの関係で大騒動になった著者。
生意気だとか、金の亡者だとか、中高年からさまざまな批判を浴びつつも、起業化ブームの象徴でした。
ところが2006年、東京地検から強制捜査を受け、証券取引法違反で逮捕。
独房生活で高齢受刑者の下の世話をしていた中で、何を思っていたのでしょうか。
今回のキーワードは「ノリ」です。
こんばんは、ラブです。
「刑務所の中で、どんなことを考えていましたか?」
「刑期を終えて出所したら、最初になにをやりたいと思っていましたか?」
出所後のインタビューでよく聞かれた質問に著者は、
「早く働きたい、と思っていました」
と答えています。
恨みや絶望よりも、著者の心をとらえて離さなかった思いは、その一言でした。
生い立ち
福岡県南部の山間部に位置する八女市に生まれた著者は、典型的な昭和のサラリーマンの家庭に生まれました。
ごく普通の家庭・・・と著者は評しているけれど、どう見ても子供に対して決して甘くはない家庭で育っています。
小学校時代からずば抜けた成績をとっていますが、協調性のない問題児な著者は、勉強ができるからといって一目置かれることもなく育ちました。
小学3年生で出会った担任が著者の良さに気づいて、地元で1番の中高一貫の進学校への進路を勧めてくれたことから、人生が変わっていきます。
進学のために福岡県南部で最も大きな繁華街である久留米市の進学塾に通った著者。
個性的な友達、抜群にうまい授業をする講師陣とふれあうなかで、勉強が面白くなっていきます。
中学からはコンピューターに出会い、パソコンのプログラミングにはまっていきます。
どうしても2台目のパソコンが欲しくなって、中2で新聞配達のアルバイトもします。
パソコンの世界にははまりこみ、そして高校に入ると遊びにはまりこんで成績を著しく落としていきました。
このままでは大学に行くにしても、実家からの通学を余儀なくされてしまいます。
もう、この地方での暮らしに行き詰まりを感じていた著者。
かといって、大阪や名古屋を目指す気になれず、はやり行くとなれば東京。
そして堀江家の金銭的理由から、国立そして東大に合格するしかないという選択肢しかないと判断します。
遊びに時間を浪費して失われた自尊心を取り戻すためもありました。
模試ではF判定だった成績をC判定まで上げ、現役合格を果たしたのでした。
待望の大学生活。寮に入ると、そこでは麻雀三昧な毎日を送った著者。
女性にも全くモテなかったと言います。
まれに女の子に話しかけられても挙動不審な態度しかとれなかったと振り返っています。
なぜだったのでしょうか。
仕事や人生に怖気づく理由
女の子の前で挙動不審になりまくっていた著者。
対人関係全般を苦手としていたわけではありませんでした。
結局これは、女の子を目の前にしたときの「自信」の問題だったと振り返っています。
そして著者には、当時自信を形成するための「経験」が、圧倒的に不足していうのです。
仕事でも人生でも、もちろん異性関係でも、「キョドってしまう」のは、性格の問題ではない、と著者は断言します。
ましてや、ルックスなど関係ないし、学歴や収入、社会的な地位とも関係ない。
これはひとえに「経験」の問題なのだというのです。
そして経験とは、時間が与えてくれるものではない、と言いきります。
何かを待つのではなく、自らが小さな勇気を振り絞り、自らの意志で一歩前に踏み出すこと。
経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出し歩数によってカウントされるのです。
著者は始めから営業が得意で、交渉事が得意だったわけではなかったのです。
自分をうまく表現できなかった著者を大きく変えたのは、大学時代に経験したヒッチハイクの旅でした。
「小さな成功体験」を積み重ねる
学問の道に今一歩光を見いだせなくてあきらめ、麻雀にあけくれていた著者に友達がヒッチハイクに誘います。
高速道路のサービスエリアやパーキングエリアの従業員用出入り口から侵入し、休憩中のドライバーに片っ端から声をかけて、「次のパーキングエリアまででもいいので」と頼む。
声をかける時は緊張するし、勇気もいります。
でも、ヒッチハイクに成功した時の達成感は大きいものでした。
好きな時に好きな場所に、1円も使わずに勇気1つでどこにでも行ける圧倒的な自由。
この小さな成功体験を積み重ねることで、著者はコンプレックスだらけの自分に自信を持つことができました。
見知らぬ人に声をかけるのも、交渉も怖くなくなります。
著者が起業後に臆することなく営業をかけていけたのは、この経験がベースになっているのです。
挑戦を支えるのは、「ノリの良さ」
友達からヒッチハイクに誘われて、やってみるのか、断るか。
あるいは友達からおもしろそうなイベントに誘われて、参加するのか、しないのか。
いずれも取るに足らない、些細な事です。
でも、あらゆる人の一生とは、こうした小さな選択の積み重ねによって決まってくると著者は言います。
これは、チャンスの問題。
裕福ではない家庭に生まれた著者ですが、何かの機会が奪われたとは考えていません。
なぜなら、チャンスだけは誰にでも平等に流れてくるからです。
桃太郎は、おばあさんのノリの良さが生んだ奇跡
チャンスについて語るとき、著者がよく持ち出すのが昔話の『桃太郎』です。
川で洗濯をしていたおばあさんは、大きな桃につびつきました。
奇妙な桃だと怖がらず、洗濯中だと無視することもせず、とにかく飛びついたのです。
鬼退治の物語は、おばあさんが桃に飛びついたところから始まったのです。
チャンスとは、あらゆる人の前に流れてくるもの。
大きな桃ではなく、葉っぱ1枚かもしれないのです。
それでも、目の前に流れてきたチャンスに躊躇なく飛びつけるか。
そこが問題なのです。
著者はこの「チャンスに飛びつく力」を、向上心とか目的意識という堅苦しい言葉にしたくないと言います。
もっとシンプルな、人としての「ノリのよさ」だと言います。
フットワークの軽さであり、好奇心の強さ。
そしてリスクを承知で飛び込んでいける小さな勇気。
それらの総称が「ノリのよさ」です。
女の子にキョドっていた著者は、女の子に対する「ノリのよさ」が欠落していたと言います。
チャンスの見極め方
チャンスの見極め方がわからないという意見があります。
桃と葉っぱの見極め方がわからないのです。
しかし、その言葉こそが「ノリの悪さ」をあらわしていると著者は言います。
チャンスを見極める目なんて必要ない、と。
少しでも面白いと思ったら、躊躇せずに飛び込む。
こうしないと、せっかくやってきたチャンスは流れる桃のように過ぎ去ってしまうのです。
小さな成功体験の前には、小さなチャレンジがある。
そして小さなチャレンジとは、「ノリのよさ」から生まれる。
ノリの悪い人は、人生の波にも乗れない。
もちろん血肉となるような経験もできず、自信にもつながっていかない。
シンプルに考えればいいのです。
全ては、「ノリのよさ」からスタートするのです。
失敗することを怖がるあまり、手足を縮めて生きてしまうことがあります。
そうしている間に、チャンスはどんどん流れていくもの。
そんなの、もったいないですね。
どんな過去があろうともそんなものにとらわれず、「ノリのよさ」を忘れずに生きてみようと思いました。
今日は関東は梅雨らしい天気でした。
草木が夏に向けて、たくさん水を吸い込む音がしそうです。
明日もあなたに、ラッキーなことがたくさん起きますように!
では、また。