ビジネス戦略からプライベートの買い物まで、何事も即決即断で決めていくという著者。
かなりの大きな予算の動くプロジェクトでも、打ち合わせの現場でポンポンと結論を出していくそうです。
そこには、著者が自身を感情的な人間であると身に染みて理解しているからだといいます。
ただ、感情で物事を判断すると、ロクなことにはならない。
そのために著者は悩むことをやめ、ひたすら考えることに努めてきました。
今回のキーワードは 「シンプル」。
こんばんは、ラブです。
理性の声に耳を傾け、「悩む」のではなく「考える」こと。
その二つには決定的な違いがあります。
まず「悩む」とは、物事を複雑にしていくこと。
一人悶々として、わざわざ問題をややこしくし、袋小路に入り込んでしまいます。
時間を引き延ばし、結論を先送りにする行為です。
ランチのメニュー選びから、人生の岐路まで、人は悩もうと思えばいくらでも悩むことができます。
そして、つい「悩む」方に流されてしまうものなのです。
一方「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為です。
複雑に絡み合った糸を解きほぐしていきます。
簡素な1本の糸にして、簡潔な原理原則にまで落とし込んでいくことです。
物事をシンプルに考え、原理原則に従うこと。
理性の声に耳を傾けること。
それは、湧きあがる感情とのせめぎ合いでもあります。
たとえばダイエットに対して、理性では「運動しなきゃ」と思いつつも、感情が「でも面倒くさい」とサボりたがるときがあります。
感情を退けて下す決断は、ときに大きな痛みを伴うものです。
複雑に見える課題でも、元をたどればシンプルだと著者は言います。
シンプルであったはずの課題を複雑にしているのは、わたしたちの心であり、揺れ動く感情なのです。
そして、自分の人生を前に勧めていくためには、迷いを断ち切り、シンプルな決断を下していく必要があるのです。
決断できなければ、いつまでもこの場にとどまり、「このまま」の人生を送るしかないのです。
著者は前を向いて、一歩踏み出すために、そして迷いを捨てて働くために、シンプルな決断を繰り返してきました。
決断は重要なものですし、決断できる人になるためには条件があります。
自立すること
大学受験でも起業でも、「自分の頭で考える」ことが大切。
そして常識を疑い、自分の頭で物事を考えていくためには、自立。
親元を離れた自立が必要だと考えます。
精神的に親から自立して、物理的、経済的にも自立すること。
そうすることで、人は「自分の頭」で物事を考えられるようになります。
困ったときにも親に頼らない。
どんなに追い詰められても、親に弱音を吐かない。
両親への感謝とは別に、しっかりと自分の足で立つこと。
なにかを決める時、親の顔をちらつかせないこと。
いざとなったとき、親に助けてもらおうと思わないこと。
親との関係は、そのまま社会との関係につながります。
会社や組織から自立できなければ、おもちゃ売り場の子どものようになってしまいます。
自分ではなにもしようとせず、ただ会社の不平不満をこぼすような人になってしまうかもしれないのです。
孤独と向き合う強さを持つこと
決断とは、「なにかを選び、他のなにかを捨てる」ことです。
Aを選べば、BやCの選択肢を捨てたということでもあるのです。
たとえそれが正しくても、決断には大きな痛みが伴うこともあります。
著者は離婚によって、それを痛感させられました。
温かい家庭を知らない育ち方をしたこともあり、著者は最終的には妻子と別れることになります。
寂しさのあまり、荒れた毎日を送りました。
ある日、何気なく開けた引き出しから出てきたのは息子の写真でした。
手と膝が震え、失くしたものの大きさに打ちのめされます。
しかし、孤独だから、寂しいからといって、他者やアルコールに救いを求めていたら、一生誰かに依存し続けることになります。
この孤独は、自分の責任で引き受けなければならない。
そこから著者は連日のバー通いにピリオドを打ち、仕事の合間にスポーツジム通いを始め、広すぎた一戸建てを引き払ってマンションに引っ越し、自炊を始めました。
あの孤独を乗り越えられたのだから、もうどんな困難に襲われても動じない。
誰が何と言おうと、自分の信じた道を突き進むことを決めたのです。
なかなか一歩を踏み出せないとき、孤独や寂しさへの耐性が足りないのかもしれません。
少し寂しくなったら、誰かを頼る。孤独を感じたら、誰かに泣きつく。
友達も家族も大事だけれど、ひとりで孤独を受け止める強さをもってこそ、真の自立を果たすことができるのかもしれません。
自立の先のつながり
極端な個人主義者ともとれる著者です。
いっそ一匹オオカミとして生きてもいいんじゃないかと思います。
しかし著者が会社をつくっていったのは、自分が普通の人間であることを良く知っていたからだと言います。
独創的なアイディアもなく、飽きっぽくて、専門性を持ったいい意味でのオタクにもなりきれない。
著者が感情や感性よりも理性を大切にしているのは、自分が天才ではないことを正面から受け入れているからだと言います。
そして、天才ではないから、会社をつくる。
優秀な仲間を集め、自分に欠けた部分を補ってもらうのです。
仲間とは、孤独や寂しさを埋め合わせ、傷をなめ合うために存在するのではないと著者は断言します。
互いの能力を補完し、ひとりでは実現できない夢を、みんなで叶えるためのもの。
そんな他者が仲間だと言います。
東京拘置所で担当弁護士としか面会できないとき、ライブドア社員から色紙いっぱいに応援メッセージを渡された著者。
ライブドア社員であるというだけで、世間から白い眼を向けられていたときに、熱いメッセージを送ってくれたことに号泣したと言います。
いままで背伸びをしてきたけれど、自分はちっぽけな存在で、仲間に助けられていたことに気づいたと言います。
諸行無常
ライブドアという会社を失って、どう思ったのでしょうか。
命がけで育てた会社に愛着はだれよりもあるけれど、未練はないそうです。
そう思えるのは、もうすでに前を向いているからだと言います。
逮捕され、保釈期間の間ライブドアの関係者との連絡を一切取ることが許可されなくなりました。
テレビでは連日著者の話題でもちきりです。
携帯電話の番号もメールアドレスもかかわりを断つためにやむなく変更します。
長い拘留生活のあと、人の視線が怖くなり、軽い対人恐怖症になった著者。
ブログの更新にも、何を書けばいいのかわからなくなります。
生まれて初めての引きこもり生活でした。
そんな時に大きな救いになったのは、ライブドアとは関係なく仲良くしてくれた友人と、郵政選挙で出馬した際に広島で知り合ったボランティアスタッフたちでした。
ほとんどの人が、「売名行為」と非難する声がけっこうあったことをワタシも覚えています。
そんな中で、私利私欲を超えて「日本を変えましょう!」と真夏の選挙戦を一緒に闘ったひとたちとのつながりがあったのです。
座右の銘を聞かれることが多い著者。
特に座右の銘を持っていなかったのですが、「諸行無常ですよ」と答えることにしているそうです。
これは座右の銘でもなく、仏教的な心構えでもなく、世の中の真理だと著者が実感したからです。
万物は流転する。
全ては流れる川のように。
諸行無常の原則は、組織やビジネス、人間関係にもあてはまります。
組織は動き、ビジネスは変化します。
現状維持などありえないのです。
私たちは変わり、変わらざるを得ないのです。
そして私たちを囲む環境もまた、変わっていくものなんですね。
立場が変わったり、環境が変わったりして、さまざまなものを失ったとき、ついつい「悩んで」時を過ごしてしまいました。
失くしたとしても、それはマイナスになったのではなく、ゼロになっただけだと著者は言います。
そこにまた小さなイチを足していくこと。
つべこべ悩んでいないで、シンプルに考え、変化する人にも環境にもむきあっていくこと。
そんな勇気を少しもらえました。
今日もお疲れさまでした。
ゆっくり休んですてきな夢を。
では、また。