成功したければ、挑戦すること。
挑戦して、全力で走り抜けること。
その全力疾走のことを、人は努力と呼ぶけれど、著者はちょっと「努力」という言葉の古臭さと説教じみた匂いが好きではないようです。
しかし、その「地味な積み重ね」というホリエモンに似合わないものを、実は堀江貴文さんは大事にしていたのです。
今回のキーワードは、「自由」。
こんばんは、ラブです。
成果に向かって全力疾走することを「努力」と呼ぶのなら、努力するなんて当たり前だというのが著者は思っていました。
わざわざ「みんな努力しようよ」なんて野暮ったいことを訴える必要はない。
ただ「成果を出そう」と呼びかければいいと考えていました。
また、自分が努力している姿を見せたくないという気持もあったのかもしれません。
おかげで誤解される面が多くありました。
しかし、著者の手法の核心にあるのは「努力」であるようです。
成長のサイクルに突入しよう
人が前に進もうとするとき、大きく3つのステップを踏むことになると著者は言います。
①挑戦・・・リスクを選び、最初の一歩を踏み出す勇気
②努力・・・ゼロからイチへの地道な足し算
③成功・・・足し算の完了
このステップを着実に踏むことで、小さな成功体験が得られます。
そしてその小さな成功体験を積み重ねていった先に、成長があります。
これはアスリートからビジネスマンまで、すべてに共通する話だそうです。
著者自身、このサイクルを高速回転させることによって成長してきたという自負があります。
努力という言葉は、どうしても古臭くて苦手な著者ですが、この挑戦と成功の間をつなぐ架け橋は、努力しかないと言います。
その作業に没頭し、ハマっていくしかないのです。
成功したければ、挑戦すること。挑戦して、全力で走り抜けること。
その全力疾走のことを、人は努力と呼ぶのです。
塀の中でも、自由だった
刑務所で著者が過ごしたのは、約1年と9か月。
高齢受刑者の介護などを経験し、たくさんの本を読む時間にも恵まれ、図らずも「獄中ダイエット」に成功し、あらゆることに身軽になった時間でした。
一方、刑務所内でもメルマガの発行を継続するため、毎週手書きで原稿を書いていました。
さまざまなビジネスプランを練り、読者からの質問や相談にもこたえていました。
ネットが使えない分を、スタッフにブログ記事やツイッター投稿をプリントアウトしたものを差し入れてもらって、情報の偏りをカバーしていたのです。
心の問題
刑務所生活で気づいたことは、「自由とは、心の問題なのだ」ということでした。
塀の中にいても、著者は自由でした。
外に出たり、女の子と遊んだり、お酒を飲むことも、消灯時間を選ぶことさえできないけれど、頭の中、つまり思考までは誰も手を出すことはできなかったのです。
だから、著者はひたすら考えました。
自分のこと、仕事のこと、生きるということ、そして出所後のプラン。
思考に没頭している限り、著者は自由だったのです。
わたし達はいま、自由を実感できているでしょうか。
得体のしれない息苦しさに悩まされているのではないでしょうか。
自分は何もできない、どうせ自分はこんなもんだ、この年齢ではもう遅い。
そんな不自由さを感じているとしたら、それは時代や環境のせいではなく、ただ思考が停止しているだけだと著者は言います。
考えることをやめて、「できっこない」とフタを閉じているから、自由を実感できないのです。
思考に手錠をかけることはできないのです。
そして人は考えることをやめたとき、後ろ手を回され鍵をかけられる。
それは思考が硬直化したオヤジの完成だ、と著者は言います。
彼らはもはや考えることができないのです。
考える力を失ってしまったからこそ、カネや権力に執着するのです。
そこで得られるちっぽけな自由にしがみつこうとする。
彼らオヤジたちに足りないのは、若さではなく「考える力」。
また、考えようとする意志そのものなのです。
こうしたオヤジになりたくないと考える著者は、年齢を重ねることが怖いのではなく、思考停止になることと、自由を奪われることが嫌なのだと言います。
私たちは普段、どれくらい考え、どれくらい行動に移しているでしょうか。
借りてきた言葉を語る、口先だけの人間になっていないでしょうか。
カネと権力に固執したオヤジたちに負けてはいけないのだなぁ、とちょっと勇気をもらいました。
負けちゃいかんです。
信念をもってがんばりましょう。
ゆっくり休んでよい夢を。
では、また。