猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

働く本当の理由~『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』

雨が続いていたりすると、何だか昔のことばかりが懐かしく思い出されることがあります。

自分の失敗ばかりが頭をよぎることも。

ネガティブになってはいけない、と思いながらもなかなかグルグルした思考から抜け出せなかったり。

 

今回のキーワードは、「自由」と「時間」。

 

こんばんは、ラブです。

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自由へのパスポート

子どもの頃に戻りたい、という声を聞くことがあります。

学生時代を懐かしく思ってしまう瞬間がワタシにもあります。

最近学生時代にすごした日々ばかりが頭に浮かんでしまうんです。

 

しかし、そんな時代に帰って何がしたいのか、というとそんなものも特になかったり。

小学生の頃?学生時代?

おそらく子ども時代の頃の方が楽しかったという人は、「責任」の話をしているのだと著者は指摘します。

確かに子どもは責任を問われません。

高価な花瓶を割っても、誰かを怪我させても、最後の最後には親や教師がしりぬぐいをしてくれます。

一方大人になれば、ミスに対して、「どう責任を取ってくれるんだ!」と怒鳴られたりします。

さらに、大きなプロジェクトを負かされるときには「責任重大だぞ」、とプレッシャーをかけられたりするものですからね。

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しかし、責任が発生しないうちは、ほんとうの意味で自由も得られないのです

親の都合や期待に振り回される。

なにをするにも大人の同意が必要とされる。

自由に遊んでいるつもりでも、しょせんは親から与えられた自由。

済む場所も、着る服も、夕食のメニューだって決められない。

「買ってもらう」「連れて行ってもらう」「食べさせてもらう」など、受け身の立場になるのです。

 

自由と責任は必ずセットになっていますね。

責任を自分で背負うからこそ、自由でいられるのです。

頭では、わかっているつもりなのですが・・・。

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子ども時代が懐かしくなっているのは、つまりは責任の重さに耐えきれなくなっているだけ。

でも、ほんとうの自由を手に入れれば、人生はうんと楽しくなると著者は言います。

働くことで経済的に自立し、精神的にも自立し、ちゃんと自分で責任をとれる土台をつくる。

そうすれば、すべてを選ぶのは自分になります。

 

いまあなたはどんな自由を手にしていますか?

たとえば実家暮らしの学生やニートには、精神的な自由はあっても、経済的な自由はありません。

働いておらず、自立できていないからです。

一方会社や組織にぶら下がり、組織の言いなりになっている人たちは、経済的には自由なはずなのに、精神的な自由を失っています。

考えることを放棄して、自分の人生を生きていないからです。

考えるだけでは自由は得られません。

そして働くだけでもいけないのです。

常に自分の頭で物事を考えながら、地に足をつけて働くこと。

考えることと働くことは、どちらも欠かせない車の両輪なのです。

 

自由を手に入れるために、大きな責任を引き受けること。

大きな責任を引き受けた時だけ、私たちは自由になれるのです。

今私たちがおびえている責任の重みは、そのまま自由の重みなのです。

たとえ最大級の失敗が襲ってきても、大丈夫です。

マイナスにはなりません。

ゼロに戻るだけです。

それは怖いことでも何でもない、と著者は言います。

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死への恐怖

小学校1年生の秋、ある日の帰り道に友達と別れ自宅へ続く一本道を歩いていて、深まる秋を目にしていた瞬間、突然著者は気が付きました。

「僕は、死ぬんだ」。

猛烈な恐怖に襲われ、うなり声を上げながら頭を抱えた著者。

嫌だ、死にたくない。

この日以来、著者の脳裏から死への恐怖が消えることはなかったと言います。

 

それからは自分が死ぬことについて、定期的にやってくる恐怖感の発作を起こす著者です。

ぼんやりと物思いにふけっているとき、ひとりで道を歩いているとき、電気を消して眠る前に発作はやってくるそうです。

中高時代も、大学時代も、大人になっても、発作は定期的にやってきました。

  

しかし、会社を起業してからしばらくすると、その発作がやってこなくなっていることに気づきました。

はまり込んで没入することばかりの著者。

没入することで、死について考える時間を、可能な限り減らしていくことができます。

著者は死を忘れるために働き、死を忘れるために全力疾走し、死を忘れるために生を充実させていたのです。

 

発作に襲われるほど死について恐怖を持っている人は、ごく限られていると思います。

しかし、死を思わなくてもふとした瞬間にネガティブな感情に駆られることはあります。

人生はそうそう思い通りにはなりません。

仕事での失敗、失恋、いじめ、友人との喧嘩、いろんなトラブルがあるものです。

そして壁にぶつかって、躓いて、人の感情はネガティブな方向に流れるものです。

愚痴を言い、社会を恨み、上手くいっている他の人を妬んだり。

 

著者の結論は簡単です。

ネガティブなことをしている人は、ヒマなのです。

ヒマがあるから、そんなどうでもいいことを考えてしまうのです。

 

独房での著者も、消灯前後から就寝するまでの数時間は、とにかく苦痛でした。

少しでも油断すると、死のことが頭をよぎり、あの発作を起こしてしまいそうだからです。

 

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もしも、ポジティブになりたいならば、やるべきことはシンプルだと著者は言います。

うじうじ悩んでいないで、働けばいい。

「自分にはできないかもしれない」なんて考えないでチャンスにとびつく。

与えられた24時間を、仕事と遊びで埋め尽くせばいい。

常に頭を稼働させ、実際の行動に移していく。

働きまくって、遊びまくり、考えまくる。

それだけ。

与えられた生を充実させる手段は無限にあるのです。

あらゆる時間を思考と行動で埋め尽くしていけば、ネガティブな想いが入り込む余地は無くなるのです。

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ごちゃごちゃと過去を後悔しては、「ああ、こんなに悩んじゃってアタシはダメだな・・・」なんてさらに自分にがっかりしてしまいがちです。

そんなことを考えるのは「ヒマ」だから。

そんな時間があったら、やりたかったことに挑戦したり、楽しんだりする時間に充てた方がいいですね。

 

有限で貴重な時間。

自由に充実させていきたいと思いました。

 

暑い日が続いていますね。

今日は歩き回ったら、くらくらしてきました~。

ゆっくり休んでくださいね。

では、また。

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