こんな時期は亡くなった人の思い出にちょっと胸が痛くなったりします。
「元気にならなくちゃ」と思うのですが。
そこで悲しみという感情を消化していくプロセスを、今回は勉強したいと思います。
こんばんは、ラブです。
「悲しみ」の役割
「悲しみ」という感情の本来の役割は「何かを失った」と知らせることです。
大事な人やペット、大切なものなどを失うと、私たちは「悲しみ」を感じるようになります。
「悲しみ」を感じると、引きこもりがちになったり、全体的に内向きになったりします。
楽しく賑やかな場所が苦痛に感じることもありますね。
これは、「悲しみ」が「今は自分をいたわるとき」ということを教えているのです。
このサインに従って、外向きの活動を控えてみたり、失った人やものと向き合い、「悲しみのプロセス」を通る必要があります。
癒すにはプロセスが必要
私たちは大切な人やものを失うと、最初は「信じられない」と否認する気持ちになります。
その後、本当に失ってしまったことを実感すると、激しい感情的なプロセスに入ります。
この中心になる感情は「悲しみ」ですが、他にも「怒り」や「後悔」、「不安」「寂しさ」など様々な感情が出てきます。
この時期は辛いのですが、しっかりと気持ちを感じていく必要があります。
たとえば、悲しみの対象が亡くなった人であれば、亡くなった人との関係をいろいろ感じながら、再構築をしていく時期です。
悲しみを抱えながら、今を生きる
この時期を徐々に乗り越えていくと、その人はただの「亡くなった人」ではなく、「自分に本当にいろいろなことをもたらしてくれた人」なのだ、という感覚を持てるようになります。
生きていたときよりも近くに感じられる、という心境に達する人も多いです。
こうなると、亡くなった人と向き合う「過去」から、再び「現在」に視点が戻ります。
亡くなった人への思いを抱えながらも、現在目の前にいる人に心を開き、現在やるべきことを元気にやっていけるようになるのです。
「悲しみのプロセス」をちゃんと進めないと、いつまでも生活は、亡くなった人がいたときのままです。
人によっては、遺品にもまったくてがつけられず、その人がまだ生活しているかのような家で暮らしている人もいます。
しかし、それは現在の生活のための環境とは言えません。
遺品1つを手に取るたびに、あるいは処分するたびに、強い悲しみを感じるでしょうが、悲しむことによって心は一歩ずつ前進するのです。
悲しみが強すぎて不安な場合
「悲しみのプロセス」がなかなか進まない人の中には、「この悲しみに向き合ったら、自分がおかしくなってしまいそう」という不安を感じている人が少なくありません。
でも、安全な環境で感じることができれば、悲しみが人の心を壊すということはありません。
「安全な環境」というのは、理想は話を温かく受け止めてくれる人がいる場です。
本当に怖くなったら、セラピストやカウンセラーの力を借りるのもよいです。
亡くなった方への手紙を書いてみる、というのも「安全な環境」で悲しみを感じる手段です。
逆に何が「危険」かというと、「その程度の事、誰でも経験しているわよ」「それあなたが悪い」「どうしてもっと良くしてあげなかったの」などと、一見励ましているようでいて、悲しんでいる現実に対して否定的な口を出してくるような人と一緒にいることです。
癒すことは忘れることじゃない
「悲しみ」はプロセスが大事です。
これは失ったのが「もの」であっても同様です。
また、悲しみの特徴として「長引く」ということがあります。
「怒り」などは対処すればすっきりしたりしますが、悲しみは生涯にわたって思い出したときに悲しくなったりすることもあるものです。
その強度や頻度は減っていきますが、悲しみをゼロにすることは、目標にしない方がよいでしょう。
一方、悲しむのをやめてはいけない、と感じる人もいます。
悲しむのをやめることは、失った相手を忘れることになる、と思ってしまうのです。
しかし、「悲しみのプロセス」は、相手を忘れていくことではなく、相手との関係を再構築していくものです。
「悲しみのプロセス」のそれぞれ段階で、相手についての感じ方が変わってきます。
「あの人を失った人生に価値はない」
「おいていくなんて、酷い」
「もっと優しくすればよかった」
など、いろいろ湧いてきます。
生きていたときと、生きていないときの相手との関係性は、大きなところでは変わらなくても(愛している、など)、いろいろな面で変わっていくのです。
そうした変化のプロセス、関係の再構築を誠実に行うことこそが、相手を大切にすることだと著者は考えています。
別れた相手の幸せな写真がSNSでアップされて辛い場合
死別だけでなく大好きな相手との別れは、とても強く悲しみの感情を感じますね。
ここにも「悲しみのプロセス」は必要です。
始めは、別れてしまたという現状を否定したくなります(①否認)。
しかし、いろいろ関係性を振り返ってみると
「自分の方がかなり無理をしていたから続いていた関係性だった」
「あの人と一緒の時、そういえばいつも不安だった」
など、「すばらしい関係」以外の面を思い出すものです(②様々な気持ち)。
そんな思い出をいろいろ味わっているうちに、次の恋へと目が向いてきます(③受容)。
もしも、このプロセスを通らずに、刹那的に「誰でもいいから癒してほしい」と異性と関係を持っても、かえって悲しみが増してしまうのです。
SNSで何度も傷つけられる
ここまでの「悲しみのプロセス」死別と同じですが、生きている(元)恋人の場合、その後の人生の継続により「今どうしているか」が見えてしまうものです。
「今の(元)恋人」を知ることで、いくつかの反応パターンがあります。
「ええ、こんな人だったの?」と百年の恋も醒めることもあれば、多くの場合は「自分はこんなに悲しいのに、相手は充実した毎日を送っている」と悲しく思うものです。
このパターンは、何度も相手にふられているようなものです。
それに気づいたら、SNSを見るのをやめるなど、自分を大切にするための対処をしてもらいたいと思います。
そもそもSNSは、その人の「一番より部分だけ」が往々にして載せられ、情報がやや盛られていることもあります。
たとえ相手が悲しんでいても、それを載せるのはごく少数でしょう。
そのような「作られた」「偏った」情報で、何度も自分を傷つける必要はないのです。
他人が悲しんでいる場合
大切な人やものを失くした、というような人に対して言葉が見つからないことは多いでしょう。
また、どう振る舞ったらよいかわからず、腫れ物に触るような気分になることもあります。
しかし、そこには「悲しみのプロセス」があることを思い出せばよいのです。
「落ち込まない」、でも「励まさない」
「悲しみのプロセス」を歩んでいる人に対して、できることは、「大切に見守ること」です。
プロセスを尊重するということは、そこに介入しないこと。
せいぜい、「何かできることがあったら、いつでも言ってね」程度の声かけが現実的です。
また、ある人が自分の悲しい体験を話して来たら(たとえば、乳がんで乳房の切除をすることになったなど)、一緒になって落ち込まないようにすることも重要です。
思い切って打ち明けたら、相手も暗く重くなってしまったとき、人は「ああ、打ち明けなければよかった」と思うものだからです。
打ち明け話は、基本的に温かく聞くのが一番です。
何か言うとしたら、「信頼して話してくれてありがとう」「できることがあったら、いつでも言ってね」程度です。
くれぐれも悲しみの主役の座を奪わないように。
一緒に落ち込まないと相手に悪いのではないか、と思う人もいますが、必要なのは「落ち込み」ではなく「温かさ」。
こういう時期に必要なのは、温かい支えです。
言うまでもありませんが、「あなたなら大丈夫、乗り越えられる」と勝手に決めつけないように。
「わかってくれない」と思われたり、「乗り越えられない自分は弱いの?」と思われたりしてしまいます。
「あなたなら大丈夫だと思うけれど、それにしても辛かったね」がギリギリ許されるかもしれない限界です。
また、「亡くなった人の分までがんばって」「いつまでもメソメソしていないで」など、本来は善意の言葉が悲しんでいる人を追いつめることがよくあります。
悲しみのプロセスは無理に進めようとしてはいけません。
ポジティブな言葉かけが功を奏したように見えた時は、見せかけにすぎないか、プロセスが逆行したか、道をそれた時です。
「がんばって」と言われることで、プロセスが逆行したり、自分を否認することでこじれてしまうのです。
本人は現状でいっぱいいっぱいなので、周りがどんなアプローチをしても進みません。
悲しみにくれる相手に対しては、どんなときにも本人の現状を肯定する必要があります。
亡くなった人の後を追いたいなどと言われたときも、「絶対に生きていてほしいけれど、そんな気持ちになるのも仕方ないね。なんでも遠慮しないで話してね」と言う形で肯定しましょう。
悲しんでいる本人も、「今は悲しくて仕方ないんだな」「いつかまたバリバリ働けるようになる」程度の見通しをもって、思ったよりも自分をコントロールできない現状を肯定することが大事なのです。
悲しみという感情には、たくさんの時間が必要なんですね。
また、他の人の悲しみには声をかけづらいときがありましたが、「一緒に落ち込まない」「励まさない」「肯定する」という方法がよい様子です。
ゆっくり休んで、よい夢が見られますように。
では、また。