職場でも学校でも、何かと「悔しさ」を感じてしまうことってありますよね。
そんな自分にもうんざりしたりするのですが、かといって全てにリベンジできるわけでもなく、モヤモヤしたり。
そんな感情を今日は片付ける方法を勉強したいと思います。
こんばんは、ラブです。
「あったかもしれない可能性」を失ったサイン
悔しさには2つの定義があります。
1つ目は、
「お気に入りのものを、情報を入手するのが遅くて、手に入れられなかった」
などの感情。
この場合は無理なものは無理なので、悔しい目に遭った自分を慰めることが最短の癒しの方法です。
友達と飲みに行く、自分に特別なプレセントをする、一晩大泣きするなど、「わかりやすい」ものであることが有効です。
そして、次に同じチャンスが来た時にどうするか、改善策を考えておけばいいのです。
ただし、慰めとは反対方向、つまり「なんて馬鹿なワタシ!」などと自虐的な方向に進むと、いつまでも悔しくなり、過去をなかなか手放せなくなります。
ポイントは
1 自分を慰めること
2 過去にとどまった頭(取り返しのつかない過去についての感情ですから)を現在にもどすこと
です。
「自分の尊厳」を傷つけられたサイン
二つ目の悔しさは、もっと難しいものです。
たとえば、
「人前で侮辱された。悔しいので仕返ししてやりたい」
どんな人間にも尊厳があります。
それは、どんな人間も尊いもので、他人が侵してはいけない部分がある、ということです。
「侮辱」は、まさに「侵されてはならない部分が侵された」ことであり、「自分の領域にとても失礼な形で踏み込まれた」ということです。
しかし、こんな例もあります。
「仲の良かった友達が、自分以外全員結婚したのが悔しい」
結婚は、それぞれの事情や生活の中で怒ったり怒らなかったりするもので、別にその友達グループが意図してそうしたわけではないはず。
でも、主観的にはどうにも「自分だけが取り残された」「自分だけが人間としてかけているというダメ印を押された」と、自分の尊厳を傷つけられているように感じてしまうのも自然なことです。
「比較」が尊厳を傷つける
直接傷つけられたわけではないのに、自分の尊厳が傷つけられたような気持ちになってしまう・・・。
それは、この二つ目の悔しさは、「比較」と深い関係にあるからです。
他者と比較して、自分が劣っていると思うと、それが「尊厳が傷つけられた」というふうに感じてしまうのです。
例えば、
「親友は比較的お金のある人と結婚して、私は貧乏な人と結婚。
豪華なランチを楽しむ親友に比べ、貧乏暇なしに働く私。悔しい」
ここで考えるべきなのは、「本当に自分は、お金持ちと結婚したかったのか」どうかです。
昼間から似たような立場の人と豪華なランチが食べたいのか。
そこでの話題を楽しめるのか。
それが自分が歩いてみたい人生だとはっきり言えるのか。
そうやって、具体的によくよく考えてみると、「そういう生活は向かないだろう」と考え直せるかもしれません。
しかし「昼間から豪華なランチ=幸せに違いない」とい狭い視野で比較してしまうと、「自分の方が幸せではない(=人間としての尊厳を傷つけられている)」ような気になって、悔しさを感じてしまうのです。
ポイントは、
「誰かと比較してくやしさを感じる時は、『では、自分はその人になりたいのか』を冷静に考えてみること」
です。
キーワードは、「これでよい」
こんなニュースに悔しさを感じることもあります。
「同期入社の同僚がヒット商品を作って、社長賞をとった。
自分のほうが毎日残業してがんばっているのに。
悔しくて、素直に「おめでとう」と言えない」
このような衝撃を受けると、私たちは「理由探し」を始めます。
ただ衝撃を受けたままでは、態勢を立て直すこともできないし、また次にいつやられるかわからないので、その原因を解明しようとするのです。
「うまく上司に取り入ったから?」などと同僚に対する猜疑心が浮かぶのは当然のこととして、理由探しの目は自分自身にも向かいます。
「自分の能力が下なのか」
「どうして上司にもっとアピールしなかったのか」
など、自分に足りなかった(であろう)ことを責め始めるのです。
毎日残業でがんばっている自分に対して、そんなふうに責めてしまったら、尊厳が傷ついてしまいます。
ですから、この例の場合、悔しさを感じて当然です。
ここで大事なのは、やはり視野を広げることです。
「社長賞をとった」ところだけ見れば、恵まれた同僚であることに決まっています。
しかし、一度ヒットを出せば「次は?」というプレッシャーもかかってきます。
あるいは「社長賞をとったのは、まぐれだったね」と言われないように、というプレッシャーもかかります。
他の人にやっかまれることもあるでしょう。
成功者ゆえのプレッシャーは、ときに人を押しつぶしてしまうほどの重みをもつものです。
その間こちらは着々と誠実に努力することができます。
コンスタントに賞を摂れるようになるかもしれないし、そうでなくても実力を持った存在になるかもしれません。
今悔しくても、自分の道を進むことで、いくらでも挽回することができるのです。
悔しさを感じたら、「ああ、今衝撃を受けているのだな」と悔しさを受けいれ、日常生活に戻りましょう。
「今はこれでよい」をキーワードに、自分のやり方で誠実に進めていくことです。
それは尊厳を高め、傷つけることはありません。
ポイントは
「悔しさの陰に『衝撃』を見つけること。
『衝撃』が見つかったら、内容を深追いせず、普段の自分に戻るよう心がける」
です。
「仕返し」は自分を傷つける
たとえば
LINEで自分を仲間外れにしたグループができ、悪口を言われた
などの場合。
二つ目の「悔しさ」と「なんとか仕返ししたい」は、セットのような気持ち。
しかし、仕返しして本当に気分がよくなるということは、まずありません。
多くの人は、「できるだけ良い生き方をしよう」としているもの。
相手をひどい目に遭わせても、実際に気持ちがすっきりすることはほとんどないのです。
何故かというと、相手に仕返ししても、自分の尊厳は取り戻せないからです。
大事なのは、自分の尊厳であり、それを守れるのは自分自身しかいません。
人を仲間外れにして悪口を言うのは、尊厳のある人間のすることではありません。
そんな人に「仕返し」することも、同じレベルにあなたを下げることです。
しかし、この場合何もしないことしかできないのでしょうか。
ここで悪口を言っているグループについて考えてみます。
このグループに渦巻く感情は「怒り」です。
きっと、人から大切にされず、ストレスでいっぱいの生活を送っています。
あるいは何となくそこに混ざっている人は、自分が仲間外れになるのが怖くて
、自分の尊厳を売り渡しているのです。
いずれにせよ、自信のないかわいそうな人たちです。
そんな人たちと仲良しでいる必要はありません。
「困っていて、ヒマな、かわいそうな人たち」と正しく判断して、あなたの人生の登場人物ではないと考えた方がよいでしょう。
「ガツンとやらないとさらに増長する」と考える人は、「怒り」の章を参考にしてください。
ガツンとやることで、怒りが怒りで対応すること、尊厳を傷つけあうこであって、解消することではないのです。
「嫉妬」を向けられたら、何もしない
相手があなたに「悔しさ」を向けている場合もありますね。
悔しさが自分に向けられた場合、近い感情として「嫉妬」があります。
この「嫉妬」は、事件にすらつながるエネルギーを持っています。
たとえば、あなたが先輩より早く昇進してしまった場合。
それを先輩に気を遣って「本来は先輩が昇進するはずだったのに、間違った人事ですね」などと言うと、かえって「昇進で追い抜かれた」という部分が強調され、先輩の尊厳はさらに傷つけられます。
つまり、へたにコメントすることで、相手の悔しさが強まってしまうのです。
あなたが何かをすることで、相手の悔しさを消すことはできない性質のものです。
そう観念して、関係が多少ぎくしゃくしても、触れずにおくことが、最も安全なやり方と言えます。
「いつまでも悔やんでいても仕方ない」は危険な言葉
「彼にあんなことを言わなければ、別れなかったかもしれないのに」
こんなことを言っている人に、
「いつまでも過去のことを悔やんでも仕方ないでしょう」
と言いたくなることがありますが、取り返しのつかないことになる可能性があります。
「あんなことを言わなければ・・」の部分だけは、後悔の「1つ目の悔しさ」に見えますが、恋愛の「ふった」「ふられた」は、尊厳にかかわる「2つ目の悔しさ」。
つまり、この人が何度も過去のことを言い続けるのは「悲しみのプロセス」の一部です。
とすると、相手のプロセスを尊重することが必要ですし、肯定的に話を聞いてあげるのが最もよい対処方法です。
それを「悔やんでも仕方ない」と言うと、過去に不運に見舞われた上に、人からバカにされたととられ、悔しさが怒りとしてあなたにぶつけられてしまう可能性があるのです。
悔しいという感情は、ばねにすることもできますよね。
「次はこの失敗を繰り返さないぞ」「次の試験は対策を立てて合格するぞ」などの力にもなります。
ただ、「(元)彼が悔しがるようなイイ女になってやる」というよくあるパターン。
これは、「悔しがらせる」ことに注目するので、自分の尊厳が取り戻せないのです。
ちゃんと「悲しみのプロセス」をたどり、いつもの日常生活を取り戻すことこそが重要だと著者は言います。
ゆっくり休んで良い夢を。
では、また。