罪悪感は、「自分を中心とした感情」であって、「相手を思いやる気持ち」とは少し違うようです。
上司や家族の期待に応えることができなかったとき。
どうしても行きたいくない飲み会を、「仕事だから」と断ったとき。
オリンピック選手も、プレッシャーに飲まれて思うような結果が出なかったりすると、罪悪感を感じている様子が見てとれますね。
重く長くとらわれがちなこの感情と折り合いをつけていくには、「変換する」という方法があります。
こんばんは、ラブです。
相手が自分に目をかけてくれたり、お金をかけてくれたりしていたとすると、結果を出せなかったことに申し訳ない気持ちでいっぱいになったりします。
そうして「相手が自分に失望しているだろう」考えてばかりいると、相手との関係もぎくしゃくしてしまったりすることがあります。
高い授業料を払ったけれど希望の職種につけず、それを親に文句を言われたりすることもあるかもしれません。
上司に負かされた仕事で、結果を残せないこともあるかもしれません。
しかし、私たちは投資商品ではないし、相手もそう見ているわけではありません。
「期待に沿えなくてごめんなさい。でも、その分ほかで今後がんばります」と伝えることで本来は十分なのです。
それ以上文句をしつこく言ってくる人は、実は「何かとそうしたことが言いたい人」なだけなのです。
「罪悪感」は相手を幸せにするわけではない
「罪悪感」が持つ役割は、ただ単に「相手を思いやれていない」というサインです。
それだけのサインなのに、「罪悪感」を強く感じることで、自分を強く罰することによって相手から許してもらおうという感情が湧くことがあります。
しかし、ここで注目したいのは、こうした「罪悪感」は「自分が中心になった感情」であるということです。
「相手に対して申し訳ない」と思っているのだから、自己中心的な感情ではない、と私は思いました。
しかし、例えばこんな場合。
「お前を育てるのに1000万円かかったのに、という母の希望する職種につけなくて、罪悪感を持ってしまう」
「お前を育てるのに1000万円かかった」などどと口にする母親の、「母親としての資質」と「人間としての在り方」に非常に問題を感じる例ですが、本著にあるのでそのまま抜粋します。
この例でいうと、子どもが深く罪悪感を持つことが母親にとって、何か役に立っているでしょうか。
罪悪感に浸って暗くなって、引きこもってみても、それは親を喜ばせることはないでしょう。
申しわけなさで母親に背中を向け続けているよりも、「別のところで親孝行するからね」と言ってあげた方が、母親も安心するかもしれません。
大体において、もともと職業は本人が決める領域ですから、母親と言えども立ち入ってはいけない他人の領域なのです。
また、罪悪感に傷ついて憔悴しているあなたを見て、「ざまあみろ」と胸をなでおろすごくまれに人がいたとします。
その人のために憔悴するまであなたを責める必要は、果たしてあるでしょうか。
そこまで相手は、「下の下」な人間なのか、立ち止まって考えてみましょう。
よ~~~く見れば、そこまで低い人ではないかもしれません。
それに、百歩譲ってそんな感情がその人にあるとして、そんなゲスな感情に「お付き合い」するために、あなたがあなたを貶める必要はありますか?
全くないですよね!
オリンピックで緊張してメダルを獲れなかった選手がいたとしても、スポンサーは「あんなやつ、死んでしまえ」と本気で思うでしょうか。
まぁ、支援してきた金額のあまり一瞬そう思ったとしても、本当に選手が自殺をしたら大喜びする、ということは無いでしょう。
また、「飲み会に行きたいくないから嘘をついた」という場合。
これも、「行きたくない」と言って相手を傷つけないための方便です。
「罪」ではないはずです。
自分が責められるのがイヤでつくのは「嘘」です。
相手のためを考えて、傷つけないように使うのが「方便」です。
翌日に「昨日は楽しかった?」と連絡するなど、相手に温かい気持ちを向けていれば思いやりになります。
「罪悪感」でいっぱいになり、そうしたメールする余裕もなくなるくらいだと、関係がぎくしゃくします。
それは相手が喜ぶことではありませんよね。
つまり罪悪感は、自分を中心とした感情であって、「相手を思いやる気持ち」とはどうやら違うのです。
「罪悪感」を活用する
頭の中の「自動入れ替え機」を使う
「怒り」では、「自動翻訳機」を頭に入れて、「怒っている」→「困っている」と本当の意味を翻訳することをお勧めしました。
「罪悪感」の際に活躍するのは「自動入れ替え機」です。
先ほどの例でもわかりますが、罪悪感にとどまっている場合、主役は「自分」です。
自分のことを責めてばかりで、リアルな相手が案外目に入っていないのです。
しかし、罪悪感を持つ背景には相手との人間関係があります。
相手に悪いことをしてしまったと反省するようなときには、こちらから相手思いやりの手を伸ばす必要があるでしょう。
相手を主人公に変換する
ですから、「自動入れ替え機」が必要です。
「自分はなんて罪深いんだろう」と思ったら、直ちに「その影響を受けた相手は今どうなっている?」と主語を入れ「相手」に替えるのです。
「自分はダメな奴だと思われているだろうな」ならば、「相手はどんな気持ちかな?」と入れ替える。
「私は反省しなきゃ」ならば、「相手をフォローしなきゃ」と入れ替える。
相手の立場に「入れ替え」ることで、罪悪感を正しく活用することができるのです。
例えば、「アフリカの子どもたちが飢えているというニュースを見ると、いたたまれない」場合。
ぬくぬくと生きる自分がいたたまれない存在に感じられるならば、そうした関連グッズの購入や少額でも寄付する方が、ただひたすら「罪悪感」を持つことよりも、アフリカの子どもたちの役に立ちますよね。
シニカルな人の「そんなの自己満足にすぎない」と言った言葉に惑わされる必要はありません。
そうした活動を通して「相手のために何かできる自分」であることは、自分の力を感じたり、自分を好きになったりする特典があります。
理屈ばかりこねている人には、そういう感覚はわからないだけです。
そのような残念な人の残念な言葉は、「この人ってお気の毒」と思って流しましょう。
謝罪訂正はわかりやすく、潔く
例えば、「叱られたくなくて、”この仕事は順調です!”と上司に嘘をついてしまった」場合。
これは挽回が必要です。
「こんなことをしてしまった自分は、罪深い・・・」
などと考えている余裕はありません。
罪悪感を持つ前に、上司に事実を報告しなければなりません。
罪悪感にとらわれやすい人は、どうしても「自分」中心に考えやすいクセをもっています。
ですから、「嘘をつき、さらにそれを認めるなんて、自分はどうなってしまうの」と、謝罪はかなりきつい体験に感じられるでしょう。
しかし、仕事をしている以上、責任はどうしても伴ってくるものです。
謝ると決めたら、それ以外のメッセージは一切発しない方が、わかりやすいし潔いでしょう。
「先日順調と報告した仕事、実は順調ではありません。
間違った報告をして申し訳ございませんでした」
と平身低頭誤れば、情報としては充分です。
人間のできた上司ならば「わかった。それにしても嘘の報告はだめだよ」と穏や受け止めてくれるかもしれません。
が、しかしパワハラ的な上司なら、それを求めることは望めませんね。
だいたい、嘘をつく動機が「上司から叱られたくなくて」ならば、部下にそうさせる上司はそちら傾向の可能性は高いかもしれませんね。
しかし、ここで思い出したいのは、
「怒っている人は、困っている人」
ということ。
『「怒り」のトリセツ』でもありましたが、「突然の報告に怒りまくる人」というのは、パニックになって、怒鳴り散らしてくるかもしれないことは、どうにも仕方ないのです。
想定しておきましょう。
そして、「上司に謝りに行くことができたら、今日の帰りは好きな〇〇を買う」などとご褒美でも決めて、がんばって臨みましょう。
また、ずっと隠していると、もっと相手の不信感を買うので、早く謝罪と訂正をすることをお勧めします。
パワハラをする人は、「不安のレベルがものすごく高い」「気の毒な人」なのです。
そんな怒りまくる人は、過去の人から受けたトラウマから、怒らずにはいられない「感情コントロール障害」かもしれません。
そんな気質を持ち合わせていることは、上司の問題であってあなたの失敗とは本来関係ないのです。
そしてあなたにとっては、怒っている相手に「自分の領域」に踏み込ませないことも大切なことです。
パワハラのパニック上司が一大パニックを起こしてヒステリックになった挙句、あなたの人格まで否定してきても、「この人はそう思うんだな」と流す。
「こんなに怒らせてしまって申し訳ない」と思い、再発防止の手立てをとるのは良いことです。
しかし、人格否定をし出したら、それは上司としてアウト。
そこにあるのは「上司の性格の問題」です。
ワタシは罪悪感にとらわれやすく、そこでグルグルと悩み続けてしまうのですが、「自動入れ替え機」で「相手」を主語にしてみたら、悩みのループを抜けられました。
オリンピックを観ていると、「これで入賞できなかったら、この人応援してくれる人やスポンサーに罪悪感を感じるのかな」と思うとどうも楽しみにくい部分がありました。
しかし最近は、「自分のために闘う」と断言する選手も多くて、心底ほっとします。
人間であれば失敗も、力が至らないことも、当然あること。
そんな当たり前のことを認められずに怒っている人がいるとすれば、それはその人自身の問題なのですね。
ゆっくり休んで、良い夢を。
では、また。