どんな感情もあなた自身を守るために備わったものです。
ですから、基本的にあなたの味方であって、怖れることはないのです。
ネガティブな感情を「持ってはいけない感情」だと押し殺して、感情を隠し、波風を立てないようにしていると、どうしてもイキイキとした人生を送りにくく、ストレスが溜まってしまいます。
まっすぐ感情を見ていくことにより、そしてその取扱い方法を知っていくことにより、ストレスを減らし、人生の質を高めることができるのです。
こんばんは、ラブです。
例えば、後輩が先に昇進したとき。
衝撃を受けているのに顔を引きつらせながら「うわー、良かったね!」などと言ってしまうことがあるし、自分に言い聞かせもします。
しかし、心の中はくやしさでいっぱいです。
ちやほやされる姿を見ていると、余計に膨れ上がってしまいます。
しかしここで、「ネガティブな感情を持ってはいけない」とばかり考え、むりやりポジティブの仮面をかぶせ続けると、かえって悔しい感情が長引いてしまいますね。
それよりも、「自分のありのままの感情とどう取り組もうか」と考える方が、根本的な解決になり、前向きであると言えるでしょう。
感情は、否定するよりも、直視した方が時間は短くなります。
不安や怒りを感じたら、「ああ、安全が確保されていないんだな」「何かが上手くいっていないんだな」と気づき、現状をよく見て対処する方が、その感情を手放せます。
感情の扱い方を知り、感情に時間がかかることを理解して、方向性も、その先に希望があることもわかっていれば、そんな自分をとても力強く感じられると思いませんか。
「何となくモヤッとする」場合
摂食障害やなんらかの依存症になったりする人は、こういうパターンが多いそうです。
例えば
「ある人と話してから、胸がモヤモヤして落ち着かない。
でもそれが何の感情かわからない。単に「不快」としか言えない」
もちろん治療に行けば、その感情に名前を付けることが可能だそうですが、治療なしにどうしたらよいでしょうか。
親友ノートに書く
まず、その「ある人」とした会話を、思い出せる限り「親友ノート」に書きます。
これはノートを使って、あなた自身が「肯定的な視点を持つ第三者」になって、そのできごとを整理するためのものです。
内容は、次の通り。
①状況
②相手の言葉
③自分の気持ち
④自分がその話を聞いた「親友」だと思ってコメントする
ここには、「ある人」とした会話を、思い出せる限り書きます。
あなたを叱責するような、思い出したくもない会話も含めてです。
そして、どの言葉があなたに影響を与えたのか考えます。
これは「コミュニケーション分析」と呼ばれるもの。
通常は治療者との面接において、口頭で行うそうです。
でも、著者の患者さんの経験からは、「書いてみる」ことも重要性が示されています。
書くことで、誘発されたいくつかの感情がわかります。
いくつかの感情が混ざっていると思われるそうです。
自分ではどんな感情かわからなくても、「親友」に語らせると、わかりやすいです。
「これは頭にくるよね」「不安だね」「寂しいよね、こういうときって」などと、親友の言葉を書くことで、そこにある感情に気づくことができます。
治療も視野に入れていい
何の感情かわかれば、できるだけその感情を解きほぐしていきましょう。
「できるだけ」というのは、専門家による治療ですら、うまくいかないことがあるからです。
特に、子ども時代から虐待を受けていた、いじめの被害に遭っていた、という人の場合「自分」に対する感じ方も独特だそうです。
トラウマに関する本を読んでみるのも一つの手段です。
「モヤモヤして落ち着かない」気持ちは、過食やアルコール依存などの不健康な習慣につながることもあります。
このレベルの人には、著者は治療を勧めています。
しかし、寄り添うような雰囲気ではない治療は、より傷つく可能性があるのでお勧めしないそうです。
「嫉妬グセが治らない」場合
「フェイスブックなどで、友達の幸せそうな写真を見ると、較べないようにしようと思っていても、気持ちを押さえられずに苦しい」、などの場合。
もとからSNSは、現実を反映したいものというよりは、本人が見せたい自分の姿、と考えた方がよいものです。
さらに、「突然視界に幸せそうな写真が飛び込んでくる」というのは、それを見た人にとって衝撃的な体験になるものです。
目から入る情報が、最も衝撃をもたらしやすいのです。
ですから、これは自分の「嫉妬グセ」の問題というよりは、SNSとの付き合い方の問題です。
見ると不安定になるものは、見ない方がよいのです。
「失恋が悲しくて立ち直れない」場合
「長く付き合った恋人に振られ、何をしても思い出す。
復縁できなければ終りだと思う。
いっそ亡くなっていれば諦めもつくが、(元)恋人のうわさを聞くと「自分の頑張りが足りなかった」「何かまちがいをおかした」と思う」
など。
このように「悲しみのプロセス」がいつまでも終わらないときは、往々にして相手を理想化してしまっているということがあります。
しかし、「ふられてしまった」というところにばかり目がいっているので、本当は彼に対して不満なところもあった、ということに意識が至らなくなり、「自分はかけがえのない人を失った」という感覚が続いてしまいます。
実際に、付き合っていた間のことを冷静に思い出せば、いろいろ見えてきます。
そこで効くのが「親友ノート」に、よかった思い出、悪かった思い出を両方書いてみることです。
どうしても欠点を思い出せない場合、「今回自分をふった」ことに注目してみます。
長い間付き合ったのに、ふったのはどういうことなのでしょうか。
それでもあきらめられない場合は、念のため復縁を打診してみることです。
反省すべきところは反省し、それでも復縁ができないのか。
それでだめと言われるならば、自分とは「合わない」ということです。
「亡くなったら諦められるのに」ということは、復縁の可能性がある限り「生死がわからない恋人をいつまでも待つ」境地と同じです。
「悲しみのプロセス」を通るために、「恋人を失った」ことをはっきりさせる必要があります。
やや躊躇することではありますが、復縁の希望を示してみる。
結果がノーならば、「縁が無かった人」「亡くなった人」とあきらめましょう。
もちろん、時間をかけて。
「今を楽しめない」場合
「何か楽しいことをすると、『バチが当たりそう』『アリとキリギリスのキリギリスのように不幸になる』と思って、不安になる」など。
人生楽しめない人には、多いタイプです。
未来への不安のあまり、現在が空洞化しているのです。
つまり、未来ばかり心配して、現在を楽しめなくなっています。
しかし、未来は現在の次に来るもの。
現在を楽しめる習慣をつけると、未来は楽しいものになるはずです。
裏切りやトラウマの体験がある人は、「どこかに落とし穴があるのでは」と警戒するかもしれません。
しかし「落とし穴が無い」楽しい体験を積み重ねることで、ただ楽しんでよいということに気づいていけるでしょう。
また、このケースのような感じ方は、「自分はそんな楽しみに値しない」という自己肯定感に低さをあらわしています。
十分に楽しんで、そのうえで起こる不運については、「それだけのこと」として扱うこと。
そして、自分が過去に楽しんだことと不運を関連付けないことで、また楽しさを追求できるようになりましょう。
ネガティブになるたびに、「こんなんじゃ、だめ」と思ってきましたが、その裏にある本当のサインと必要性に気づいてあげることって大事ですね。
そして、その感情がある、という事実を認めてあげること。
感情の存在を認めることで、落ち着いて「そのサインが示している『自分がやるべきこと』」に取り組んだりできます。
視野を広げてみること。「親友ノート」で自分を分析する。
相手の「困った感情」ならば、お互いの領域を侵さないようにして、「大変なんだね。かわいそうに」と見守り、一緒に飲み込まれないようにすること。
そして、どうにも感じなければならない「悲しみのプロセス」には、必要な時間をかけること。
これならネガティブな感情を怖がらずに済みそうです。
夕方の涼しい風が嬉しい季節ですね。
蝉たちもラストスパートをかけて一生懸命鳴いていますね。
ほんの短い期間しか地上にあらわれない彼らの恋が実るとよいのですが。
ゆっくり休んで、良い夢を。
では、また。