猫のメメとモエ

生命線があと10年分しかない!どうせなら、やりたいことに(あまりお金をかけずに)ちょっかいを出すことにした猫好きのブログ。メンタルトレーニング、自己啓発、一人旅、猫めぐり、山歩き、真剣な子育て、ジョギング、写真。その他いろいろ。

自信を失くす状況を改善する!~『「もっと自信をつけたい!!」をかなえる本』

「しなければならない」と懸命に自分に叱咤激励ばかりしていると、自分に「強制」することばかりになり、それが結果的にあなたの自信を失わせていきます。

心の自由を持ち罪悪感を手放すこと。

そのことで、自信は育てていくことができるのです。

ほんの少しでも自分の欲求を聞いてあげることなど、できることからゆっくり”自信を育てる”ことをしてみませんか。

 

こんばんは、ラブです。

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思考で強制しても感情が拒否する

思考優位がもたらすもの

自信をつけたくて、目標を立てるという人がいます。

・私は自分が目標にしている人間になる。

・私は人生の最善と最高をめざし、それを実現させる。

・私はすべてのおいて、全力投球すると誓う。

・私は努力すれば、必ずその結果はついてくる。

 

こんな感じの目標だと、ちょっとため息がでてくることがあります。

叱咤激励は悪くないのですが、自分の感情を無視した「思考」優位の方法であると、途中で放棄したくなってしまうのです。

しかも、一度失敗でもすれば、一気に崩落してしまいます。

なぜなら、自分緒感情を無視して「思考」で動くと、さまざまな負の感情がすべてを崩壊させたいぐらいに高まってしまうからなのです。

「must」か「want」なのかに気づく

思考と感情はまったくの別物ですが、多くの人はそれをごちゃまぜになりがちです。

 

「自信をつけたい」

これは一見感情のようですが、言葉を発するその響きが希望や欲求を喚起させるので、文字を読むだけで、なんとなく「したい」というような気持ちになっているだけかもしれません。

人が思考したり何らかの言葉を発すると、それにともなう気分や感情が生まれます。

でもそれは、あくまでも、思考や言葉が創りだした気分や感情です。

それ以前に実は「実は自信をつけたくない」と感じているかもしれません。

 

「したい」と口で言っていても、その「したい」が感情から発生しているのか、ほんとうは「しなければならない」という思考から発生しているのか。

その違いに気づくことも、自己信頼を育てる大きな要素です。

「しなければならない」意識は、猛烈に自信を奪っていく

頭で考えて自信はつく?

思考で「しなければならない」と考えるのは、どうしてでしょうか?

誰かを基準にしているからでしょうか?

すべて、他人の基準です。

頭で考えて「私は優れている。能力がある。もっと伸びる」と自分に言い聞かせることは、自信がつくのでしょうか。

答えは「はい」であり、「いいえ」でもあります。

理想と現実の落差

「思考」と「感情」は別物です。

自分に対して言葉で

「私は優れている。能力がある。どんどん伸びる」

と自分い言い聞かせているとき、心底その言葉に納得してプラスの実感をしていれば効果があります。

でも、そうつぶやきながら心の底では

「そんなことはない。これまで自分に能力があるなんて思ったことはない」

と感じたり、居心地の悪さを感じているなら、それは逆効果です。

”理想の自分”と”現実の自分”とのギャップを、いっそう著しく自覚しているのです。

こうしたギャップは、自信を奪います。

何かを決めるとき、自動的に「しなければならない」になっていないですか?

心が自由だから、自信がついてくる

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実際のところ、自分が「しなければならない」と自動的に発想しているかどうかすら、気づいていないこともあります。

 

たとえば、誰かにこう言われたらどう思いますか?

「AとBと、どっちがいい?」

こういわれたら、とっさにAとBのどちらかを選ばなければならない、というふうに考えませんか?

この質問は相手を尊重して見えますが、本当は二者択一ですから、本当は限定されています。

もしあなたが二者択一の質問をされたとき

「AもBもどちらも欲しい」

「AもBもどちらも要らない」

「いまはすぐに答えられません。時間をください」

などと、自分の気持ちや感情に沿った答え方ができるかどうかで、あなたの心の自由度を測ることができます。

罪悪感がない人ほど自信に満ちている

では、心の自由を阻むものは何でしょう。

それは罪悪感です。

ある選択をあなたは罪悪感なしに選択できるかどうか。

罪悪感なしに応えることができるほど、自分を認めているということになるでしょう。

「でも、相手を傷つけたくないから、AとBのどちらかを答えるということもある。

優しさってそういうもんでしょう」

 

確かにそうです。

しかし実際には、「自分を認められる人」ほど、優しさを発揮できるでしょう。

たとえば、相手のすすめを断るときに、

「ご丁寧にありがとうございます。お気持ちだけいただきます。

も親切にしていただいて感謝いたします」」

こんな風に心をこめて答えられるのは、自分自身の中に「選ぶのは私の自由だ」という自信があるからこそです。

何か決める時に、「しなければならない」と自動的に考えず、心を自由にすることが、自信を付けていく上で非常に大切なのです。

ほんの少しでも自分の欲求を聞いてあげればいい

気持ちや感情を無視し続けると・・・

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何らかのアクションをするとき、「しなければならない」という思考からスタートしてしまうのは、あなたが周囲の人や外側から「しなければならない」という他者視点からのメッセージを絶えず受けてきたからです。

でも、「しなければならない」からスタートすると、自分の気持ちや感情や意志を最初から無視することになります。

 

たとえば、深夜に家に持ち帰った仕事をしていたとします。

疲れていて猛烈に眠くなり、寝たいと思っても、「仕事をしなければならない」と自分に命令したら、眠くても終わるまでやろうとするでしょう。

でもそれは、あなたの「寝たい」という欲求とは反しているので、あなたは自分の欲求を抑えながら仕事を続けることになります。

そのため、頭が働かないだけでなく、気分的にイライラしたり焦ったりしてきます。

眠気と闘っているので、仕事は遅々として進みません。

こんな状況で、「なぜ自分は、いつもぎりぎりにしか、仕事をしないんだろう」と、知らずのうちに自分を責めていれば、それだけでも自信をなくす種を蒔いていることになります。

欲求を満たすこと=自分を認めること

自信をなくしたのは、本当は自分の感情を無視して、思考で自分に強制しているからなのです。

このときあなたが、「眠たくなったから、今日はこれでやめよう」と自分の欲求や気持ちを満たせれば、「ああ、気持ちいい」という幸せな気分で床につけます。

そんな満足が、ひいてはあなた自身を認めることにつながってきます。

つまり自信です。

他者視点で自分を見て「しなければならない」で生きるか、自分の欲求を満たす「したい」で生きるか。

こんな小さな場面でも自信を育てていくことができるのです。

「相手を見る」と加速度的に自分に自信をなくしていく

自分の感じ方を大事にする

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「しなければいけない」は、他者が基準にしているものを自分の中に取り込んでいる、他者中心意識の代表と言えるものです。

「思考」に囚われている人は、この「しなければならない」を基準にしてしまいます。

「しなければならない」という束縛から自分を解放するために、もっと自分の欲求を満たしたり、自分の気持ちや感情を基準にしましょう。

このように書くと、「思考」から入る人は、

「しなければならないと考えるのは、いけないことなんだ。

しなければならないという考え方は、やめなければならないのだ」

などと、頭が混乱してきて、すでに”しなければならない”のオンパレードになっているかもしれません。

自分がいま、どんな気持ちになっているのか。

自分がそれを「したい」と感じているのか、それとも「したくない」と感じているのか。

もっと自分の感情を基準にしたいものです

したくないことをしているときは自信とはかけ離れた状態

一方「自分がどうかんじているのかわからない」というレベルだったらまだいいのですが、”自分の感じ方”そのものに焦点が当たらない人もいます。

 

もちろん、焦点が当たらなくても、自分がどうしたいかは、自分の無意識下ではわかっています。

わかっているからこそ

「本当は”したくない”のに、”しなければならない”」というとき、イライラしたり腹が立ったりしているのです。

”したくない”ことをしなければならないのですから。

「どうして、こんなことを、私がしなくちゃならないんだ」

と不満をおぼえたりします。

このとき「相手に無理矢理やらされている」という見方をすれば、「自分のことを軽く見ている。バカにしている」というような気持ちになってしまい、一層腹が立っていきます。

相手に意識を向けているために、もちろん自分の感情は無視することになり「自信」とは程遠い状態になっているでしょう。

思考に囚われていると 自分の欲求を否定する

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では、「しなければならない」と自分を縛りながら「他者」を基準にしていくと、どうなっていくでしょうか。

「しなけでばならない。けれども、したくない」

と自分が感じているときでも、

「しなければならない。けれども、したくない」

と自分が感じているときでも、

「したくないので、やめよう」

とはなりません。自分の気持ちを大事にしようと思っても、

「でも、もし、これをしなかったら、相手は、自分のことをどう思うだろうか」

というふうに、すぐに「でも」という思考がそれを覆します。

しかも、このように「他者の眼に自分がどう映るか」を考えてしまうのは、「相手が自分をどう思うか」ということだけでなく、実は人が同じような行為をしたら、自分自身が「相手を批判したり、否定している」からに他なりません。

たとえば、「自分が怠けてはいけない」と思っていたら、相手が怠けていると、それが許せない気分になります。

反対に、自分が怠けていると、自分自身も罪悪感を抱き、相手も自分を非難しているに違いない、と考えるのです。

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明日は、自己信頼を高めて元気になる方法について勉強していこうと思います。

 

今週もお疲れさまでした。

では、また。

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