あなたが何かしようとすると、
「どうして、そんなことをするんだ」
とすかさずツッコミを入れる人。
失敗したらチャンスとばかりに
「どうして、そんなことをしたんだ」。
相手の行動に否定的な反応をする人は、仮にあなたが何もしなくても、文句を言います。
こんなときは、
「あ、この人は自信がないから、相手に反対することしかできないんだ」
と考えてみましょう。
こんばんは、ラブです。
しっかり相手の言動を見定めよう
相手の言葉が仮にあなたに向かって言われたとしても、それは相手が、「その相手自身に対して言っている」という受け止め方もできます。
相手の発する言葉は、その言葉を使った人自身のものです。
言葉は、その人自身の心や意識をあらわします。
まさに、その人自身なのです。
あなたをダメだという人がいれば、本人に自信がなく、他者の評価を気にする人でしょう。
「〇〇するな」と言うひとは、自分自身がそれをすることを恐れている人です。
「どうしてそれをしないんだ」という人は、行動して失敗したり非難されるのを恐れているので、他者にそれをやらせようとする人なのです。
では、否定的な言葉を使っている人は、実際にはどんな行動をしているのでしょうか。
最も重要なのは「行動してどんな結果を残しているか」を客観的に見ることです。
仕事でいえば業績をあげているかどうか。
あるいは周囲に信頼が厚いかどうか。
優れた能力を発揮しているかどうか。
こうした点を確認してみましょう。
たとえば、依存的な人ほど余裕がなく、相手に対し「甘えるな」と言ってしまうように、指摘が適切かどうかは、その人の人となりを見ればわかります。
繰り返しますが、ある言葉があなたに向けられたものであっても、言葉を額面通りに受け止める必要はありません。
相手の言葉や言動は「その人自身」なのです。
こんな見方ができれば、相手の言動は相手を知るために情報となります。
「こんな言動をとっている人は、こういうタイプだ。
だから、こういう結果になる」
というように様々な人を把握していくことで、すべてがあなたの貴重な情報・データとなり、冷静な対応が可能になり、それがまた自信につながります。
すぐ否定する人への対処カルテ
・「自分に自信がないから、相手に反対することしかできない」と考える
・「相手の発する言葉や行動は、その人自身の心や意識をあらわす」と心得よう
・「否定しかできない人」は「自分に自信がない」ことを自ら証明しているようなもの
・「相手の否定的な言葉」に反発心を燃やしても疲れるだけ
・自分自身を守るため、「否定するのが目的になっている人」とは距離を取ればいい
・否定的な言葉に惑わされない。指摘が適切かは相手の行動を見れば判断できる。
・否定的な言葉に萎縮しては損。否定的な言葉も相手を知る貴重な情報である
「相手の自由」を前提にすると、自分が冷静に対処しやすい
Cさんが落ち着いて対処できた例
我慢している人は、どんな場面でも我慢しています。
依存的な人は、どんなときにも依存的です。
怒る人は、どんなことにも腹を立てます。
だから、ひとつの場面であなたがプラスの行動をとることができれば、それが他の場面でもプラスの言動として生かされていきます。
Cさん(以下C)の職場は、個人に割り当てられた引き出しがあります。
Cの引き出しの下に、Cが苦手とするDさん(以下D)の引き出しがあります。
Dは、私物をたくさん詰め込んでいるために、Cが引き出しを引くと、Dの引き出しも一緒についてきます。
苦手な置いてなので、Cは注意もできず苛立ちながら、そのつど引き出しを締めてあげていました。
でも、知ってか知らずか、Dのそれは一向に改まりません。
そのため、Cは引き出しを閉めてあげるたびに、閉めてあげるというよりは、「Dに閉めさせられている」というような惨めな気持ちになるのでした。
たったこれだけの出来事でも、自分の中に”惨めさ”をインプットすることになるのです。
では、CがDに対して
「職場の引き出しなんだから、もっと気を使ったらどうなんだ!?」
という言い方をしたら、Dは素直に「すまなかった」と反省するでしょうか。
もしDが反発すれば、向きになって引き出しを私物でいっぱいにするかもしれません。
仮に渋々Cに従っても、もともとDは苦手な相手ですから、Cに対して好意的になるとは思えません。
事実Cはそれが怖くて、我慢していたのです。
そこでCは自分中心にして考えてみましょう。
「怖いことに無理に挑戦しない」というのも自分中心的発想です。
それを実行したところ、Dは引き出しを自分で閉めるようになりました。
単にDの「選択の自由」を認めたのです。
引き出しをいっぱいにしているのは「Dの自由だ」ということを”前提”としたのです。
そうなってくると、その「選択の責任」もDに発生してきます。
一般常識に縛られると、問題の本質が見えない
相手の「選択の自由」を認めるだけでいい
Cは声を出して、
「Dが引き出しをどういう使い方をしようが、それはDの”自由”だ」
と何度も唱えました。
それだけで、Dにこだわる意識が少し軽くなりました。
それとともに、頭の中に救っていたDの姿が少しかすみ、彼との距離が少し遠くなった感覚がします。
そして、Cは頭の中が整理されて、脳細胞が活発に活動を始めたような心地よさを覚えました。
実際に、これだけでも、物事の見方や捉え方、行動の仕方も変わってくるのです。
では、具体的にどんな変化があったのでしょうか。
これまでは、Cは苛立ちながらも、Dの引き出しをそのつど閉めてあげていました。
でも相手に「選択の自由」を認めると、”苛立ちながら自分が閉めてあげる行為”が奇妙に感じられてきたのです。
どうしてDの引き出しを閉めてあげていたのか、とCは自分に問いました。
そこには次のことがひそんでいました。
CはDに”非常識だ”と心の中で常識を要求していたように、C自身もまた
「相手がどんなに非常識であっても、人間として、引き出しぐらい閉めてあげるのは、当たり前だろう」
と要求していたのです。
一度そう思ってしまうと、Cがもし引き出しを閉めなければ、”罪悪感”が起こります。
この罪悪感が「Dの選択の自由」を認めることで変化したのです。
Cは変化した眼であらためて見てみました。
「この引き出しはDのものだ。
自分の引き出しを引っ張ると一緒についてきたとしても、それは自分の責任ではない」
もちろん、それは
「Dの自由であるとともに、Dの責任だ」
ということに気づいてきたのでした。
こんな捉え方をしたとき、Cから一般常識的な罪悪感が消え、
「自分がイライラしながら引き出しを閉めるんだったら、イライラしないために閉めるのをやめよう」
そう決心して、そのまま放置しておくことに決めたのでした。
相手に「選択の自由」を認めるだけで、自分が「したい」ことが明確になり、「しなければならないこと」から解放されるのです。
たったそれだけでも、これが自己信頼の第一歩になります。
この、一般常識の縛りがけっこう足かせになっていることって多いと思います。
次回はこの「選択と責任」について、もう少し掘り下げて勉強したいと思います。
今日もおつかれさまでした!
素敵な夢をいっぱい見て、明日はもっと最高な1日になりますように。
では、また。