あなたの目標を達成するための方法は、どんなものがありますか?
巷にはたくさんのノウハウがあふれているので、どれを選ぼうかと悩んでしまうことがありますよね。
完璧な方法を選ぼうとすると、その情報量の多さにあれこれ吟味する必要が出て、前に進めなくなります。
知らぬ間に「完璧主義」のワナに陥っているのです。
「完璧主義」は選択のパラドックス
そうした「完璧主義」のワナに陥ってしまうと、とにかく目標まで「最短距離」で、しかも「効率よく」到達したいということに目がいってしまいます。
朝10時に人と会う約束があったら、「10時ちょうどに到着したいな~」なんて。
10分も15分も前に到着すると、「損をした」という感覚さえ持ってしまったり。
「出来る限り少ない労力で、目標ぴったりに達成する手段はないか?」
と、あらゆる手段を頭の中で検討するスパイラルにはまりこんでいるのです。
しかし完璧な手段を選ぼうとすれば、なんだかんだと検討しているうちに膨大な時間がかかります。
結局のところ、「完璧な」手段、などというものは見つからないものです。
だからこそ選択のパラドックスにハマってしまうのです。
目標までの効率や最短距離を突き詰めるために考えていたのに、試行ばかりに時間がかかり、結局遠回りになっていることが非常に多いのが特徴です。
どれだけ手段を考えても、期限は待ってくれない
最善策を講じようと迷っていても、いつかは「えいやっ!」と行動に移さなければならないときは来ます。
ですから大事なのは、遠回りかもしれないし、最善策ではないかもしれないけれど、「目標達成」にだけ着目していく「達成主義」でいくことが成功には大切です。
現代は高度情報化社会です。
その弊害として、「探せば答えがありそうな気がしてしまう」ということが挙げられます。
書店にもネットにもノウハウや成功譚があふれているので、玉石混交の情報がすぐにヒットしてきます。
もっと自分に合った答えがありそうで、どれも魅力的に見えます。
もっともらしい答えがたくさんあるので、探せば探すほど迷ってしまい、完璧主義のパラドックスにハマってしまう仕組みになっているのです。
しかし、夢、願望、目標、これらを達成するための手段に正しい答えなどありません。
絶対の解が存在する数学の問題とは違うのです。
いろんな行き方があってオッケーです。
この陥りやすいマインドをリセットすることで、あなたは成功することができます。
「絶対達成」で、精神的な余裕を作る
達成主義では「目標は、絶対達成するもの」と考えます。
アバウトな考え方ですが、その発想がときに必要なのです。
最初からごちゃごちゃ考えず、定められた目標と期限に対し、「難しいことはよくわからないので、とりあえず動きます」と宣言する。
100点満点のテストで、合格点の80点ぴったりを目指すのではなく、「とりあえず、最低80点を超えられるくらいには、しらみつぶしに参考書をやろう」と考えます。
朝10時の約束があったら、どんな順路でも手段でもいいから、とにかく送れないで着くことだけを考える。
到着が9時でも9時半でも、あまり気にせず、「早く着きすぎちゃったけど、送れなかったから、まぁいいか」と開き直る。
結果に至るまでの行動はぴったりでなくていいし、計画も完璧を目指さない。
可能性の高そうなものからどんどん手を出していく。
それで失敗しても、別に人生が終わるわけでも、世界がなくなるわけでもないのですから。
「仕方ない。今度は別のやり方でやればいいや」と思うだけです。
こういう発想ができる達成主義になると、精神的にあまり追いつめられませんし、楽観的でいられます。
常に動いているので、一喜一憂している暇もあしません。
「10回やって10回失敗したら、今度は30回やってみればいい」
この前向きさと大量行動こそ、達成主義者の精神的な余裕の秘密です。
常に行動しているからこそ、結果的には完璧主義者よりも多くのことを成し遂げられるのです。
反射的に「できない」と言わない
わたしたちが「達成主義」を身につけるには、今すぐできることがあります。
反射的に「できない」と言わない、ということです。
たとえば、昨年度8000万円だった会社の売り上げ目標が、今年度1億円につりあがり、社長は「絶対達成だ」と言ったとします。
「1億円なんて、いくわけないです!」
とすぐに反射的に口から飛び出すなら、それは過剰な反応です。
一瞬でも、それを達成するために何ができるかを考えたでしょうか?
「だって、うちの業界は特殊ですし、市況もわるいし・・・」
「他社ならとにかく、うちは違うし・・・」
このような言い訳を始めてしまうことがあります。
しかし、それは「本当にできない」にするための後付けのもっともらしい理由。
著者はこれを「作話」と呼んでいます。
こういう反射的な言葉がつい出てしまったときに、振り返ることがあります。
それは、一度でも自分の脳の「長期記憶」にアクセスしたかどうかです。
そして、「長期記憶」にアクセスしてもめぼしいアイディアが見つからなかったとき、しかるべき「外部記憶」にアクセスしようとしたかです。
条件反射的に「できない」「無理」と思いやすいクセがある人は、考える習慣を身につける必要があります。
とりあえず、すぐにできることは「できない」「無理」というネガティブワードをなくすことです。
すると自然に「長期記憶」にアクセスするきっかけが得られるようになります。
がむしゃらに大量行動することも必要
完璧主義のパラドックスにはまっていると、高い目標設定が難しくなります。
なぜなら、過去の延長線上でしかものごとを考えることができなくなるので、「工夫すればちょうど届きそうなライン」選定しかできないのです。
「こんな高い目標は今までなかった、無理かもしれない」
そのような「想定」できないことが怖くなるのです。
その「想定」を打ち破ることを著者は勧めています。
想像もつかないような目標や夢を前にしたら、ひるむし、途方に暮れるかもしれません。
しかし、経験したこともない目標。
その達成した姿をイメージできないのも当然なのです。
一度もパスしたことがない資格試験を突破するための準備をするなら、1日何時間勉強が必要なのか、いくら考えてもわかりません。
だったらもう、がむしゃらにやるしかないのです。
思い付く限りのことを、できるところまでやるしかないのです。
「これくらいがちょうどいい」と思える行動の、2~3倍。
いや、10~20倍の量の行動計画を立てましょう
専門知識を得たいのならば、1~2冊の本を読むのではなく、10~20冊読むのです。
これが本来の「がむしゃら」の意味です。
過去に経験がない行動をするのであれば、どんなに事前に綿密な計画を立てても、1~2回の行動だけで目標が達成されることはないでしょう。
運や偶然に頼ることになります。
「がむしゃら」と聞くと、いかにも大変そうに思えるかもしれません。
しかし完璧を目指そうとして、きっちりとした仮説や方法論を導き出そうとする時間や労力のコストまで総合すると、意外に大雑把なプランで、かつ、がむしゃらに大量行動をしたほうが、結果的には労力も時間もかからず、目標が未達成に終わるリスクも減るものです。
それに、もし目標に届かなかったとしても、このような大量行動の家庭で得た知識や経験は、今後間違いなくあなたの糧になります。
あれこれと手段を検討しすぎると、疲れてしまって行動する気力も体力も時間も奪われていることがよくあります。
「とりあえず、動き出す」って、結局のところ一番の方法ですよね。
そのときは役に立たなかった経験も、後から「あれをやっておいて、良い経験になって今生きている」と思うことって、よくあるものですし。
今年も残りが1か月と半分になりましたね。
1年の目標を見直して、やりたかったけれどやり残しているものを、「とりあえずスタートする」のも良いかな、と思っています。
ゆっくり休んでくださいね。
明日はもっと素敵な1日になりますように。
では、また。