著者は新卒でソニーに入社し、ベイン・アンド・カンパニー、ウォルトディズニー、AOLで経験を積み、ライブドアを企業。
アップルでステーブン・ジョブズと仕事をし、本社副社長兼日本法人代表を務めて、iPod miniをヒットに導きました。
現在は「リアルディア」を立ち上げて社長を務めています。
著者はこのようなキャリアを希望し計画して実現したわけではないと言います。
身近な人たちはみな、「前刀ほど適当な人間はいない」と言っているそうです。
点と点が線になる
著者は華々しい経歴の一方で、本人は自分が人より「多くを持って生まれた」人間ではないと言っています。
「普通が一番」と信じて疑わない両親に育てられ、それに反発して一番嫌いな言葉は「世間体」であった子ども時代。
人と同じことに魅力を感じない人間になり、創業したのはライブドアでした。
ライブドアは予想しなかったワールドコムの破たんの余波を受け、民事再生手続きをすることになります。
その処理の最中には身体中にじんましんが出て、「これはやばいな」とひしひしと感じたそうです。
しかし、振り返ってみると、わかることは、一見めちゃくちゃな人生を歩んでいるようで、その実、すべてはつながっているということ。
ライブドアの破綻が無ければ、そのあとアップル社に入社しジョブズと共に働いて、彼を「スティーブ」と呼ぶようなことはなかったといいます。
そして、スティーブとの思い出が無ければ、今の著者の仕事もなかったのです。
2005年、スティーブはスタンフォード大学の卒業式で、あの有名な「Connecting the dots(点と点を繋ぐ)」という言葉を残しました。
一見ランダムなように見える出来事が、やがて思わぬ形でつながることがある。
点はいつか、線になるのです。
「将来のため、今のうちに努力しておきなさい」
「先のことをちゃんと考えて、キャリアプランをもちなさい」
著者の生まれた家を含め、日本では幼いころからこんなことを言われ続けておとなになります。
著者はそれを否定するつもりはありません。
しかし、未来に備えようとするあまり、その未来の「見通しのきかなさ」に悩み、ひるんでいる人はいないでしょうか?
未来に目を向ける一方で、かけがえのない「現在」を犠牲にしている人はいないでしょうか?
得体の知れぬ”未来”とやらのために、好きなこと、やりたいことを我慢していないでしょうか?
今、あなたの心は喜んでいますか?
ワクワク、ドキドキしていますか?
「YES」と即答できないのなら、今すぐその生き方を変えてしまうべきだと著者は考えます。
「未来やキャリアを思い悩むな。それらはこの手で創るものである」
そのことを証明するために、著者は筆をとりました。
著者がアップルを辞めたわけ
世間体をまったく考慮しない著者は、2006年にアップルを辞めましたが、時に非常識な選択だと驚かれました。
確かにアップルは素晴らしい会社でした。
入社する直前のアップルはひどいありさまで、スケルトンカラーで一世風靡したiMacが代を重ねてデザインが変わり、ソフトウェアのデベロッパーがMacから離れたこともあり、「クリエイティブに強いMac」というイメージすら失いかけていた時期でした。
iPodの売れ行きも不調。
当初与えられたポジションは、本社マーケティングバイスプレジデント、つまり副社長でした。
これで燃えないわけがありません。
スティーブには「3年で結果を出す」と宣言して、それは成功しました。
MP3プレイヤーの持っていたオタク的イメージを廃して、ファッションアイテムのひとつとして打ち出しました。
iPodminiは5色のカラーがラインナップされ、使っていることを誰かに自慢したくなるアイテムへと、ユーザーの完成に訴えるマーケティング戦略をとったのです。
社内の意識改革を進めたのもこの時期です。
「Goodーbye MD」というキャッチコピーには、ソニー時代の先輩から「刺激的すぎるからやめてくれないか」と言われます。
「アップルはMacだけの会社ではない。
これからはデジタルミュージックのリーディングカンパニーになる」
と記者会見でメッセージを送りました。
約束の3年はあっという間に過ぎ、すでにアップルの日本代表というポジションも得ていた著者がすっぱりとアップルを辞めたのは、端的に言えば「飽きてしまった」からです。
今何をしたいか、何に情熱を注げるか、あるいは今何をしたくないか。
著者はそこに一番こだわってきました。
いつでも「そこに心が燃える仕事がある」ということが最優先。
自分の心の声に従って、セルフイノベーションを起こし続けていく。
アップルに入社したのも、まさにそんな仕事があったから。
そして、アップルを辞めたのは、その仕事が終わったからでした。
著者が会社を辞める時はいつも、
「俺はやりきった」
「これ以上ここにいても、心が燃えない」
と思ったとき。
池井戸潤氏の『下町ロケット』を見て、胸が熱くなる人がいっぱいいます。
それは、誰もがみんな、心に熱いものを持っているからです。
その厚いものは普段、ふたをされています。
自分の仕事をしているときは、ないふりをされているんです。
でも、本当は確かにそこにあるから、『下町ロケット』を見ると、それがこみ上げてくるのです。
バカな生き方だと思う人もいるし、決して「楽な生き方」とは言えません。
楽をしようと思ったら、大きな組織に所属して、人に言われた通りに同じ仕事を繰り返していた方がいいに決まっています。
でも、この生き方には、喜びがあります。
楽ではないけれど、楽しい。
ひとつの仕事を辞めた後は、また新しい仕事に向かえばいいんです。
人生は短い
アップルを辞めた後著者はリアルディアという自分の会社を立ち上げました。
企業理念では「セルフ・イノベーション事業と感性事業を創造し、素敵な笑顔をつくります」と謳っています。
手がける事業は例えば感性プロデュース写真アプリ「FACE」です。
これまで著者が手掛けていたどの仕事とも違う仕事で、著者自身もまたセルフ・イノベーションを成し遂げようとしているのです。
極論に聞こえるかもしれませんが、仕事が辛いとか、上司がうざいとか、ぐちぐち言っている人には「さっさと辞めてしまいなさい」と著者はアドバイスすることにしているそうです。
なぜって、人生は短いから。
平均寿命がのびて、じきに100歳まで生きるのが当たり前という時代がやってくるのでしょうが、それでもなお「人生は短い」と思っていた方がいいのです。
心が動かなくなるようなことをやっている暇なんて、誰にもありません。
そのままグチを言い続ける人生に、セルフ・イノベーションなど起きようがありません。
このまま一度もセルフ・イノベーションが起きず、人生が終わってしまうなんてもったいないのです。
簡単な、ごく自然なことで、セルフ・イノベーションは達成される
ごくごく自然なことをやっていくだけで、セルフ・イノベーションを達成することができます。
著者が言いたいことは、こういうことです。
悩むよりも楽しもう
将来をいたずらに憂うよりも、その瞬間、心が喜ぶことをしよう。
そのような決断の点と点が、いつか繋がるときがやってきます。
考えるよりも感じよう
日本人には素晴らしい感性が備わっています。
頭で考えて答えが出ないなら、その感性に、自分をゆだねてみましょう。
溜めずに捨てよう
やりたくないことは捨てる。
出来ないことは諦める。
ストレスフリーな生き方はそこから始まります。
嘆くよりも変えてしまおう
イノベーションを生み出し、世界を変える人間は、何を考え、どう行動するか。
自分の体感を信じよう
デジタルよりもアナログ、データよりも体感。
心が喜ぶ生き方、あるいはイノベーションを起こすためのキーワードです。
心のままに生きましょう。
あなたの貴重な人生に、見えるはずのない5年後を思い悩む暇はありません。
明日から、この本で少しずつセルフ・イノベーションについて勉強していきたいと思っています。
先日学生時代の友達と、20年ぶりに集まりました。
卒業までの人生は、みんな似たり寄ったりでしたが、そのあとの人生は「どう生きていきたいのか」というそれぞれの在り方がそのまま反映され、大きく違うものでした。
大学時代とは全く関係のないスキルを身につけた上に会社から独立した友達や、家族の事情が変わってを家庭を選んだ友達など、その選択はその人そのもの。
でも、「過去の自分が今の自分を想像できたか」と言ったら、みんな違うと思います。
そのとき、そのときに夢中になれるものに、精一杯生きることが、結局のところ一番の正解だったんだろうと思いました。
学生の頃は、自分の将来が全く見通しが立たないことに、とても不安を感じていました。
不安に駆られて、必要な情報も、そうでない情報も、必死になって頭に入れていました。
でも、そこから20年経ってみて、せっかくの若い時期を不安という感情でいっぱいにして過ごしてしまったことが、もったいなかったと思います。
周りの大人たちには、「将来をどうするつもりだ?」「将来のために、これを知っていなくてはだめだ」と言われて、見えない未来にぐったりしていました。
過去の自分に会えるならば
「今、面白いと思うことに、情熱をもって突き進めばいいよ」
と言ってあげたいです。
今日もお疲れさまでした。
ゆっくりやすんでくださいね。
では、また。