「やりたいことをして生きていくのは、わがままだ」
「それは逃げているだけ。世の中は甘くない」
よく耳にする言葉ですが、本当にそうなのでしょうか。
思い切って好きなことをする人生へ方向転換したほうが、自分の人生に意欲が持て、成功の確率も高めることができるのではないでしょうか。
いつも不平不満を口にしながら生きている人、人生の悪い流れを断ち切れない人の多くに共通するのは、「したくないことをする」ことに慣れてしまっている、ということです。
「やりたいこと」を始める勇気
「もう少し準備が整ったら」
「いい経験になると思うから」
「経済的な問題があるから」
となど、いろいろな言い訳や合理化をして、決断を先延ばしにしてしまっていることがワタシにもよくあります。
なぜでしょうか。
「本当にやりたいことをやって失敗したらどうしよう」
という不安をぬぐいされないからです。
けれども「やりたくない」と感じながらも、「これも必要なことだ」と自分を偽っていると、自分の気持ちをごまかすのが習慣化してしまいます。
そうなると、しまいには本当の自分の気持ちがわからなくなり、「したくないことをしている」という自覚すらなくなってしまいます。
「自分の今の人生は、何か違うのではないか・・・」
そう思ったら、立ち止まることです。
そして、可能であれば、その状況から退散する工夫をするのです。
具体的には、3日間休暇をとり、家族とも離れて、「したくないことは一切しない」生活をしてみる。
本当にしたくないのなら、テレビも観ない。新聞も読まない。食事もしない。
そんな3日間をおくると、自分がどんなに惰性や習慣で毎日を送っているかわかります。
すると、いつも自分が惰性で「したくないことをする」のに慣れていることが自覚でき、だんだんと本当の自分の心に耳を傾けられるようになります。
期待に応えることを第一義としない
カウンセリング心理学は、人が自分らしく生きていくのを援助していく心理学です。
時分らしく生きていくための最大のコツは何かというと、それは「”いい人”をやめること」「人の期待に添うのを断念すること」です。
端的に言えば、人の期待に応えることを第一義とするのをやめて、「自分の人生の主人公は自分である」という決意を持つことが、自分らしい人生を創っていくための第一歩となるのです。
終身雇用制が崩壊したとはいえ、まだまだ日本の企業では、社歴の長い管理職エリートほど、会社が望むことを阿吽の呼吸で受けて忠誠心を示すことに盲目的になりがちです。
結果企業文化にとらわれてしまう傾向があります。
そういった人たちがリストラされたり定年退職になると、居場所を失い、「ぬれ落ち葉」「ワシも族」となって、奥さんについて回り、その結果ときには「熟年離婚」に至ったりしてしまうのです。
「したいことが分かれば苦労はしない。何も思い当たらないから苦労しているんだ」
「昔はワクワクすることがあったが、毎日の仕事や家事に追われて、すっかり気持枯れた」
そんな方も多いかと思います。
あなたらしさを探す
実際著者はカウンセラーとしていろいろな方と会います。
その中には、
「この人は子どもが巣立ったらどうなるのだろう」
と思えるような子育てに命がけの主婦の人や、
「この人は今の会社を辞めたら、食べていけないだろう」
と思えてしまう企業戦士の50代男性など。
「未来への道が限定されてしまっている人」が実に多いそうです。
新たな道が見つからないのは、その人のスキルのせいではないと著者は言います。
在籍した会社の慣行や人脈だけにしか通じていないため、転職に伴う人生の新たな局面が開かれていないのです。
一方、現在の若い人には強い成長願望があります。
入社の理由も、バブル期のブランド志向は陰を潜め、「自分の力を磨きたいから」「仕事を覚えて、キャリアアップしたいから」などの理由で会社を選ぶ人が増えています。
2~3年で転職することをよしとしている風潮すらあります。
もちろん、企業側から見れば、せっかく育てた人間を他者に流出させてしまう可能性を秘めているわけですから、喜べる傾向ではありません。
けれども、個人のキャリアの成長という面から見れば、「自分の力を鍛え、成長するために仕事を選ぶこと」は重要です。
自らの成長とスキルアップへの心構えを持つことは、自分らしい人生に近づく第一歩です。
加えて、流動性の高い現代社会では、現在の勤め先以外でも通用する就業能力を高めることが、必要になってきます。
一つの企業文化に染まり、1つの企業に限ったスペシャリストである必要はないのです。
こうした姿勢の重要性は、生活全般にわたって通じるものです。
たとえば、専業主婦であっても、「夫の妻」や主婦で依存せず、仕事、趣味、ボランティアなどの社会活動といった、さまざまな場面で本当の自分らしさを発揮できる舞台を築いていけるのです。
自分を人生の中心に
もちろん、若い人の中にも、「自分で選んだ人生を生きていない」「周囲から期待されるままに生きてきた」という人も大勢います。
こういった人は、自分で自分を「周辺化(マージナライゼーション)」してしまい、「自分が自分の人生の主人公でなくなってしまっている」のです。
全ての人間は言葉本来の意味で「自己中心」であっていいのです。
ここでいう自己中心とエゴイズムは違います。
エゴイズムは、自分が中心となって他者を利用することですが、ここでいう自己中心は「自分が自分の人生という舞台の中心にいること。自分んが自分の人生の主人公であるという自覚を持つこと」です。
自分の人生のはずなのに「脇役でしかない」という感覚を持ってしまう人は、人の目を気にして、「周りの期待を裏切りたくない」という思いをどこかに抱えています。
こういった状態からまず脱していくことが、自分らしい人生をつかむ一歩になるのです。
つい、周囲の期待に応えることに一所懸命になってしまうことがあります。
走して頑張り続けていると、「今、食べたいもの」とか「今、やりたいこと」が見えなくなっていました。
「今自分は、やりたくないことをやっているんだな」ぐらいのことには、気づきたいですね。
そして、短い人生を「本当にやりたいこと」に向けていきたいです。
つい、言い訳して後回しにしたくなりますが。
『月と六ペンス』という本をちょうど先日読みました。
フランスで銀行員をしていた男が、絵画を描くことに目覚めて、家庭を捨てて、着の身着のままに没頭していきます。
それを傍観する小説家である主人公の眼には、前半では「家庭を捨てて好き勝手に生きるどうしようもない男」と描写されます。
しかし、後半では「世の中の慣例に背を向けて、自分の絵画への情熱に生きた人」として描かれていきます。
同じ仕事をしていても、何を大切にするかによって、生き方を変えることもできます。
「会社のため」にやるのか、「顧客の満足のため」「社会貢献のため」にやるのかによって、やることも変わってきますよね。
今日も1日、お疲れさまでした。
寒い日が続いていますね。風邪などひきませんように。
ゆっくり休んで、よい夢を。
では、また。