「石の上にも3年」ということわざがありますが、今の時代に合わせて解釈すると「石の上にも3年いれば十分」です。
いまの時代、ずっと同じ石の上に座り続けられると思っていたら危険です。
次の石に飛び移りましょう。
石の上にも3年いれば十分
いまも昔も、この先も、ずっと変わらなさそうなのは「人生は有限である」ということです。
誰のところにもいつか終りが来ます。
幼稚園は3年間、小学校は6年間、中学校と高校が3年ずつ。
小さなころの人生は、「3年」という区切りをもちながら、生活や学習が行われてきました。
会社で仕事するのも「3年一区切り」のように考えてみましょう。
たとえば、入社1年目は仕事を覚える、2年目で成果を出す、3年目で引き継ぐ。
そしてまた新しい3年をスタートさせる。
いつまでも会社にいる(いられる)と思うと、ダレてしまいます。
かといって、3週間や3か月だと短すぎます。
転職の履歴も3年続いていれば「3日坊主で辞めたわけじゃないんだな」と
いうことが伝わります。
大切なのは、区切りを意識することです。
人生は有限です。
メリハリをつけてコントロールしていくためにも、いつまでも続くなんて思わずに区切りながら計画を立ててみることが大切です。
うっかりすると年月だけが過ぎていきます。
そして、歳を取れば取るほど行動力はなくなっていきます。
自分の人生にあと何回「3年」があるのか。
それが自分の成長できる回数だと考えて、日々を過ごしてみましょう。
みんな教に惑わされないようにしよう
インターネットに24時間いつでもどこでもつながっているのが当たり前の時代になって、SNSを使っているのが当たり前の時代になって、「みんな」という存在がとても大きくなりました。
あんた以外の全ての存在、「みんな」です。
みんなからいいね!されたい、みんなから素敵と言われたい。
誰もが「みんな」を意識して行動するようになりました。
旅先の出来事やイベントの写真をせっせと投稿するようになりました。
でも、「みんな」っていうのは、何でしょう?
「誰か」となら、あると思うのだけど、「みんな」って、それは自分がつくりだした幻影じゃない?と思うのです。
宗教みたいなものですよね。
教祖も神もいないし、誰も救われないけれど。
「誰か」のことは考えるべきだと思います。
だけど「みんな」のことは、考えなくていいです。
ソーシャルの場において、そんなに他人はあなたのことを見ていません。
楽しかったパーティの写真が見られるのは1秒くらいです。
アップしたり加工したりの時間の方が長いですよね、それ。
その一方で、SNSに変な投稿をしたために、「炎上」してしまう騒ぎがよく起こっています。
ネットを使った死刑、リンチ、いじめです。
でも、これも「みんな」に見てもらいたいから、無茶なことをやっているものもあります。
予想と違う「みんな」の反応が返ってきて炎上してしまったというわけですね。
誰かのためには頭を使ったり悩んだり行動するべきです。
だけど、みんなのためにはする必要はありません。
多様性の時代に、みんなの意見に耳を傾けるのは、あまりに非効率です。
国の政治家ならともかく、あなたの人生においてまわり全員の意見なんて、平等に考えなくてよいのです。
みんなのことを考えて行動するのは、その他大勢・エキストラと同じです。
他人の人生のわき役ではなく、自分の人生の主役を演じるためには、みんな教とは距離を置きましょう。
だれが言っていたの?
みんな?
じゃあ、その人の名前を全部挙げてみて、どれくらいいいる?
みんななんて、本当は存在していないんです。
今日もお疲れさまでした。
良い夢を。
では、また。