ほんの5分ばかり、旅に出る。
そんな感覚で本を読むこと。
もしかすると、旅と読書は、おなじものかもしれません。
「自分のなかに、余白がなくなってきた」
と思ったとき、著者は旅に出ます。
それと似た感覚で、ちょっと気分を変えたいとき、本を読みます。
アメリカの書店文化に惹かれて、赤坂にオールドマガジン専門店を開いたり、トラックの移動書店「COW BOOKS」を経営している著者。
旅の途中も、読書中も、日常から離れて孤独に浸り、つかのまとはいえ、全くの一人になることができます。
実際の旅には準備も着替えもいります。
読書は実に身軽な旅です。
ページをめくるだけで旅先に足を踏み入れることができますし、飛行機に乗らなくても、数分で日常生活に帰ってこられます。
古書店を経営し、文書を書いたり編集したりを著者はしているので、「さぞかし本に詳しく、膨大な読書量なんでしょうね」と言われることがありますが、それは誤解。
著者は、読んだあと、あらすじを忘れてしまうこともしばしばです。
読み終わった後の記憶や、書かれていた内容はどうでもよく、読書の楽しみは「読んでいる時間そのもの」にあると感じているから。
「知識を得るための本をひらくのは、読書ではなく勉強だ」
というのが、著者なりの認識です。
だから、もっと
気軽に、いろいろな本を読んでみること。
「1日1冊読もう」とか、「全何巻を読破しよう!」と意気込むのではなく、本とのつきあいは、もっと自由に楽しめる気がします。
お気に入りの本を繰り返し読んでみるのも、その度に新しい発見があるもの。
本を一人の人間として考えてみると、新しい読み方が見つかったりもします。
小さな旅を、ぜひ。
本物だけのメモ
本物に触れることは、本s津を見極めるトレーニングになります。
旅に出ましょう。
美術館にでかけましょう。
誰かに会いに行きましょう。
何かを直接見るために、家を出ましょう。
時間をかけて、足を運びましょう。
「実際に実物を見る」という意識を持ち続けるのは、たいそう大事なことです。
なるほど、遠い国の砂漠の果てだろうと、世界の名画だろうと、テレビで目にすることができます。
今やインターネットさえ利用すれば、なんでも検索できます。
メディアの発達で、本物に触れなくても情報は手に入るようになりましたが、それはあくまでも概略。
だいたいの姿であり、儚いサムネイルです。
「忙しいから、だいたいわかればいい」というインスタントな発想は、貧しくて寂しいものです。
著者はインターネットを否定しません。
新しいメディアだと興味をもっているし、何か自分でも作ってみたいと思っているし、必要な道具として利用しています。
しかし同時に、インターネットはあくまで選択肢のひとつであり、キホンにはならないと肝に銘じています。
あまりに便利ですぐれているから、すこしでも油断すると「あらゆる情報源がインターネット」となるでしょう。
いつのまにか依存するはめになるのではと思うと、たまらなくおそろしいのです。
本物に触れず、外からの学びをインスタントなものだけに頼っていたら、そもそも自分の持っていた感覚が、少しずつダメになっていく気すらします。
また、情報を保存する際は、インターネットであればマウスをかちかち動かして画面をコピーすればすみますが、それもちょっと怖いふるまいです。
だから、著者のカバンには、いつだってメモと鉛筆。
本物を見た時、本物の言葉に出会ったとき、いつだってメモを取れる状態にしておきたいのです。
大事なことだから忘れないというのは嘘で、直感やひらめきは書き留めなければ、零れ落ちていきます。
本物を見て、自分の手で記した「本物だけのメモ」が増えれば、どんなサイトよりも心強い、あなたの情報源となるはずです。
今日も1日おつかれさまでした。
ゆっくり休んでよい夢を。
では、また。