日々使う言葉はあなたの人生を決めていくので、願い事を言葉にしたり、よい言葉を使って言葉のエネルギーを上手に活用することも、大切です。
また、日ごろから楽しいイメージを広げることを意識していくと、楽しいことが自然と引き寄せられていきます。
目の前にいる人に全力投球することも、人生を楽しく回転させていく秘訣です。
自分だけでなく、まわりの人を楽しませることも意識すると、さらに喜びは大きくなります。
楽しいことを考えるのが苦手な人は、「もっと自分をゆるします」と唱えてみると効果的。
そんなことを前回まで勉強しました。
そもそも「思考」って何でしょう?
哲学や心理学でのとらえ方はいろいろありますが、「思考」はその字のとおり、「思う」と「考える」の二つから成り立っています。
先に述べた通り、「言葉を変える」ことや「良いイメージを広げる」ことで、思考に良い影響を与え、コントロールすることが”ある程度”可能です。
しかし、これは”ある程度”であり、”完全”ではありません。
私たちは”意識的”に言葉やイメージを変えていくことはできます。
その反面、外部の反応や環境で、「思う、考える」が制御できなくなることもあります。
たとえば、誰かに怒られたり、いじめられたり、裏切られたりしたときです。
さらに言えば、”無意識”のうちに不安になることもあります。
つまり思考には、「自分で意識的にコントロールできる」面と、「自分では直接コントロールできない」面の、2つの側面があるのです。
思考に影響を与える場所や相手を避ける
「自分では直接コントロールできない」側面について、考えてみましょう。
まず、自分で直接コントロールできないものに「環境」があります。
環境とは場所であり、そこにいる人達のことです。
思考に悪影響を与える場所とは、そこにいるとなぜか落ち着かない、イライラする、不安になるといった場所です。
人で言えば、自分に直接的な害を与えるような人はもちろん、いつも「地獄言葉」を吐いているような人、一緒にいるとなぜか疲れる人です。
こうした場所や人からはまず積極的に逃げるか、避けるようにしてください。
「君子危うきに近寄らず」というように、あなたの思考に影響を及ぼす、またはその可能性がある場所には、できるだけ近づかないに越したことはありません。
また、思考に悪影響を及ぼすようなテレビ番組も観ない方がいいでしょう。
ニュースでも、虐待やいじめ、殺人事件のニュースを見たり聞いたりすると、どうしても暗い気持ちになってしまいます。
情報過多の時代ですから、なにを見て、なにを見ないかを自分でしっかり判断しないと、知らないうちに思考は悪影響を受けます。
電車も正面からまともにぶつかれば大けがですが、1センチでも避けられれば、涼しい風が当たるだけですからね。
家族といえども、無理して会わないのが「愛」
仲が悪い親や兄弟でも、会わないで済むのなら、会わないに越したことはないのです。
「用事があるから」
と言って、無理せずお盆や正月もやり過ごしていくのもひとつの思いやりです。
それを何年か続けて久しぶりに会うと、不思議とお互いのわだかまりが消えていたりするのです。
いらぬ争いを生まないためにも、ときには会わないのもりっぱな「愛」です。
相手を変えたくなったら、まず自分を変える
いつも「地獄言葉」を吐いているような人からは積極的に逃げるか、避けるようにするのがよいのですが、なかにはそういう相手を”変えよう”とする人がいます。
もちろんアドバイスしてあげるのは良いことです。
でも、「せっかく言ってあげているのに」とイライラしたり、悩んだり、起こったりするのは本末転倒です。
自分が知っていることを教えてあげたり、できる範囲のことをしてあげて、それでその人が変わらないのならば、それはその人の”都合”なのです。
それがいくら、親子や兄弟、夫婦といった身近な関係であっても、相手を変えようとしてはいけないのです。
あなたが幸せで豊かにしていれば、相手も変わる
家族のように生活を共にする関係でも、「魂の成長」は、ひとそれぞれ違います。
私たちは魂を成長させるために生まれてきましたが、その魂を成長させるためにやるべきことは、人それぞれ別のものです。
だから、こちらがしてあげられることがあったらやってあげて、そこに見返りやお礼を求めない。
そして相手が変わらなかったとしても、そのことに一喜一憂しないのは、大事なこと。
どうしても相手を変えたければ、まず自分を変えるのです。
たとえば、相手が「地獄言葉」ばかり吐いているのならば、わたしたちは「天国言葉」をばかり使って対抗する!のではありません。
私たちが「天国言葉」を言い、しあわせで豊かにしていればいいのです。
その姿が素敵でカッコ良かったら、相手はその影響を受けて変わります。
それを無理やり直そうとするのは、相手の修行を邪魔しているのと同じになります。
修行の邪魔をしていると、邪魔したほうもつらくなります。
だから、そういうときは「相手も未熟で学んでいるし、自分も未熟で学んでいるんだ」と思ってみましょう。
危険な場所やイヤな人物から逃げられない場合、神様がくれた試練だと考える
私たちは、成長するために生まれてきています。
そのときに私たちは、最も成長できる、学べる環境を選んで生まれてきています。
つまり、親兄弟、そして生まれてくる場所もであう人もすべて、自分で決めてきたのです。
だから、危険な場所やイヤな人がいて、それが避けられるなら、積極的に避ける。
それができないのなら、それは「そのことから学びなさい」というメッセージなのです。
メッセージであり大切な試練だからこそ、そのことからは、決して逃れられません。
仮に逃れられても、また形を変えて問題はやってきます。
なぜなら、それは自分で決めてきたことであり、自分で蒔いた種だからです。
神さまはあなたが乗り越えられる試練しか与えない
ときには、その問題が大きすぎて、投げ出したくなることもあると思います。
でも、忘れてはいけないのが、それは神さまがあなたを見捨てたわけではないということ。
あなたの魂の成長を願い、あなたならこの問題を解決し、そこから必ず成長できると信じているからこそ、その問題を与えるのです。
そして、その問題が大きければ大きいほど、それを解決した時のご褒美と喜びは大きくなります。
開けない夜はありませんし、闇夜も明ける前が一番暗いのです。
だからどんな大きな問題にも、その先のしあわせを信じ、自分を信じ、見守ってくれる何かの力を信じて乗り越えましょう!
やる気がかなり少ない人と組んで仕事をしていて、「あの人を何とかしなければ!」とやっきになったりもしました。
でも、変わりませんね。人ってびっくりするくらい、言われても変わらない。
この本を読んで、「じゃあ、自分が意欲的に楽しく働いている姿を示していこう!」と決めました(涙)
そうすれば、3月の年度末にたとえその人の変化が見られなくても、自分の成長と楽しんで働いたことと成果が残ってますもんね・・・(涙)
身近な人も、変わりませんよね?
身近なだけに、めちゃめちゃ気になったりしませんか。
でも、そのことに自分が注目していても、相手は変化しないことはわかってるんですよね・・・。
それよりも自分が「天国言葉」をはじめとするポジティブ思考な言葉を言い、しあわせで豊かに過ごすことが何よりも一番大事なことですね。
どんよりする日もありますが、
「この試練を超えたら、自分がバージョンアップできる♪」
と思うと、ちょっとは気持ちが上を向きます・・・かね?
まずは、自分が今日一日を、目の前にいる人たちと豊かに生きること。
そこから。
今日もお疲れさまでした。
年末年始は魂の修行があちこちでありますが、「ひとり時間」を少しでもとって、リフレッシュして切り抜けましょう。
ゆっくり休んでくださいね。
今年もあと7日。
来年のウイッシュリストでも考えながら、楽しく過ごしたいものです。
では、また。