昨日は、胸がスカッとする小林尊の成功を読みました。
ホットドッグの早食い競争以外の、もっと有意義なことに応用する方法について、今日は勉強したいと思います。
彼のやりかたから、広く応用できそうな教訓が少なくとも2つ引き出すことができます。
「ゲームのルール」を書き換える
1つ目の教訓は、問題を解決する方法全般にかかわります。
コバヤシは解決しようとしている問題を、自分なりにとらえ直しています。
ライバルたちは、どんな問いを立てていたかというと、「ホットドッグをもっとたくさん食べるには、どうする?」でした。
しかし、コバヤシは「ホットドッグをもっと食べやすくするには、どうする?」という問いを立てています。
これをもとに実験を重ね、フィードバックを収集して、ついにはゲームのルールを書き換えることができました。
問題をゼロベースでとらえ直したからこそ、新しい解決策を見つけられたのです。
大食いは普段の食事とは根本的に違う活動だと、コバヤシは考えるようになったのです。
大食いはスポーツだと彼は言います。
特別な訓練と戦略、肉体的・精神的な準備が必要だという点で、ほかのスポーツと変わりません。
早食い大会を普段の食事の延長線上に考えるのは、マラソンを散歩に毛の生えたものだと考えるくらい、彼にとっては違和感のある事でした。
大食いのような問題をとらえ直すのは、教育制度の崩壊とか貧困の蔓延のような問題に取り組むことに比べれば、ずっと簡単だと言われればその通りですが、複雑な問題であっても、コバヤシのように問題の核心を鋭く把握することは、よい出発点になります。
脳への「だまし」が限界を押し広げる
コバヤシの成功から学べる2つ目の教訓は、私たちが「受け入れる限界」「受け入れようとしない限界」と関係があります。
著者はコバヤシと会ったときに、コバヤシから聞いた言葉があります。
コニーアイランド大会の25本と8分の1本という世界記録を正当なものだと思わないようにした、と。
なぜかというと、それまでの出場者は待つはずれな問いを立てていたから、過去の記録に対して意味がないと考えたのです。
彼の眼には記録そのものが人為的なバリアになっているように見えました。
25本と8分の1が上限だなどとまったく思わずに大会に臨んだことで、自分がいま何本目のホットドッグを食べているかだけに集中するよう意識を持っていき、どうやって食べるかに神経を注ぎました。
一流アスリートでも「だまし」によって成績を伸ばせることが、最近の研究で分かっています。
ある会実験で自転車選手に訓練用のサイクリングマシンを全速力で4000メートル漕いでもらいました。
それから時間をおいてもう一度繰り返しましたが、この時は1度目のタイムトライアルで自分がペダルをこいでいる映像を見ながらやってもらいました。
選手は知らなかったのですが、じつはこの映像は漕ぐスピードを実際より早めていました。
それでも彼らは映像のペースについていき、自分の全速力と思っていたスピードを超えられたのです。
「スピードの決め手になる期間は心臓や肺ではなく、能なのだ」と、高名な神経学者で人類史上初めて1マイル(約1.6キロ)4分の壁を破った陸上選手として知られる、ロジャー・バニスターも言っています。
誰もが物理的、経済的、時間的など、いろいろなバリアに日々ぶつかっています。
本物の手ごわいバリアもありますが、まるで人為的なものもあります。
たとえば何かの制度がうまく機能しそうかとか、変化がどこまで許されるのかとか、どうふるまうのが無難化といった期待がそうです。
今度、想像力や意欲や創造性に欠けた人たちが勝手にこしらえたバリアにぶつかったら、全力で無視してみましょう。
問題を解決するだけでも十分難しいのに、最初から無理だなんて決めつけていたら、解決できるものもできなくなってしまいます。
コバヤシが最初の年に25本を一気に突破できたのは、それまでの記録を受け入れなかったからです。
コニーアイランド大会では、出場者1人1人にバネットと呼ばれる女の子がついて、数字の書かれたプラカードを頭上に掲げ、選手が何本食べたかを観客に知らせています。
でも、この年は途中でプラカードが足りなくなりました。
コビー担当のバネットは黄色い紙にマジックで数字をひたすら書きなぐっていきました。
協議が終わったとき、日本のテレビリポーターが「気分はどう?」と声をかけました。
「まだまだ行けるよ」
とコビーは答えました。
問題をとらえ直すことができたら、限界を超えていける。
ちょっと勇気が出ました。
今日もお疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。