「倍返し」という言葉が以前流行したことがありますね。
しかし、仕返しに一生懸命になってしまうのって、客観的に見ていて生き方として「?」が付くのではではないでしょうか。
成功者たちも、時に腹が立つ出来事には遭遇します。
しかし、そこで自分自身を見失わないためのスキルを持っているのです。
人は、自分自身でいるために自制心(セルフコントロール)を働かせるものです。
誰も(肉体的な)行動をコントロールできないという人はいないでしょう。
ところが多くの人は、、(肉体的な)行動はまず精神的な動機から始まるということに気づいていません。
ちっぽけで、おどおどした考えを持っている人は、いっさいの(肉体的な)行動の積み重ねである人生においても、やはりちっぽけでおどおどした人のように振る舞うものなのです。
繰り返しますが、自制心のある人は、ほかの多くの人が持っていない力を持っているものです。
とりわけその人たちは、状況をはっきりと見通す力にたけています。
また、状況を現実に即して正確に判断し、自分や周囲のために、目標を達成する力を持っているのです。
先日チャレンジした42の項目のリストの中の22番目は、「不当な目にあったり、不公平あ扱いを受けたりしても、仕返しを考えない」というものでした。
これは、自分自身の心(=主体性)を持っている人は、誰に対しても仕返しを考えない、というものです。
復讐とは、心の不安定さから生じる不満を、他人を害することで消化しようとする、まったく生産的でない行為です。
心が平安な人なら、服種などしたいとも思わないはずなのです。
この点について、1つの事例があります。
エイブラハム・リンカーンが大統領に就任する5年前。
当時はイリノイ州・スプリングフィールドの弁護士をしていました。
当時大企業の1つがあることで訴えられ、裁判所の命令でリンカーンは2人の弁護士とともに、法廷で弁護にあたりました。
2人の弁護士と言うのは、どちらも大都市からやってきた高名な弁護士で、リンカーンのような田舎の弁護士をひどく軽んじていました。
リンカーンが苦労して作成した裁判資料を2人は読もうともしませんでした。
さらにひどいことに、彼らは裁判の場で、リンカーンと同じテーブルに着くことすらしませんでした。
公の場で侮辱されたのです。
その仕打ちに、リンカーンはひどく傷ついたことでしょう。
それから5年後、あのやせた、いつも悲しげな顔をした弁護士上がりの男が大統領にえらばれました。
当選後の彼の最初の仕事は、閣僚の人選でした。
そしてそのとき、国防長官に1人の男が候補に挙げられました。
エドワード・M・スタントンです。
リンカーンはその名前を憶えていました。
スプリングフィールドで彼にひどい仕打ちをした弁護士の1人だったのです。
けれどもリンカーンはそのことをおくびにも出さず、スタントンを国防長官に任命しました。
それが自分のためでもあり、人のためでもあることを悟っていたからです。
リンカーンは自分自身を完全に自己コントロールしきっていたことに疑いの余地はありません。
多くの人は、何か特別の経験をすることで、セルフコントロールの大切さを知るものです。
著者ナポレオン・ヒルもとある経験を通してセルフコントロールの重要性を知ります。
著者はかつて古い建物の中にオフィスを持っていましたが、管理人との間に誤解が生じたことから、管理人に意地悪をされるようになります。
著者が仕事で夜遅くまでオフィスにいると、彼は建物の明かりを消してしまうのです。
ある日曜日、どうしても翌日まで届けなければならない書類を取りに行くと、机に座ったとたんに明かりを消されてしまいます。
積み重なるストレスに耐えかねた著者は、前後の見境もなくなって、ボイラー室にいた管理人にボイラーの火より熱い文句を並べてののしりました。
その著者を見て、管理人は
「おや、今日はちいとばかりカッカしてなさるね」
と冷静です。
当時著者は高度な心理学を学び、成功哲学を提唱する人間であり、シェークスピアやエマースン、ソクラテス、聖書に精通するいっぱしの文化人のつもりでした。
その著者が見境なしに興奮し、読み書きもろくに出来そうもない管理人が冷静でいる。
この事実にはっとしました。
著者はゆっくりと自分の部屋に帰り、考えました。
「私はひどいことを言ってしまった。あの男に謝らなければならない」
という思いと
「いいや、謝るものか。先に意地悪をしてきたのはあの男の方ではないか」
という思いが交錯します。
しかしその心の葛藤にも決着がつきました。
著者の心に平安を呼び戻す唯一の方法は、彼に仕返しをすることではなく、彼と仲直りすることだったのです。
再び地下室に行くと、管理人はすでに自分の部屋に引きこもっていました。
著者はドアをそっと叩きました。彼は出てきて、
「何か用かね」
とそれは静かで、優しい声で言いました。
著者は失言をわびました。
彼は人のよさそうな顔になっていました。
「この壁の向こうで、あなたの言葉を聞いた人間は誰もいませんよ。
私も誰にも言いやしません。
だから、もうお互いに忘れてしまいましょう」
著者と管理人は握手をし、この出来事によって摩擦はなくなり、管理人の意地悪は終わりました。
そのとき、著者の中で何かが開いた気がしました。
著者は二度と自制心を見失うまいと決心しました。
自分を見失うことが、いかに恥ずかしいことか、そして怒りなどと言うものがいかに無益な感情か悟ったのです。
いったんこのように決心すると、著者の筆力は前にもまして強くなりました。
著者の言葉がこれまで以上に人々に届くようになったのです。
この事件以降、友人も増えました。
相手を尊重するというコミュニケーションの基本を理解したからでしょう。
しかし、それ以降、全く怒りを感じずにやってきたかというと、そうではありませんでした。
著者はかなり以前からあるジャーナリストから、攻撃にも近い強い批判を浴びてきました。
4、5年の間は無視できましたが、あまりにも目に余るようになってきたため、著者はついに反撃を開始しました。
タイプライターに何ページも、毒舌でぎっしり埋め尽くしました。
書けば書くほど、怒りはつのってきました。
そして、最後の1行を書き終わって、一息ついたとき、著者は不思議な気持ちに襲われました。
そのジャーナリストに対する、同情と寛容の気持ちでした。
そして結局、著者はその手紙を投函しませんでした。
著者は自分の感情を目に見える形に置き換えたことで、怒りの感情から解き放たれ、冷静な自分を取り戻すことができたのです。
そして、無意識のうちに自分の精神分析を行い、潜在意識の中に黒くよどんでいたものを取り除くことができたのです。
この体験で分かったことは2つです。
一番大きな収穫は、怒りの感情は「書くことによって身体から出す」ことができるということです。
これは誰にでもできる簡単な方法のわりに、効果は非常に顕著に表れます。
また、日記をつける習慣を持つ人の中には、すでにこのことに気づいている人もいるかもしれません。
ちなみにこれ以外にも、同じような自制心を取り戻す効果があることは、長時間速足で歩いたり、激しい運動など。
これらの運動は、脳に麻薬物質であるベーターエンドルフィンなどを分泌するという研究結果が報告されています。
これは瞑想によっても、もたらされることがあります。
2番目の収穫は、怒りに任せて書いたものを残しておいて、ある程度時間がたち、精神的に落ち着いた状態のときにもう一度読み直すと、さらに良い結果が得られるということです。
非常に客観的なところから自分を観察することができる方法であり、自分自身について知るための貴重な反省材料になります。
著者はこのような怒りの吐き出し方は、しなくなりました。
これはある程度、経験と学習を積んだ結果として、怒りの感情が湧き起ころうとしたときに、すぐに冷静になって対処できるようになったからです。
そうなってくると、さほど無駄なエネルギーを奪われることもなく、トラブルに対処できるようになるものだそうです。
成功哲学を提唱している最中の著者であっても、意地悪や攻撃に怒ったり怒鳴ったりしていたエピソードに、とても人間らしさと親近感を覚えました。
確かに文章に書いてしまうとすっきりすることってありますよね。
運動も、瞑想も、怒りを消化していくために、大切な引き出しとして持っているのもよいかもしれません。
そんなスキルを習慣づけて、自分自身を失わないようにしたいものです。
今週もお疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。