自分が今かかわっているトラブルに対し、「大事件だぁ!」と頭を抱えてしまうことがありませんか?
ワタシは、しょっちゅうです!
しかし、そのときはいかにも重要に思えても、数年後改めて思い出すと
「それは最終的には重要ではなかったなぁ」
と思えたり?
頭がいっぱいになるのは、「結果」を「過程」よりも重要視しているからである、と著者は言います。
著者はこのことについて、カーネギーから学びました。
成功でも富でも、人に充実感を与えるのは、その「過程」。
結果も重要ですが、大事なのは何よりも過程。
だから、「大事件」として見えるソレは、あなたの人生におけるほんの一部である「結果」でしかないのです。
ソレはあなたの人生の本質ではありません。
このことを悟らない人は、大邸宅に住んでいようと、心は満たされないのだそうです。
「最終的には、何も問題ではない」
人生の本質について言うならば、たとえば、あなたが絶えず相手に与え続けていくこと。
これは、とてもあなたの人生にとって大事なこと。
あなたは単に自分が所有しているモノだけでなく、あなたに共感を持つ人々からも自分の存在価値を感じることができるからです。
著者自身も、カーネギーをはじめとする人々から学ばせてもらったことを、世間に還元することで、大きな心の安らぎを得ています。
著者はさらに緊張をほぐす方法も知っています。
毎日遊んだり、自分なりに楽しくくつろぐなどして、一定時間を過ごすことにしているのです。
四方八方出口がない、とあなたが思うような場合にさえ、自然の多い場所、山や草原、海や湖に数日、いや可能なら気が済むまでくつろいでいれば、必ず出口が見つかります。
人生は甘くはないけれど、そういう場面であなたが思うほど、辛くもないのです。
このようにあなたの人生についてのいろいろな場面について考えてみると、人生があなたに教える次のような教訓があるはずなのです。
「最終的には、何も問題ではない」
険しい顔つきをして目の前のことに邁進しているときには、自分の活動する範囲だけに目がいかなくなることもあります。
例えば、自分の建てた家が、他人の日照を妨げるようなとき。
そんなときに悩み果てる前に、思い出してみましょう。
「最終的には、何も問題ではない」。
日照問題は行政が解決してくれるはずです。
どうしても日照権について、自分の思い通りの建物が建てられないのなら、日照を正確に反射する駆動式の鏡を取り付ければいいのです。
あるいは、1日数時間の日照を確保して、交渉を成立させることもできます。
すべての問題は、そのとき、あなたの心を24時間捉えて離さない大きな問題になるかもしれません。
しかし物事を公平に扱いながら、意識の片隅に先の見通しを持ち続ければ、あなたの将来を最終的に良いものにすることは必ずできるのです。
そのような安心感と自信を失わなければ、あなたの心はもっと平安になるし、強くなります。
なぜ、人生を心配事で埋め尽くすのか?
あれこれ恐れを抱いて人生を過ごすことが習慣化していると、まるで恐れというものを、絶対的に偉い先生だと思っているように思えてきます。
しかし恐れている事柄そのものは、本当は極めて小さいものです。
ところがその恐れに飲まれてしまうと、その小さな出来事が全宇宙を占めているかのように感じられてしまうのです。
もちろん私たちは、「人類の意見に適正な敬意を払い」ながら人生を歩んでいきます。
時には人の意見に従い、人の幸せを自分の幸せよりも優先します。
しかし、これは協力によるものです。
しかし、多くの人々が恐れや絶望、破滅の意識を持っています。
なぜでしょう?
最終的には何も問題にはならなくなるというのに、何を恐れているのか?と著者は問います。
頭をしゃんと上げて胸を張って歩かずに、こそこそと背を丸めて歩いたら、死後の人生がうまくいくとでも思っているのか?と。
自信と勇気をもって人生を歩く方が、より多くの幸せをつかむことができることを忘れないでほしい、と著者は読者に望んでいます。
ワタシ自身も今年度、「こそこそと歩いていると、何かが助けてくれる」という恥ずかしい感情を持っていたりしました。
確かに、あんまり堂々としていると、助け舟はなかなか出してもらえなかったりするんですもん。
でも、助け舟を待つために背中を丸めているのって、素敵な生き方じゃないです。
一度の失敗に落ち込んで、ずいぶん姿勢を崩してしまいましたが、この春から仕切り直してみたいと思えました。
背中を伸ばして歩くのって、楽しいですよね。
明日も、あなたに楽しい1日がやってきますように。
では、また。