「あの人が、あんなことをしなかったら、こうはならなかったのに」
情けないことに、ワタシはずっとある人を恨んでしまっています。
ワタシの仕事の現状に(大いに)不満があるからです。
そして、その原因(失敗)に深くかかわっているその人と、そのエピソードをクヨクヨ考えてしまっているのです・・・。
絶対そんなことを考えていたって、労力の無駄だとわかっているのに、どうにもやめられません。
今日は、そんな「恨み・復讐」の手放し方を勉強します!
「あの人のせい!許さない!」と別の堂々巡りに陥る
たとえば、
「あいつが現れなかったら、恋人は心変わりしなかったのに。
自分が不幸なのは、あいつのせいだ」
などという恨みの感情。
その元は、現在の自分の不幸が、「過去の出来事のせいだ」という後悔の堂々巡りと同じ思考タイプです。
堂々巡りの途中には、さまざまな思考があります。
「どうしてあいつに、恋人を紹介したのだろう」
「恋人も恋人だ」
「自分は馬鹿だ」
「それにしても、酷い」
「あんなことをするなんて」
「あんなことを、しなければ良かったのに」
「でも、あんなことをされてしまった」
・・・・・・など。
その思考は、堂々巡りを繰り返すごとにどんどん速くなります。
そのため、自分がどうにかできそうな特定のセンテンスだけが目立ってきます。
すると、
「あいつが悪い」「あいつが悪い」
という部分だけが頭の中で鳴り響きます。
これが恨みです。
脱出しようともがけばもがくほど、思考のスピードは速くなります。
そして「あいつが悪い」の扉を何百回、何千回と叩くことになります。
気分も最悪になります。
ついにマインドは、
「あいつを罰すれば、この苦しい堂々巡りから抜けられるはずだ」
などと思い付き、扉を開けて別フィールドへ脱出します。
「あいつ」に復讐して苦しい堂々巡りから抜けようと思うからです。
こうして恨みは復讐に変わり、実際に復讐する方法を考え始めます。
復讐の手順などいろいろ新しく考えている間は同じ堂々巡りをしないため、マインド恨みより復讐の方がラクなのですが、万一、復讐をやり遂げても自分が不幸である事態は変わりません。
許すために、どうにかして相手を理解しようとする
恨みからすでに復讐まで進んでいる場合は、まず、復讐から後悔のループまで戻りましょう。
そのためには、まず相手を「許すこと」が必要です。
そもそも、相手を「許さない」というのは、謝罪させる、反省させる、弁償させるなど、相手を何とか罰したいわけです。
二度と同じことをしでかさないように相手の考え方をただしたいわけです。
けれども、自分の考え方さえなかなか変えられないのに、相手の人格や性格を変えることなんて、ほとんど不可能です。
相手を「許す」ためには、相手を深く理解することです。
理解しようとすることです。
相手がそのような考え方や思い方を持つに至った状況や経緯、どんな環境でどんな家庭で育て来たのかなと考えてみるのです。
すると、
「なるほど、あんなことをしてしまうのも、あのようなプログラムを持っていて、あの状況であれば仕方ないことなのかな。
誰でもそうなるだろうな・・・」
と相手の行動が理解できるようになり、許す方向に進めます。
人を許すことで自分自身も恨みの感情や復讐しようとする苦しみから解放されます。
それだけでも自分のシアワセ度が格段にアップします。
自分も許されるのです。
そして、「許さない」「あいつが悪い」という扉から戻ってきたら、ここからは後悔の堂々巡りと同じですから、後悔の抜け方と同様、「自分は圧倒的に幸福である」とマインドを説得すれば、すぐにそこからも抜けられます。
自分の置かれている環境にダメ出ししていれば、いつまでも「恨み」「後悔」からは抜けられないってことですね。
以前勉強した「後悔」のループの抜け出し方のひとつに、「ありがたいと思えるもの」を数えてみることが提案されていました。
気になっていることと関係ないことでも、「空気が吸えること」「ご飯が食べられること」なんでもよいそうです。
実際片っ端から「ありがたいこと」を数えてみると、少なくとも「恨み」を思い出してマイナスまっしぐらだった気分がプラスの良い気分に変わりました。
これを繰り返していると、変えたかった過去でさえ、「あの時のことがあったから、今幸せなんだ」と思えるようになるそうです。
感謝する気持ちを持つって、すごいことなんですね~。
今日も1日、お疲れさまでした!
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。