人には、「あら探し」が得意な人と、「いいところ探し」が得意な人がいます。
ワタシはつい「あら探し」をしてしまいます~~~。
幸せな出来事だったのに、「でも、ここがダメだった・・」とダメ出ししてしまうときがあります。
アメリカの思想家ヘンリー・D・ソローは「そんな人たちは、楽園にいても、何かしら欠点を見つける」と言いました。
一方で、楽観主義なタイプの人は、いつもどこかしら幸せそう。
「いいところ探し」の名人になることで、楽観主義になれます。
そのためには、過去をとらえ直すという作業が第一歩として必要です。
他の人には無いものを持っていたり、けっこう成功していたり、幸せそうな環境にいながらも、いつも憂鬱そうにしている人たちがいます。
その一方で、何度も不運や困難に直面しながらも、人生に喜びを見出している人たちもいます。
どうしてでしょうか。
それは、幸福と言うものが、人生における客観的な出来事で決まるものではないからです。
幸福は、出来事をどのように解釈するかと言うごく主観的な心の働きによって決まるものです。
試合に優勝すること、試験でCの成績しか取れないこと、思わぬ大儲けをすること、恋人に振られること、人生にはいろんなことが起こりえます。
こうした出来事がどんな意味を持つかは、それをどう解釈するか、何に焦点をおくかで決まりますよね。
勝利したことや達成できたことを喜ぶのか、それを当たり前として完璧なプレイができなかったと悔やむのか。
成績が悪かったり恋人に振られて自分を責めるのか、その経験から何を学べるかに焦点を置くのか。
同じ出来事であるにも関わらず解釈でいみがか意味がまったく変わります。
悲しみやつらい感情に免疫がある人間はいません。
しかし、どのような状況でもそこに良い部分を見つけられる人たちがいます。
彼らは他の人成功を自分のことのように喜ぶことが出来ますし、挫折をチャンスに変えるコツを知っています。
そして、人生を楽観主義で生きています。
一方で、水が半分入ったコップを見て、「半分しか入っていない」と考える人たちは、幸せである理由をなかなか見つけることが出来ません。
いつも不満を抱えて生きています。
楽観主義者は「いいこと探しの名人」です。
暗雲の中にも光り輝く銀の一条を見いだせる人です。
人生の明るい面を観られる人。
ありきたりの表現しか使っていない、などと言って作家をけなしたりしない人。
一方で「あら探しの名人」は、「楽園にいても何かしら欠点を見つける」人。
あら探しをしていては、決して人は幸せにはなれないのですね。
最高の出来事が起こるのではありません。
起こった出来事を最高のものにできる人がいるのです。
あら探しをする人間は、どんなに成功しても、幸せを長く感じることはできません。
そして、失敗することで、彼らはまた自分の陰気な人生観を強化していきます。
それに対して物事のポジティブな面に焦点を置くことを学んだ人は、成功と失敗の両方から恩恵を受けることが出来ます。
彼らにとって、この世はどこを見ても成功と祝福のためのチャンスばかりなのです。
あなたは、「いいこと探しの名人」ですか?
「あら探しの名人」ですか?
人生のどういう分野においてなら、「いいこと探しの名人」になれるでしょうか。
アクション:過去をとらえ直す
過去の出来事に対する認識を変えることは、「いいこと探しの名人」になる第一歩です。
認識を再構築することで、失敗によるマイナスの結果を超えたその先を見ることが出来るようになるからです。
どんな辛いことがあったとしても、その経験から何を学び、どう成長することが出来るか、時間をとって考えましょう。
いままでの人生の出来事を、始めは「あら探しの名人」として、次は「いいこと探しの名人」として書き出してみましょう。
例えば、不合格だった試験について。
最初は「あら探しの名人」になって、どんなに動転し、どんなにつらい経験だったか書きます。
次に「いいこと探しの名人」として、そのことによりいかに謙虚になり、一所懸命に勉強することの大切さを学んだかを書きます。
「いいこと探しの名人」として書く彩、つねに物事は最良のこととして起こるとか、または何かが起きようとも幸福であると考える必要はありません。
むしろ、起こったことをあるがままに受け止め、それを最大限に利用しようと考えてください。
イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルは、こう言っていたそうです。
「悲観論者はあらゆるチャンスに困難を見いだす。
楽観主義者はあらゆる困難にチャンスを見いだす」。
先日またしても夫婦喧嘩をしたホヤホヤなので、早速その事例を使って考えてみました。
昨日はいつもの悲観主義全開でしたから、
「人の気持ちがわからない人と結婚し、離婚しなかった自分が悪い」
「こんな相手を選んでしまった自分は、本当に馬鹿だ。自分が悪い」
「早く今回の人生が終わってほしい」
と本気で思って泣いていました。
今日はそこから、いいところ探しをしてみました。
「彼のおかげで子どもを授かった」
「優しい人と一緒ではなかったからこそ、人一倍仕事に全力で没頭するエネルギーができた」
「子どもたちは、父親の性格がイマイチだったからこそ、精神的に早く大人になってくれた」
「義父母も『あんな息子で申し訳ない。何かあったら、逃げてこい』と味方になってくれている」
「人に傷つけられる痛みを知ることで、傷ついた人にうわべではない共感ができるようになり、仕事で腕を上げることが出来た」
「仕事場は評価してくれるから、楽しくて仕方がない」
考えてみると、いいところ尽くめでした。
・・・・でも、ケンカの原因は「夕飯にワタシが作った麻婆豆腐の片栗粉の濃さについて」です(恥)!!
「疲れながら頑張って作ったんだから、そんなことに文句言うなよ!」
という話ですよ。
犬も食いませぬ。
お騒がせしました!
今日も、お疲れさまでした。
暑い日が続いていますね~。
バランスよく食べて、今年の夏も楽しくご機嫌に過ごしましょうね。
あなたが今夜も素敵な夢が見られますように。
では、また。