就活しているけれど、この分野で進むべきなのか確信が持てない。
飲み会に誘われたけれど、参加して本当に楽しいかどうか微妙で答えに困っている。
今つき合っている相手と結婚すべきか、いっそ別れるべきか迷う。
仕事の方向性でどちらにしようか、悩む。
夕飯のおかずを何にしようか、ギリギリの時間にスーパーの生鮮食品売り場で困り果てる。
こんな日々の不確定要素は、人生にいっぱいあるのがフツウなので、「受け止めなければ」と思うのですが、どうもこのモヤっとした恐怖感は、私たちをとても不安にさせます。
これは、人間には「知りたい」という欲求があるから、当たり前なのだとか。
「わからない」を受け入れる
私たちは「わからない」という状態を恐れます。
自分の人生は、これでいいのかと確証を求めたくなります。
「悪い知らせ」よりも「知らせがないこと」のほうが怖いのです。
はっきりした診断より、あいまいな診断の方が、不安になりますよね。
知りたいという欲求は、人間の心の奥底にあるからです。
髪を見いだすことによって、私たちは知らないことからくる不安を軽くしています。
先行きに不安を感じる状態のとき、人は確かな知識で安心させてくれる指導者に従います。
病気の時は、医者をあがめます。
子どもなら何でも知っているように見える大人に不安を鎮めてもらおうとします。
成長して、両親が決して完ぺきではないとわかると、今度は神、宗教的指導者、リーダーなどにその役割を求めます。
それでも、心の奥底では不安を感じています。
それでも「わからない」ということを自分でもわかっているからです。
歴史学、考古学、心理学をもっても、人類全体、または個人の過去を十分に説明することはできません。
過去や未来どころか、この「いま」についても何一つ知る手掛かりはないのです。
では、何ができるのか?
「わからない」ことを受け入れることが必要です。
たとえわからないことがあっても、心穏やかに過ごすためには、その不確実さを歓迎しなくてはなりません。
自分たちの無知を心から受け止めること。
それが出来たら、知らないものに対する不安を、畏敬や驚きと言う感情に変える準備ができます。
世界、そして人生を、奇跡に満ちた物語として見直すことが出来るのです。
あなたは、どんなものに対して畏敬の念を覚えますか?
世界は奇跡に溢れていると感じたのは、いつ、どんな場面だったでしょうか?
アクション:ただ歩く
ポジティブ心理学の創始者のひとり故フィル・ストーンから著者が学んだこと。
それは、「ただ歩く」ということの効用でした。
外に歩きに出かけること。
ただ、ゆっくりと時間を過ごすという以外に何も目的も持たずに。
そして、この世界の豊かさを味わい尽くしましょう。
街の鼓動、武佐の静けさ、海の広大さや森の生命力を感じる時間を取りましょう。
ただ歩くことを習慣にするのです。
ヘレン・ケラーは次のようなことを書いているそうです。
ある日、森の中を長い間歩いてきた友人に、ヘレンは森の中にどんなものがあったかと尋ねました。
すると友人は「別に何も」と答えたのです。
そのとき、感じたことです。
「1時間も森の中を散歩して、『別に何も』ないなんてことがどうしたら言えるのだろうと思いました。
目の見えない私にも、たくさんのものを見つけることが出来ます。
左右対称の繊細な葉、白樺の滑らかな木肌。
荒々しくごつごつとした松の木の樹皮。
目の見えない私から、目の見える皆さんにお願いがあります。
明日、突然目が見えなくなってしまうかのように思って、すべてのものを見てください。
そして明日、耳が聞こえなくなってしまうかのように思って、人々の歌声を、小鳥の声を、オーケストラの力強い響きを聞いてください。
明日、触覚がなくなってしまうかのように思って、あらゆるものに触れてください。
明日、嗅覚と味覚を失うかのように思って、花の香りをかぎ、食べ物を1口ずつ味わってください。
五感を最大限に使ってください。
世界があなたに見せくれているすべてのもの、喜び、美しさを讃えましょう」。
「いま」を大切にして、見えるもの、聞こえる音、触った感覚などをしっかり感じて歩くこと。
そんなことを習慣に出来たら、「わからない」ことがほんの一部であるという思考の習慣ができるのかもしれません。
とりあえず、夕飯の準備を買いに行くついでに、ちょっと歩いてきます!
今日も1日お疲れさまでした。
明日も素敵な1日になりますように。
では、また。