小さいころから、人の気持ちとか、出来事などに敏感に反応しやすいタイプでした。
ですから、何かと気になることも多く、自分を許せないと思う日も多くありました。
完璧主義、というのとはちょっと違うような感じです。
考えすぎてしまう、感じすぎてしまう、そういった感覚です。
そんな生きづらさを感じながら、「自分があまり好きじゃない自分」を持て余して生きてきたと思います。
そこに折り合いをつけられるようになったのは、40歳を過ぎてからでした。
そんな「めんどくさい自分」と折り合いをつけるために、トライしたり、失敗したり、上手くいったことを書いてみたいと思います。
自分の過去を分析する
何となくいつもぼんやりと、過去のことを思い出しては鬱になっていました。
実家を出た日にどうして物凄いハイテンションになったのか、理解不可能でした。
鬱になるから過去の記憶に蓋をしたくなるのですが、どうにも「実家に帰るたびに何となくうつうつとした気分になる」とか「実家に帰る気になれない」などの気分が付きまとい、「親不孝な自分が嫌だ」と思っていました。
しかし、ゆっくりと過去の自分のあれこれや、その時の親の対応を事例を具体的に詳細に思い出し、友達に聞いてもらったところ、「それは大変だったね」と言ってもらい、すっきりしました。
そうか、自分は大変な家で育ってきたんだな、と。
ホッとするとともに、自分は頑張ってきたんだ、と認めてあげられたことで、心の底の「子供のころの自分」が、安心しているような、そんな感覚を得られました。
「第3者」に「具体的な事象」を聞いてもらうと、客観的に見た自分の過去が浮き彫りになります。
いくら繰り返し思い出のループをやっていても、いっぱい考えているようでも、客観性は欠けます。
兄弟姉妹に聞いてもらうのも、有効です。
近くで見ていた役割でありながら、見ている角度が大きく違うので、実は過去のあなたやあなたを囲む環境を最も客観的にしかもかなり正確に知っている人である可能性も高いのです。
ワタシも妹に父母と自分とのやりとりが実際他所から見ていてどうだったのか、40代になってから教えてもらいました。
「なんで(父母に言われたくらいで)あんなに落ち込むんだろうって思っていたよ」
そう言われて、初めて「気に病みやすい自分の性質」と「相手の心情を読み取れない父母」との相性の問題でもあったのだと捉えられるようになりました。
それまでは、恥ずかしいのですが「父母にいじめられたかわいそうな自分」「跳ね返せない弱い自分が悪い」と捉えていました。
ちなみに失敗例。
母親にも小さいころ、父親に嫌な言葉をぶつけられて傷ついていた話をしましたが、「あなたは言いやすいタイプだったからね」と言われ、当時と同じ傷ついた気分になりました。
「言いやすい」から、言われても仕方なかった、と言うのか?
また、落ち込みました。
相手の心情を傷つけても気づかないタイプの人には、相談すると余計な傷が広がります。
ただ、父母の精神が不出来であったことは事実ですが、意図して娘を傷つけたわけではない、という事実だけはとりあえずわかりました。
「こんな幼い精神の人を『親』だと頼っていたのが間違いだった」という事実も確認できました。
ちょっと寂しいけれど、そうだったんだな~と思うと、幼い自分を抱きしめたくなりました。
そして、やっと出てきた結果は、どちらが悪いのでもない(のかもしれない)。
そう捉えられるようになれたのは、第3者の目を通して客観視できたことが大きいと思います。
気分をアゲる方法を見つける
過去との折り合いには、時間がかかります。
分析が出来ても、「そうだったんだな・・・」と腑に落ちる瞬間が来るのには、実は時間がかかります。
他の方面で自信がついたりすることも、きっかけになったりしました。
早くスッキリしたいのですが、こればかりは仕方がありません。
そこで、大切なことは、「今日を楽しく生きる」ということです。
落ち込みやすい人は、生活の中でのちょっとした1コマが「落ち込む材料」になりがちです。
そこで、アゲる材料をたくさん生活の中にちりばめておくことが非常に重要です。
あんまり落ち込みすぎると、そのまま落ち込みのループに入ります。
ループは少しずつ下の方下の方へと気分を下げていきます。
気づくと、踏切が「おいで、おいで」と呼ぶ声が聞こえてしまいます。
そこで、ワタシの場合はいろいろジタバタし、カウンセリング的なものをしてみたり、過去を書き出してみたりしました。
明日は、気分をアゲるためにいろいろトライしたこと、失敗したことなどをご紹介させていただきます。
↑干からびた親子関係や過去の記憶であっても、乾かしてドライフラワーにすれば、こうしてブログのネタくらいにはなるという(笑)。
今日は少しはのんびりできましたか?
ゆっくり休んで素敵な夢を。
では、また。