時にカサンドラの人が抱えてしまうやっかいな荷物が、「罪悪感」。
どん底から脱して情緒を取り戻すと現れることがあり、回復の邪魔をします。
アスペルガーを持つ家族に対して、自分が「言っても仕方ないことをアスペルガーの人に言ってしまった」、という罪悪感など。
そのほか子供に対して持ちやすいもの。
「普通の暖かい家庭で育ててあげられない、我慢させている」という罪悪感。(これは、ワタシもめっちゃあります!とてもきついです!)
「離婚したいけれど、そうしたら”障害のある人”を見捨てることになるのでは?」という離れたいと重いことへの罪悪感。(ありますねー。カサンドラのあるある)
著者のツナさんも、長い間夫のアスペルガーに気づけなかったこと、夫の借金を見過ごしたこと、夫に一人暮らしをさせていること、別々に暮らしたら元気になった自分、夫を漫画に描いていること(本人の了承済みだけど)、夫の人生を変えてしまったこと、子どもから父親を離してしまったこと、などの罪悪感を抱えていました。
そして、その痛みはある程度は抱えたまま生きていくしかないと思っていました。
でも、そんなことはなくて
「あなたと結婚できたから子どもが持てたので良かったです」
「いつでも会えるんだから、べつにいいじゃん」
「ママは、がんばっているよ」
という声を家族から贈られています。
本当の回復は罪悪感から解放されてからだそうです。
自分ひとりでは難しくても、専門家の助けや子供の成長や仲間の共感が手助けしてくれます。(本当にそうです!!)
カサンドラの向こう側 具体例
ある夫がアスペルガーの奥さん。
2児の父になった夫はストレスの成果奇行がひどくなり(ご近所さんに通報されるレベル)ました。
出産直後の奥さんのストレスが限界になり、網膜腫瘍まで患いました。
悪化したら失明するということで、強い薬を飲み、授乳禁止になりました。
母乳を上げられない罪悪感でいっぱいの奥さん。
見かねた奥さんの実母が手伝いに来ると、アスペルガーの夫は、休日の習慣でジョギングに出かけます。
それを見た奥さんの実母が、「夫さん、おかしい!」と指摘。
離婚を考えましたが、夫が同意せず、夫の両親からの叱責と、子供二人がまだ幼いことから、断念。
でも、病気もあり、夫に頼れず、不安で、精神的に限界が来たので、しばらく離れていようと夫を実家に返しました。
しかし、4か月後なにごとも無かったかのように、連絡もなしに帰宅。
そこで実母がアスペルガーではないかと気づき、夫の受診を促しました。
第三者に認められたことで奥さんは安心。
結婚生活を続けるために、夫は定期的に心理士にかかり、おくさんは夫に対する考え方や接し方を変えました。
伝えたいことは、直接言わずLINEでおくるなど。
夫には期待しない
あてにしない
干渉しない・・・
これで今は落ち着いているので、子どもたちが成長するまでこのままやっていけたら・・・という”期待”ではなく”希望”を持っているそうです。
他のカサンドラさんの話。
結婚してから20年、夫婦生活が1度もない。
潔癖性と感覚過敏のある旦那さんだったようです。
その後夫はうつになり、仕事をつづけながら治療。
カサンドラさんも個人的にカウンセラーを受けました。
夫のうつは自分のせいかと自分を責めていましたが、カウンセラーから夫がアスペルガーではないかと指摘され、うつはその二次障害かもしれないということに。
本を読んで勉強し、①夫の行動をいちいちほめる②否定する言葉をつかわない などの工夫で、気持ちは伝わらなくても言葉は届くようになったそうです。
さらに別の人。
結婚前はおだやかで包容力があるように見えたアスペルガーの夫をもったカサンドラさん。
知らないうちに貯金を使いこまれ、驚いて怒りとともに問いただしても、貝のようにだまったままの夫。
彼女はそれを”拒絶”と受け止めました。
彼女は結婚して15年たったころ、彼女はうつになり3年休職しますが、それでも夫は無反応のままでした。
休職前後に語り切れないほどのことがありましたが、長い間本当にのたうち回る苦しみの中でもがきました。
彼女はカウンセリングの勉強を始め、自分の心に向き合おうとします。
そして心に傷を持った人たちが集まるいろんな自助会を足を運びました。
そこである人から、旦那さんがアスペルガーではないかと指摘されます。
本を読むことで、これまで夫にムリなことを期待していたことが分かり、可視化、期待しない、こだわりを理解する、感情をあらわにしないなどの夫に合わせた対応を始めました。
しかし、そこには「見返りを期待しない無償の愛」「受容しなくてはならない」「孤独感(これは、変わらずある)」という、新たなストレスを生みます。
このままでは一緒に暮らしていく自信がない、と夫に一緒にカウンセリングを受けることを頼み受診。
しかし、カウンセラーに
「旦那さんは生きづらさを感じていないし、自分を変えたいとも思っていません。
だから、旦那さんのカウンセリングは無駄ですよ」
と言われました。
その後、彼女は時間をかけて少しずつ準備をし、夫と離婚。
それが自分自身を救う唯一の道でした。
少しずつ元気になった彼女は「カサンドラ」の自助グループを立ち上げ、資格を使って個別相談もしています。
「早い時期に”アスペルガー”を知っていたら、あんなに苦しまなかったし、違う選択もできた。
でも、苦しんだからこそ、誰かに寄り添うことが出来る。
今は何も後悔していません」
という彼女の言葉がありました。
本著には、最後に「カサンドラな妻たちの訴え」というのもあり、それがまた厳しい毎日を送っているのがよくわかる言葉が羅列されています。
涙が出る話ばっかり。
また、妻でなくても、子どもとして、
「母親が酷いカサンドラなので、父母のやりとりの間に入らなければならず、それが負担になるときがある」
とか、
「困っているのは同僚のこと。深くかかわるとどれだけ心身が疲弊するか、辛さを理解してほしい」
とか、
「職場の部下がアスペルガー(疑)。『それも個性と受け入れてあげて』と言われ、本当に自分を責め、その結果が心療内科通いと退職」
など。
本当はワタシは、そういう発達障害の人たちを助けたいと思って生きているので、今回の記事ってアップするのどうかな?とも思いました。
でも、支えている人が崩れそうになっているのは、現場でたくさん見てきました。
そして・・・・・自分もそうです。
「僕らが家を出たら、離婚していいよ」
「かえって、そうしてもらった方が心配しなくていいから、安心」
と自分の子どもに言われています。
それでも夫といると、「もっとわたしが支えてあげなければ」という気持ちになります。
だって、本人に悪気がないことは、わかってますから。
でも、どうにもこうにもムリな部分があったり、誰の支えもない人生って、しんどくなってきました。
ここ数年「誰かに支えてもらいたいな。でも、自分で自分を支えよう。癒そう」と自分に言い聞かせているのですが、なかなかしんどい~。
でも、自分を癒そう・強くしようと思って読み漁った自己啓発本のおかげで、昨日の夫婦喧嘩ではちゃんと思いを伝えられました。
「あなたとワタシは、別の人間だから考え方が違っていい。
行動だけいっしょなら、それでいいんだよ。
『共通理解』なんていうけれど、『共通』に『認識』して『行動』するまでが人間の限界」。
これはワタシからの、「『わかりあう』ことを拒否しました」宣言です。
彼は自分の考え方を理解させようとしていましたが、どうも観点がズレていて、自分に都合よくねじ曲がった理論を振りかざして押し切ります。
しかも彼には、「妻に夫は従っていればいいんだ」という強い思いが根底にあります。
「昔の夫婦はいいよな。妻は夫に従っていたんだ」
「イスラム教なら、妻は夫の言うことが絶対なんだ」
と言っています。羨ましいらしいですよ、イスラム教。
でも、「同じ考えじゃなくていいんだ」と結婚後初めて言えました。ヤッホー。
そんなわけわからん理論に押し切られてたまるかっての。
自分を元気にしていって、がんばろうと思います。
この夏の休みの間、ワタシは夫と一緒にいたくないから留守がちでした。
その間受験生の娘が、PCで遊んでいたので、「取り上げないお前が悪い。受験で落ちたらお前のせい」だそうです。
目の前にいたなら、自分が言えばいいのにね。
チェッ、それができないのか~。
言えないんだね。ああ、そうだったね。はいはい。
アスペルガーの人、がんばれ。
カサンドラの人、一緒にがんばろう。いや、がんばりすぎないで。
この本を読み直し、またいろいろ書き散らかさせていただいて、かなりスッキリしました。
同じ思いをしている人が、ちょこっとでもラクになれますように!
今日も1日、お疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。