中竹竜二さんは、早大ラグビー部の監督を務めて、優勝を何度もおさめ、現在U20の日本代表ヘッドコーチ。
税所さんは、国際教育支援NPOの創業者。
この二人の対談方式の本です。
二人とも失敗なしにはここまでこれなかったと自負しています。
経験は「直線」ではなく「回転」
税所さんは、大学3ンせいでバングラデシュで映像授業を開始、同国でベンチャーを起業。
大学5年でベンチャーは倒産。
大学7年(?)で、映像授業を世界のすべての大陸(5大陸)で展開しようと奔走・・・とものすごいスピード間で、若き社会起業家として有名になり、バングラデッシュでは国立大学合格者を出すなど、実績もきちんと残しています。
くわえて本著を執筆し始めた2015年には、それからたった1年半しか経っていないいないのに、ロンドン大学に留学、ブラジルでの映像授業の展開、未承認国家ソマリランドでの大学院開設と、次々と新しいプロジェクトを進めています。
そんな彼の高速回転。
でも、それは一直線の成長ではありません。
成長というと、みんなA地点からB地点へ一直線で駆け上がるイメージを持っているかもしれません。
でも、税所さんも中竹さんも、この直線は「回転している」ということに気づいています。
回転とは「成功」と「失敗」の回転です。
何かに挑戦する。失敗する。そこで学ぶ。成功する。また挑戦する。また失敗・・・、といったように。
たとえば税所さんのA地点を「数学で2点」、B地点を「バングラデッシュでの映像授業によって、ダッカ大学への合格者を出す」として考えてみましょう。
そのプロセスには、決して華々しい成功話み満ちた直線ではないのです。
数学で2点、という数字が示すように、税所さんの成績は決して褒められたものではありませんでした。
高校2年の秋のおわり、担任の教師が三者面談で、「学力が低すぎる。中2、中3レベル」「二浪しても大学には入れない」と引導を渡されたくらいです。
中学時代は生徒会長を務め、高校も進学校に入った優等生にもかかわらず、授業に全く興味が持てませんでした。
授業に出ず何をしていたかというと、図書館に引きこもって、授業とは関係ない本をひたすら読んでいたのです。
その結果、惨憺たる成績を招きました。
しかし、彼は担任のその一言で一念発起。
DVDを使った授業で有名な東進ハイスクールで学び、早稲田大学に現役合格という快挙を成し遂げました。
しかも、この予備校で学んだことが、のちにバングラデッシュでの映像授業につながっていくのだから、税所さんにしてみれbあ、ここは大きな人生の転機。
ところが、ここから彼の失敗のストーリーが始まります。
税所さんの失敗ストーリー
意気揚々とw瀬谷入学したのですが、授業に深く失望します。
数百人も入る大教室で、教授や講師は学生の存在を無視するかのようにひたすら話し続ける。
学生は学生で、それを熱心に聞くのは少数派。
税所さんは、「何のために勉強するのか」と自らに問いかけてもこと絵が見つからず、大学1年半ばにして、学校に顔を出さなくなってしまいました。
高校時代に成績が落ちていったのも、同じような理由でした。
こんなことではいけないと、自分を戒めようとしますが、体が拒否反応を示して大学には行けなかったのです。
結果、1年目でとった単位は4単位(2科目程度)。
普通の大学生は70単位から80単位とることを考えるなら、挫折のスタートでした。
「最年少で足立区長」を目指して政治家のカバン持ちをするが?
大学に行かず、課外活動に取り組むようになっていた税所さん。
彼は高校時代から、「最年少の足立区長になる」という目標がありました。
一橋大学イノベーション研究センター教授であり、イノベーションの第一人者である米倉誠一郎先生に刺激を受け、「世の中を変えたい!」という思いを強く持ちます。
当時、参議院議員のSさんのカバン持ちを持ち始めました。
ここにこぎつけたのは、成功と言っていいでしょう。
S先生はとても魅力的で、話も面白かった。
それでも一生懸命演説しても、足を止める人はほとんどなし。
それでも、声を発し続けていました。
立派だ、と思う一方で、自分の未来と結びつけられません。
「これが自分のやりたいことなのかな」
その結果「最年少足立区長」の道は早々に挫折します。
社会起業家として、足立区の教育格差を是正したい→プレゼンで「実効性に乏しい」の烙印
その後、「社会起業家」という概念を知ります。
社会起業家とは、自社の利益追求よりも、社会を変える、世の中を良くするということを目的とする起業家のこと。
すぐ始めた活動が、地元・足立区で「ただ(無料)塾」を始めたこと。
足立区は都内でも相対的に学力が低い。
それは、平均所得が低く、塾にも行けない子が多いことに起因する。
だったら、無料の塾を開校すれば、「教育格差」の是正につながる。
こう思って、仲間を集め、足立区長や影響力や協力の可能性を持つ企業経営者数十名を紹介してもらい、プレゼンの機会を得ました。
これまでは「成功」でしょう。
しかし、「教育格差って、何をもってそう言っているの?」「開校したら、簡単にやめられない。続けられるの?」という部分に熱意はあっても実効性で答えられず、プレゼンを通すことができません。
プレゼンでNGが出るたびに仲間のボルテージも下がり、いつの間にかチームは解散。
プロジェクト成功?→リーマンショック
六本木ヒルズにオフィスを構える企業からほんの一部を寄付してもらい、彼らの知恵とノウハウを集めて、アフリカにチョコレート工場をつくって、正当な賃金で現地の人材を雇用する。
そこで製造したチョコレートを「ヒルズチョコレート」として売り出す、というものです。
これもいくつかの企業でプレゼンする機会を得て、そのうちのひとつリーマン・ブラザーズでは好感触。
ところが次のプレゼンに進もうという時、リーマンショック勃発。
これは本人の責任では全くないけれど、時の運に見放されてプロジェクトは失敗。
彼女ができる→見事にふられる
このころ税所さんに彼女ができた。
彼は「最年少足立区長」「社会起業家」の夢を彼女に語っていました。
しかし、どの夢も潰えていく中で、彼女は半ば呆れ、「あなたが有名になって雑誌に出たら教えて」と言って去っていきました。
一人前になって、いつか雑誌に出てやる。
その気持ちが、彼のその後の活動の原動力になります。
バングラデッシュ・グラミン銀行のコーディネーターに→ルールを破り出入り禁止
そして、いよいよバングラデッシュへ。バングラデッシュとの出会いは、秋田大学坪井ひろみ教授の『グラミン銀行を知っていますか』という1冊の本。
グラミン銀行とは、バングラデッシュの首都ダッカに本拠地を持つ、貧困層向けに事業資金の無担保融資を行う金融機関です。
主に女性の自立を支援したことが評価され、創始者のムハマド・ユヌス氏とともにノーベル平和賞を受賞したことで有名。
きっとここに何かある。
税所さんはそう直感しこの本を読んだ直後、秋田に坪井教授を訪ね、そのあとバングラデッシュに直行。
そのあと、一定の成果を出して、今度は公式のコーディネーターとして現地の人bとの支援にあたるようになった。
そこで出したアイデアが、「映像授業で貧富、地域の差による教育格差を是正する」という社会起業プランでした。
でも、これも勝手にプロジェクトを進めたことにより、グラミン銀行に出入り禁止になり、頓挫しかけました。
挑戦、成功、失敗。また挑戦。
税所さんの18歳から20歳というたった2年ほどの切り取りです。
そして、ようやくたどり着いたのが、バングラデッシュでの「映像授業の実現」と、「それにより大学合格者を出した」という目に見える成果。
社会に評価され、メディアにも数多く取り上げられるような快挙として結実しました。
それはまさに、彼の数々の失敗なしにはなし得なかったでしょう。
まだまだ自分の失敗は、小さかったなぁ。
悔しいです。
もっといっぱい失敗とかチャレンジを繰り返してみたくなりました。
明日は「失敗から立ち上がる方法」を読んでいきます。
今日も1日、お疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
素敵な夢がたくさん見られますように。
では、また。