著者自身、以前より今が文句なしにしあわせだそうです。
最近は、つまらないなあとか、キツイなと思うことがほとんどないとか。
依然といまと、何かが大きく変わったから・・・ではありません。
現実には、年齢を積み重ねた分、疲れやすく、記憶力もなくなってきました。
仕事を取り巻く環境も厳しさを増しています。
日本全体が厳しさを増しているのですから、どの世界にも厳しさがしのびよってきているのは当然です。
ところが、そうしたなかで、著者なりに幸せなのです。
幸福感がどんどん深まっていくのを実感しています。
開き直りじゃないか、という人もいるかもしれません。
でも、しあわせは自分で感じるもの。
誰がどう思おうと、自分がいいと思えばそれでいい。
しあわせは、そういうものでしょう。
大いに開き直って、自分なりにしあわせになってしまえばいいのだ、と思っているのです。
なぜ、著者がそんな心境になったのかといえば、いまの現実をどんなにイヤだと思ったところで、現実は簡単に変えることができないのだと気づいたから。
現実を変えるたったひとつの方法は、現実の見方を変えること。
それしかないのです。
イヤだ。つらい。みじめ。不幸だ。
そうした思いはツタのようにからみついてきて、事態が多少好転したくらいでは、イヤだとかつらい思いは一向に変わりません。
ところが、いまのままで十分満足だと思っていると、ほんのすこし現実が好転したりすれば、なんてラッキーなのだとうれしさが倍増するのです。
どう考えても、現状のまましあわせだと感じられる方がトク、そしてラクです。
現実には、幸福と不幸の境目はありません。
それをイヤだの、つらいだのと思ってしまえば、その瞬間に現実は重さを増し、つらいものになってしまいます。
そのうえ、嫌な思いもつらい気持ちもどんどん増してくるのです。
これ現実なのだと受け流していると、まぁ、こんなものかと思えてきて、さらにそのうち、これでまぁ十分じゃないかと思えてきます。
年々、幸福感が増してくると感じているのは、「これでいい」と思い込むことがだんだん早く、うまくできるようになってきたからでしょう。
現実が変われば幸せになれる、ではないのです。
自分が変われば、いまのままでも十分しあわせ。
それに気づくことが、しあわせになる、たったひとつの方法です。
↑これを、「めっちゃくちゃな植え方だな」と思うか、「おしゃれな寄せ植えだ」と思うかは、自分次第なのかな。
今の人生を肯定する。
それって結構なスキルかもしれませんね。
「そこで成長が止まっちゃいそう」な気がしてしまいます。
が、「現実をありのままに肯定する」ってのも、大事。
特に仕事をしていく上では、まず肯定していくって大切ですよね。
人生も、同じなのかも。
今日もお疲れさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。
では、また。